第25話:このまま野生の姿に戻れ

 コクヨウが放つ炎に合わせ、私は盾を全力展開した。左手の痛みを覚悟していたが、先ほどよりだいぶ改善されている。ふと横を見ると、ルチルが頷いてこちらを見ていた。どうやら会話の間に回復してくれていたらしい。助かる。


「くっ……!」


 全員を庇いながら防御する。手がしびれるくらいの圧を感じたが、何とか防ぎきる。


「へぇ……前の時より、扱いがうまくなっとるんやない?」


「そりゃどーも……」


「まぁ、防いでるだけじゃ勝てんからね。さて、どうする?」


 私たちから離れた場所でコハクが見ている。彼女に心配させるわけにはいかない。――不幸にさせるわけにも、いかない。


「――援護、頼む」


 言葉と同時に青色の風が駆けた。カルクさんが文字通り目にも止まらない速さで移動し、コクヨウに迫る。


「私も接近する! スピネル! ルチル! 援護お願い!」


 カルクさんと比べると悲しいほど遅いが、コクヨウに向けて走る。少しでも意識が散らせれば……!


 同時に、スピネルはコクヨウに向けて魔弾を放っていた。ルチルも魔術で遠距離攻撃を仕掛けている。今私たちができる援護はこのくらいだ。カルクさんに掛けるしかない――!


「――効かんねぇ」


 コクヨウは呟くと、視線をちらり、とこちらに向けた。それだけで、魔弾も、魔術も、私自身も、吹き飛ばされる――! ダメだ、次元が違う。カルクさんは――?


「へぇ」


 コクヨウが笑みを浮かべた。カルクさんはコクヨウからの不可視の衝撃波を躱し、彼女に迫っていた。


「――貫け!」


 そのまま、伸びあがるような突きを放つ。彼女の持つ魔導具は槍。その先端の刃は魔力で構築されており、通常の突きに加えて魔力の刃を自由に伸ばせるようだ。つまり――普通の槍よりもずっと遠くから攻撃を仕掛けられるということ。


 流れるように突き出された槍。その先端から魔力の刃が伸びる。彼女の毛と同じ、深い青色の刃が、コクヨウの喉元に迫る。が。


 ぴたり、と、その首元で刃は静止していた。コクヨウの防御魔術だろう。恐ろしく強固だ。全身に見えない鎧を着ているかのよう。カルクさんは通用しないと見るや、後方に飛び退り――、槍に、魔力を込めた。そして、振りかぶるような体制を取ると――。


「――翔べ!」


 そのまま、槍を投じた。先端から出た魔力が、槍全体を包み推進する。投じられた槍は急加速し、再びコクヨウへ襲い掛かる――!


「あらら。さすがにこりゃ避けたほうがええな」


 のんきに言いながら、その場で浮遊し中空を高速移動するコクヨウ。……飛行もできるのか、マジで化け物だ。


 だが、カルクさんの槍はコクヨウの高速移動に合わせて軌道を変え、追尾する。――すごい。あれ、めちゃくちゃ強力な魔導具じゃない?


「ん? なんなんそれずるない? ならちょっと急いで――」


「射出」


 槍の先端――魔力の刃が、高速で移動するその状態からさらに、撃ち出された。さすがにこれは読み切れなかったか、コクヨウは両手に魔力を込め、それを何とか止める。だが――。


「――爆ぜろ」


「お?」


 魔力の刃が、輝きを放ち、膨れ上がったと思った瞬間――大爆発。コクヨウは煙に包まれた。だが――カルクさんはそこで終わらない。地面に落ちた槍の本体を回収すると、そのまま全速で煙の中心部に向け跳躍する。


「――穿て!」


 魔力の刃を再び生み出し、全力で槍を突き入れた。――さすがにこれなら、少なくともダメージは与えられたはず! 私も急いでカルクさんの方に駆け寄る。――その、背後に、人影が突然。


「カルクさん! 後ろ!」


「残念やね」


 ずぶり、と、コクヨウの右腕が、カルクさんの胸を貫く。――――え?


「…………転移、か。忘れていたよ。君、妖狐だったな」


「いや、驚いたわ。あんた強いなぁ。これより上がまだおるんやろ? そりゃグレンじゃ勝てんな」


 カルクさんを貫きながら、感心したように告げるコクヨウ。


「その手――どけろぉー!!!」


 私はカルクさんに駆け寄り、コクヨウに剣を突き入れた。……当然あっさりと空中に逃げられたが、取りあえずカルクさんを回収するのが先決だ。


「ルチル! 回復を!」


「は、はいぃ! 行きますぅ!」


 駆け寄ってくるルチルにカルクさんを任せ、私は二人が戦闘に巻き込まれないよう少し移動し、コクヨウと対峙する。


「どう考えても、あんたらじゃ勝てんよ。降参せん?」


「降参しても、コハクを連れて行くんでしょう?」


「そやね。あと、あの町にある、作戦本部? みたいな場所を潰しとかんとな。グレンと私のほかに魔族二人来とるけど、ちょっとみたいでな。私がちょっと頑張らなあかんのよ」


 面倒だ、というような口調。彼女にとって、この状況は日常と何ら変わらない、それこそちょっとした運動くらいなのだろう。――私たちは命懸けだが、彼女コクヨウにとっては戯れ、面倒な作業、だ。そのくらいの実力差がある。悔しいが、どうしようもできない。


「――だったら、逃げるわけにはいかない」


 もしかしたらコハクにとって、母親のもとに行くのは幸せなことなのかもしれない。私が抵抗したところで、この町の運命は変わらないかもしれない。――でも。


「何もせずにいるなんて、できない」


「はぁ。まあええけど。じゃ、もう少し遊んだるわ」


 スピネルはカルクさんを背負い、コハクのいる場所まで連れて行った。ルチルがそこで治療を開始する。……治るといいけど。


「わかっとると思うけど、あんた殺すのなんて簡単、それこそ朝飯前や。ただな、そうすると、あの子狐さん、私のこと恨むやろ。別に無理やり連れてくでもええんやけどな。できるなら納得して来てもらう方がええ。これからの関係性もあるし、同種やしな、一応。せやから――」


 すぅ、と目を細めて、コクヨウはこちらを見た。


「死なん程度に痛めつけて、あんたを生かすことを取引材料に、自発的について来てもらうことにするわ。――まずは、これ、防いでみ」


 コクヨウの人差し指に、青白い炎が灯る。――それが加速度的に巨大化し……彼女自身よりも大きくなった。


「ほい」


 青い火球が、まるでシャボン玉のように、ゆっくりと私に迫る。それを見ながら、盾を、全力で展開した。――本能でわかる。アレは、気を抜いたら、死ぬ一撃だと。


「速度は出してへんから、純粋に火力だけや。それでも、あんたにはきついと思うで」


 盾に、炎が、ゆっくりと着弾する。爆発するわけではない。ただじりじりと、焼かれていく。


 自らを守るものが少しずつ、炙られ、焦げ、崩れ、溶けていく感触。当たればおそらく骨も残らない。それくらいの危険なものが、自らの生み出した盾を挟んで眼前にある恐怖。しかも、それが、ずっと続くのだ。一瞬で吹き飛ばされ、あるいは爆発して終わるのではない。ゆっくりと、少しずつ、減衰することなく近づいていてくる。


 汗が噴き出す。心臓が早鐘のように響く。死が迫ってくる感覚。死なない程度に、とは言っていたが、仮に直撃すれば――本当に、死んでいないだけ、の物体となるだろう。冒険者が続けられない、どころの騒ぎではない。日常生活すらまともに送れないような被害を受ける。――死ぬよりもそれが怖かった。こいつは、私を殺しはしないが、別に五体満足で生かしておく必要もないのだ。


「――くうぅぅぅぅぅ……!」


 泣きそうになりながらも、必死に抵抗する。でも、状況は変わらない。あとどのくらい保つ? 降参すればいいのか? そんな気持ちさえ生まれそうになる。――いっそ、死んでしまえば、楽になる――?


「アレク!」


 震える私の手を後ろから支えたのは、スピネルだった。抱き着くように、私の右手側を握っている。


「す、スピネル……」


「しっかりしろ! コハクを助けるんだろ!」


「で、でも……このままじゃ」


「お前ひとりで無理なら、あたしの力も貸してやる! こんなもん弾き返せ!」


 スピネルが、魔力を盾に注ぎ込む。盾が補強され、炎の浸食が弱まった。


「ええなぁ。友情。美しくって――虫唾が走るわ」


 コクヨウが、ほんの少し、息を、吹きかけるような仕草をした。――それだけで、炎は一気に勢いを増し、再びじりじりと盾を焼き始める。


「くっそ! 遊ばれてんな……!」


「スピネル、貴女だけでも逃げて……!」


「何言ってんだバカ! また自分を犠牲にしようとする気かよ、そういうの、嫌いなんだ。あたしの命も懸けてやる! いいから、考えるぞ! 何かいい手を!」


「――――」


 その言葉で、目が潤みそうになった。直後、近づいてくる足音が聞こえる。見なくてもわかる。誰が来たか。


「そうですよぉ! 私もいますから、なんとか、なる……? いいえぇ、しましょう!」


 ルチルが、私の左側に駆け寄ってきて、盾を支えてくれた。……大丈夫かな、カルクさんは。


「とりあえず、応急処置はして、意識は戻ったので彼女は大丈夫ですぅ! それより、今はこれをぉ!」


 ルチルは三人の中で一番魔力が多い。その効果で盾はさらに強度を増し、青い炎を押し返し始めた。


 その様子を、冷めた目でコクヨウは見ている。


「――は。楽しそうで何よりやね。ただ、残念ながら私も時間ないねんな。――終いや。ま、死んだら死んだで別にええからな」


 ぱちん、とコクヨウが右手の指を鳴らすと。ゆっくりとしか動いていなかった火球が一気に加速し、炎もさらに勢いを増した。――三人がかりでも、防ぎきれない。


「クッソ……!」


「なにか、何かないですかぁ……できること」


「…………やっぱり、私が」


『それはダメ!』


「じゃあ、どうしたら――!」


 そんなやり取りの中、少しずつ盾は削れ、そして――炎が、ついに、盾を食い破る。


 ――そこで、私の意識は途絶えた。

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