実家暮らしの殺し屋

たきのまる

第一章「耳がいい殺し屋」

1「プリン」

 黒い部分が目立ってきたなぁ……。 


 私は洗面所の鏡を見ながら金髪に染まったショートボブの頭頂部付近の黒毛が伸び、所謂いわゆる「プリン」となった部分を気にしていた。そして、そんな私のだらしないプリンが写る鏡には無数の血痕が付着しており、血が噴き出したかのような跡を残している。さらには、その発端となった「物」は洗面台下の引き戸に寄りかかるような形で座って置いてあった。

「それ」は首の頸動脈をアイスピックのような大きさの針で刺さっており、息をしていないのが見て分かる。鏡へと続く、真っ白なはずの陶器の洗面台は「それ」の出血によって赤いアクセントをそこらじゅうに描いており、流れる血は芸術的とも言えた。

 私は右手で持っていた黒髪のウィッグをボストンバッグのサイドポケットから出した2枚のジップロックの1枚に入れ、血の付いたアイスピックをもう1枚のジップロックに入れ、二つともバッグにしまう。母の言う通り、ジップロックは使い勝手がいい。


 私はさらに、黒のボストンバッグの中から綺麗に畳まれたバスタオルとTシャツ、ジーンズを出す。洗面所に隣接している浴室に入りシャワーを浴びた。

 浴室はホテルのものと見間違うほど清掃が行き届いていた。焦げ茶色の浴室の壁にシャワーのお湯と泡が飛び散り、ガラスで出来た浴室の扉は曇り始めた。

 男性用のシャンプーしかなかったので、私は持ち運んでいたシャンプーとコンディショナーを使用した。ここの住人はどうやら、恋人やそれに値するような存在の人がいないらしいと予想ができ、彼を始末した私の心は小指の爪についた垢ほどに気が楽になった。


 シャワーから出た私は乳液を使用した。これも持ち運んでいたものである。

「乳液くらいはしないとヤバイよ?」と妹の礼奈に驚愕された日のことを思い出す。時間がかかってしまうのと持ち物が多くなるのが嫌いな私だが、礼奈の言う通り、最低限の美容には気をつけないといけないなと最近思い直した。

 着替えが終わった私はボストンバッグの中からスマホを取り出しストップウォッチを停止する。

「1時間47分」

 そう呟いた私はこの47分をどうしようか考えた。

 1時間10万円が基本的な私の報酬だが、今日のように中途半端な時間で終わるのは気分が良くない。次回からはちゃんと計算しとかなくては、と思う。もっと念入りに入浴後の保湿に時間を掛けていればぴったり二時間だっただろうなと私の頭にずるい考えが過ぎった。

 スマホの電卓アプリを起動させ、とりあえず計算してみる。

「10万と7万8333円……」

 端数は切ってやろうか……。

 どうしたものかという頭の中の考えを家のインターホンが切り裂いた。


 家の玄関を映すモニターに作業着を着た男性二人組が映される。その後ろには「ハウスクリーニング 綺麗屋さん」とラッピングされたワゴン車がかろうじて2台ほど見え、中には、二人組とは別に2台合わせ5〜6人程度乗車しているようだった。

 私はインターホンに出る。

「……はい」

「ハウスクリーニングの田中です。処理はおすみですか?」と20代後半の男性が尋ねる。

「はい、お願いします」

 早く立ち去らなければという焦りを取り繕うように落ち着いた口調で私は答えた。

「失礼します」と玄関を開ける音がした後、先ほどの男性の声が聞こえた。

 私はボストンバッグを肩に掛け、2階に駆け上がった。おそらく階段を駆け上がる音は訪ねてきた男性に聴こえていただろう。それもお構いなしに二階の寝室に向かう。

 先ほど乱闘があったせいか、もしくは対象者がもともと自堕落な性格だったからなのか、ベッドのシーツは散乱しており寝室の隅にあった1m程のパキラと思われる観葉植物が倒れ、土が散乱し、無数のガンダムや仮面ライダーのフィギュアが入ったケースのガラスは粉々の破片となり無残にフィギュア達に降り注いでいた。

 私の中ではこんなに乱暴に対象者を始末したという記憶は無い。おそらく私が侵入してきて慌てた対象者が焦って、至るところを倒して逃げようとしたせいか、対象者の元々の性格だろうと思いたい。しかし、観葉植物は蹴って偶然倒してしまうことはあるだろうが、大切にしているであろうフィギュアをガラスケースにまで入れているのである。残念ながら私の耳にはガラスケースが割れる音や観葉植物が倒れる音を聞いた記憶が無く、もみ合いになった時の喧騒の中で、私がガラスケースを倒し、観葉植物までもなぎ倒したのであろう音が混ざって認識できなかったのだろうと思うしかない。

 私の通った道がこんなに乱雑であったことに私は少しショックを受け、片付けたい衝動に駆られたが奥歯をぐっと噛み締め我慢する。


 すると下から男性二人の声が聞こえた。

「ここはあまり散らかってないな」

「──ですね。おそらく二階でやりあったのかと」

 質問した男性の声は60代くらいのどこかで聞いたことがあるような渋めな声。答えたもう一人は先ほどモニターで対応した20代後半の男性だ。

 そのやり取りに私は我に返った。ここで潔癖症を発動させている場合ではない。早く立ち去らなければ。


 私はすぐさまセミダブルほどのベッドの上に立ち、頭側にあった寝室の窓を開ける。風が一気に室内に入り込んで私のプリンのショートボブがふわりと空に舞う。正方形の窓の一辺の長さは30cm程度。外には小さなベランダが見えた。

 私の身体は果たして通るものかと考える余裕もなく、ノブを掴み窓を内側にあける。左右の縁に両手をかけ、足でベッドのスプリングを利用して一気に上半身を窓の外へ出す。下半身が浮き、窓には私のお尻が引っかかっており、必死の抵抗で足をバタつかせる。その瞬間だけは寝室からはとても滑稽に見えているだろうと思い、ここで男性二人組と鉢合わせないことだけを願う。

 身を乗り出した私は体を反転させ上空を向く。そのまま肘と握力で一気に腰を窓の外へ出す。あとは太もも、膝の順番で窓から出し、両足のつま先で窓の縁を引っ掛け窓を閉めた。鍵はしまっていなくても、中から見れば窓が開いていることに気付かないだろう。そして私はベランダに足をついた。そのまま窓から見えない低さに身をかがめる。

 男性二人組が寝室に来たことを音で把握した。


 私は自分の耳に集中する。

 ハウリングは聞こえない。殺気は無い。しかし、いつでもハウリングする準備が出来ているかのように、私の耳は不安定なノイズを感じ取った。

 ──今出たら、殺される。

 それは脳で感じるよりも早く私の耳は理解していた。

 私の正体が誰であっても、彼らは人影を把握した瞬間に、私の耳に聞こえる60代男性の手にある「デザートイーグル」と思われる拳銃を握る音と20代後半男性が「コルト・ガバメント」と思われる拳銃を構えた音が、その影に光を作るだろう。

 それにしてもなんてことだ。60代男性が「デザートイーグル」だとは。暗殺なんかよりも程遠いバカでかい声で「殺す」と訴えているような意気込みをズブズブと感じる。

 とにかくバレてはいけない。しかし、彼らも会社の人間だ。さらに階級が上の人間だと認識できるほどの危険なノイズを私の耳は感じ取っていた。

 全く、嬉しいことこの上ないなと私は心の中で悪態をついた。


 ベランダで体を伏せているとその不安定なノイズはラジオのチューニングを合わせるかのように収まってきた。

 ノイズがある程度収まったことを把握してから私はベランダの手すりの上に登り、立ち上がった。その時、私の耳には軽トラックのエンジンがかかる音がした。下に目をやる。軽トラックが停まっているのが見えた。2階であるため、そこまで高くはない。恐怖は無かった。

 私はポケットに入っていた「コンバット・マグナム」という拳銃を手に持ち、窓に体を向けた。あとは綺麗に飛ぶだけ。そう心の中で呟き、足を開き手すりの上で仁王立ちする。

 音には集中しない。脱力。脱力。音に耳を傾けない。もう一度私は私に念を押す。両手で銃身を構え両腕をぐっと伸ばし拳銃のトリガーに指をかけた。吸って吐いて。吸って吐いて。吸って、指を引く。

 コルクボードに突き刺さるダーツの矢のように、深夜に銃声が一本突き刺さる。銃身から出た弾丸は私のお尻を苦しめた窓に突き刺さる。窓が割れ、鈍い叫び声のような音が虚空に響いた。

 そのまま銃を発射した反作用で、私の上半身は手すりに乗っている両足を軸にボストンバッグの重みと一緒に下へと落ちていく。

 落ちていく私の耳には、銃声と窓の割れる音に気付いた二人組が2階に駆け上がる音が聞こえた。駆け上がる20代後半男性の心拍数は126回/分に上昇している。しかしもう一人、60代男性の方は70回/分とあまり驚いていないようであった。

 空中を落下しながら私は、あんな風に鈍感になるくらいなら年は取りたくないなとぽつりと思った。


 体に受ける衝撃が先だった。後から私と、先ほどエンジンをかけた音の主である軽トラックに積まれたクッション材がぶつかる音が耳に聞こえ、その衝撃音が私の耳にうるさく少し顔をしかめる。背中の痛みは一番最後でだった。軽トラックは衝撃を確認したと同時に走り出し、エンジンの回転数を上げた。ほんの5秒ほどで時速80キロまで速度を上げていく。なんちゅう魔改造軽トラだ、と心の中で伯父さんに辟易する。

 1分もしないうちに幹線道路に出た。車が行き交う騒音の中で「……誰もいないぞ」という呟き声が私の耳には聞こえた。軽トラの荷台に積まれた私は、自分の耳に集中する。

 風の音を意識から外し遮断をする。軽トラの後方で走っている何台かの車に意識を向け、手繰り寄せるように一台ずつの車中の音を聞き分ける。

 しばらく慎重に音を聞き分けていると、後方のいくつかの車の中には先ほど尋ねてきた人たちの仲間はいないと判断できた私は安堵して目を瞑った。伯父さんは流石だ。

「──タイミング完璧」

 私は小さく呟いた。


 佐藤家に帰ってきた軽トラックに積まれた私は、砂利道が敷いてある庭兼駐車場で降りた。というより、伯父さんに降ろされた。

 現場から家に帰るまでの距離で耳を休める為に目を瞑っていたが、衝撃緩衝用のクッション材の心地よさも相まって、眠りに落ちてしまった私をも、どうやらこのクッション材は緩衝してくれたらしい。伯父さんに起こされた声は微かに聞こえたが睡魔という名の魔物は私の身体を受け渡してくれず、私は『彼』の世界に囚えられたままだった。

 お姫様抱っこならどれほど格好がついただろう。しかし、残念ながら私からすれば伯父さんはもうすぐ還暦を迎えるおじいちゃんだ。そんな体力はおそらく無い。まるで3軒目をはしごした後の友人を介抱するように、私は肩に手を回す格好にさせられ伯父さんに抱えられていた。

「ただいま」と伯父さんは呑気に玄関を開けた。まず私と伯父さんに気付いたのは兄の礼斗だった。

「おかえり。随分遅かったじゃん」

 兄は眠っている私とそれを抱える伯父さんの構図に、僅か10%程の興味で気にかける。

「渋滞。非番か?」と伯父さんも20%程の興味で返す。

「そう」と答えた兄からは、眠りから覚めない私に対する0.5%程の心配も感じ取れなかった。

 そのままリビングに向かった兄は母の希美子に私が帰ってきたことを伝えた。

「あら、ごめんなさいね、礼一さん。礼央がこんなに遅くまで」と100%の申し訳なさで母は伯父の礼一に謝る。

「いや、大丈夫。暇だから。あ、ちょっとトイレ借りるね」

 伯父さんは母の申し訳なさを軽く流しリビングを通りトイレに向かった。

「ほら礼央。起きなさい」と母は私を何度か揺する。『彼』が私を囚えられるのもここまでらしい。私の意識がだんだんとこっちの世界に戻ってくる。さすがの睡眠の魔物も母の聖なる力には叶わないのだろう。「礼央」という母の声が睡魔の世界から出ようとする私の頬を軽く叩いた気がした。その衝撃と同時にこっちの世界に戻ってくる私。

「ん?」

 私は現状を理解出来ていないと理解する前に、自分の家に帰ってきた安心感が手の先から足の先まで伝わった。

「ただいま」

 私は睡眠の魔物と壮絶な戦いを繰り広げ、私をこっちの世界に戻してくれた救世主にひと声掛け、2階の自分の部屋に戻った。救世主は120%の心配な面持ちで私を目で追う。


 自分の部屋の扉を開けた私はそのままベットに倒れた。

 先ほどの伯父さんの軽トラックの荷台に積んであったクッション材よりもスプリングが効いていて、私の重さを緩和していくたびにギシギシと音が鳴った。そして少し開いた扉からオレンジ色の光が漏れる。廊下の暖色の蛍光灯の光がいつもより暖かく感じた。

 つけっぱなしのテレビの音が微かに聞こえる。さらに足音がいくつか聞こえ、母と伯父さん、兄の足音の物と耳で認識する。そこに祖母のやすゑの足音も聞こえる。

 何かを話しているが、今回は何を話してるのか私の耳は認識できなかった。普段なら、いとも簡単に聞き取れるが『彼』の世界へ手招きされてる以上は『耳が異常に発達している』という私の特徴であり、殺し屋としての武器は、『彼』にとっては絵に書いた餅ということらしい。しかし、私の耳に入ってきた私の家族の足音やテレビの音、一人ひとりの、言葉としては拙い会話の声は、何度も私を文字通り支えてくれた音であり、嬉しい時も、怒った時も、悲しい時も、楽しい時も部屋に籠もり、私の中と私と会話する時の音として耳にも心にも記憶されていた。この音が心地良い。私の愛用している音楽ストリーミングサイトで配信されないかなとくだらないことを思いながら、私は再び『彼』の世界へと足を踏み入れた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る