第一章・狡兎三窟
第3話・世界は未だプロローグ
魔族が宣戦布告をしたという情報は、僕たちの村にもすぐに届いた。しかし、あれから二年が経った今でも世界は平和そのものである。
どうやら、魔王が誕生したという情報を人間に与え、恐怖と混乱の渦に陥れることが目的だったようだ。魔王が成長するのに十年ほどかかるため、今は一種の冷戦状態らしい。わざわざ事前に教えてくれるなんてむしろ優しいのではないかと思ってしまうが、それは僕が転生者だからだろう。
魔王復活の報が世界に出回った直後、三人の勇者が見つかったらしい。僕を含め六人の勇者がいるため、半分が見つかったことになる。本物かどうかは、勇者にしか扱えない武器である神器で見分けるのだとか。そういえば、そんな知識も転生するときに与えられていた気がする。
僕の武器がどんなものか気になるが、正直、勇者として名乗り出るかどうかはかなり迷っている。というのも、様子を窺っていたら勇者は自分が勇者であるということを知っているとかいう情報を三人の中の誰かが言ったらしく、「魔族側が宣戦布告をしたのにすぐに出てこないなんて、勇者として信用できない」などという風潮が流れ始めたのだ。今更実は勇者ですなんて言っても、痛い目を見るのがおちだ。
勇者という言葉の響きにはとても惹かれるが、こうなったら裏でこそこそ動く系の方を目指そう。ある程度物語が進んだところで、事情があって隠れていた勇者として出ていくという設定だろうか。
しかしそうなると、気になるのは僕以外の判明していない勇者だ。二人がどんな意図で隠れているのか分からないが、もし僕と同族で設定が丸被りしてしまうとそれはもう悲惨なことになるのが目に見えている。
今朝の新聞には、勇者たちが学校でいい成績を取ったというニュースが載っていた。クラスでは目立たないあいつが実は……というのもやってみたいが、多少は諦めも必要だろう。
「お嬢様、どうぞ」
少し悲しい気持ちになりながら先ほどまで剣術の訓練をしていた女の子に水とタオルを差し出す。
この子の名前はアーネット・サステブル。十四歳だ。僕たちの村を含む大きな領地を持つ大貴族の三女である。剣術と魔法の腕は、同年代にかなう者なしと言われるほどだ。勇者を除いてだが。
しかし、それは表の顔。
二年前領内を視察していた彼女は運悪く魔族に襲われ、護衛の八割が死亡、二割が重傷という普通なら心が壊れてもおかしくないような事件に巻き込まれた。何とか村の外れまで逃げた彼女だったが、そこで二体の魔族と出くわしてしまう。しかし、謎の子供が颯爽と現れ、わずか数秒で魔族を片付けた。僕である。
九死に一生を得た彼女は、僕のことを神の使いか何かだと思ったのかその瞬間から僕に一生ついていくことを決めたらしい。
ただし、ついていくといってもそれは交際をするとか結婚するとかそういった類のものではなく、もはや崇拝である。
僕は勇者だから、あながち間違っていないところが何とも言い難い。
そして、彼女に了承を得た僕は執事としてサステブル家に就職したのだ。当然、僕が魔族を倒したということは隠している。しかし、アーネットと言えば屋敷の中に限らずその周辺の町でも大人気の令嬢であったためか、ほとんど何もしていないという僕の説得もむなしく英雄として祭り上げられかけた。
ギリギリのところで勇者が現れたという情報が出回り何とか事なきを得たが、あの時はかなり焦った。怪しまれて強制的に神器でも持たされたら一発でアウトだっただろう。
因みに、両親にはあの夜のうちに書いた手紙で説明をした。内容は、「天啓を授かったから旅に出る」というものである。嘘はついていない。あの村の人たちはみんな優しく好きだったが、いつまでもあそこにいるわけにはいかない。きっと納得してくれるだろう。
一人怪しい人はいるが、あの子も物分かりはいいし大丈夫だろう。……多分。
「ありがとう。ツェイン」
彼女はそう言いながら飛び切りの笑顔を見せる。まるで見世物のような視線を感じるが、僕が彼女に恋をするなんてことは絶対にないから期待しないでほしい。
屋敷の掃除をしながらこちらを見てくるあのメイドさんも、彼女の狂信者のような一面を知れば流石に引くだろう。僕はドン引きした。
普段はただの見習い使用人として働いている僕だが、夜や休日を使って毎日特訓に励んでいる。剣もそれなりに形にはなってきたし、魔法に関しては正直この屋敷に仕えている魔法使いでは相手にならないほどだ。
元々独学でやっていたが、この屋敷にはとても二年では読み切れない数の本がある。当然魔法に関する本もあり、一番メジャーだという教本は既に最高難度のものまでマスターした。
本来は才能のあるものでも習得に十年はかかると聞いたときは、自分は天才なのではないかと思った。しかし、よく考えてみたら僕は勇者なのだ。そのくらいの特典はあってしかるべきなのかもしれない。貰える物はとりあえず貰っておくのがポリシーだし、あって損はないからありがたく有効活用させてもらおう。
大いなる野望のため、今は力をつける時なのだ。
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