第15話:まだ足止める時間じゃない
大イノシシが咆哮と共に再び突進してきた。私は剣をイノシシに向け、足を踏ん張る。
「これで多少なりともダメージを与えられるはず……!」
イノシシはこちらの剣など意に介さない様子で突っ込んできた。イノシシの鼻先と私の剣が接触する。そして――。
バキン!
イノシシが首を大きく横に振ると、剣はあっさりとへし折れた。イノシシの鼻には傷一つない。
「うっそ!」
驚く暇もなく私は再び突進してきたイノシシに吹き飛ばされた。いったあああああー!!!
しかし私は囮である。その隙をついて背後からトウヤさんが片刃の剣を構えてイノシシに斬りつけた。足の付け根、動脈の辺りに深い傷が刻まれ、鮮血が噴き出す。間髪入れず傷口を狙うようにスピネルの矢が足に突き立った。――よし! 足を潰せば移動速度が落ちる。これならもしかして倒せるかも! そう思った矢先だった。
イノシシが咆哮を上げる。今度は衝撃波はなく、代わりに噴き出していた血が止まり、傷がみるみる塞がっていく。――回復ができるの!?
「雷よ!」
ヘイゼルさんの雷がイノシシに降り注ぎ、動きを止める。その隙を狙ってトウヤさんが駆けた。今度はイノシシの首元、動脈を深く斬りつける。――先ほど以上の鮮血。しかし……。
「……ダメだな、すぐに傷が塞がる。作戦を練るぞ!」
雷の影響でイノシシの動きが鈍っている間に私たちは集合した。
「見たな? 普通の武器ではおそらく倒せん」
「そうさねー。ありゃ困った。ここまで再生能力が高いとはね」
「あたしなんか完全に役立たずだなこりゃ」
「ちょ、ちょっといいですかぁ」
ルチルが手を上げる。
「おそらくですが、あれは自己治癒力の強化だと思いますぅ。切り傷は簡単に治ってるけど眼球の傷はなかなか治っていないので、損傷度合いによって治りやすさが違うのかとぉ。つまり、より治りづらい傷を与えれば、簡単には直らないと思われますぅ」
「治りづらい傷……なんだろ」
「そうですねぇ、例えば、傷口を焼けば簡単には治らないかとぉ。有名なヒュドラ退治の逸話にも傷口を焼いて再生を防いだ事例がありますしぃ」
なるほど。確かに焼かれた傷はそう簡単には治らないだろう。しかし……どうやって傷口を焼けばいいんだろう? あの速さで動く相手に松明なんかで焼けるとは思えないし……。
「ヘイゼル。火の術は使えるか?」
「うーん。一応最低限は使えるけど、威力は大したことないんよね。遠距離から傷口を焼くのは厳しいねえ」
トウヤさんとヘイゼルさんが相談しているが、残念ながら解決策はなさそうだ。手段は思いついたが実行する手段がない。いや、あるにはあるけど……。
「アレク、このまんまじゃ埒が明かない。あたしがコハクを連れてくる」
スピネルが言った。やっぱそうなるか……。確かに、彼女の操る炎なら、傷口を焼くくらい簡単にできるだろう。……できれば避けたいけど。
「嫌なのはわかるけど、あたしら全員やられたらどっちにしてもコハクは助からないからな。あと、一応他の案もあるから、先にそっちを試して、どうしようもなかったら、コハクに頼む形にしよう」
「もう一つの案?」
「ああ、輸送を頼まれた荷物の中に、魔道具あったろ? アレは元々コペルフェリアで設計されて、ガルセニアで制作されたものらしいんだわ。あの魔術都市で設計された魔道具なら、もしかしたらイノシシ退治の切り札になるかもしれない。……後で怒られる、っていうか買い取りさせられるかもしんないが、死ぬよりはマシだろ」
そういえば、メルトまでの運搬を頼まれた魔道具があった。大切なものだからしっかり守ってくれって言われてたっけ。
「オッケースピネル。私が許可する。急いでコハクと、魔道具持って来て!」
「了解! それまで耐えてくれよな!」
スピネルが走る。その様子を見て、痺れて動きが鈍っていたイノシシが再び動き出した。彼女を追いかけようと走りだす。
「させない!」
私の剣は折れているから、もう身を挺して守るしかない。全力でイノシシに体当たりをしたものの、あっさりと吹き飛ばされた。しかしその直後、イノシシに三度雷が降り注ぐ。
「なんか策があるんね? なら、あたしらも時間を稼がんとね」
「よくわからないが、あの狐の子が切り札になるのか?」
「はい! あの子、火の魔術が使えます! あと、運搬してた魔道具がもしかしたら使えるかもなので、一緒に取ってきてもらいます!」
「わかった。なら、スピネルが戻るまで、イノシシをここにとどめるぞ」
「はい! ルチル! もう一回強化と、回復ちょうだい!」
「はぃぃ! おまちを!」
再び、私たちはイノシシを取り囲み、戦闘に入る。――頼むよ、スピネル。
◆◇◆◇◆◇
スピネルが移動してしばらくの戦闘の後――私は、大イノシシを見上げていた。
魔獣には知性がある。スピネルの脱出が戦況を変える何らかの作戦だと気づいたのんだろう。そこから――大イノシシは本気を出した。つまり、今までは遊んでたということだ。
まず早々に、今までにない規模での衝撃波が放たれ、ルチルとヘイゼルさんが吹き飛ばされて意識を失った。辛うじて私とトウヤさんは倒れなかったけど、倒れた二人の介抱をすべく後退。その瞬間――イノシシは、ニヤリと笑った。嘘のように思えるかもしれないけれど、確かに笑ったのだ。そうとしか思えない表情だった。そして――私は、避ける間もなく、走り寄ってきたイノシシに突き飛ばされ、お腹を踏みつけられたのだ。
本来、家を超えるサイズのイノシシに踏まれれば私の体はつぶれ、上半身と下半身は真っ二つだろう。今そうなっていないのは、イノシシがこちらを弄んでいるからだ。殺さないように。だけど苦痛を与えるように、定期的に体重をかけ、私が苦しむのを眺めている。――まったく、なんて趣味が悪い。
理屈はわからないが、苦痛や恐怖を受けた肉体は、魔獣にとって旨いらしいと聞いたことがある。こいつもおそらくそれを目当てに私をいたぶっているのだろう。
「――――ぐっ!」
何度目かの圧迫。喉から胃液がせりあがる。既に今日食べたものは吐いてしまった。くっそぅ……遊ばれてる。
私は必死に両手で押し返そうとするが、イノシシの足はびくともしない。意識が、段々、遠くなる。――ああ、ダメだ。これじゃ前と同じ。あの子に、心配させてしまう。
「――やめろぉ!」
たどたどしい声が響いた直後、イノシシが蒼い炎に包まれた。――ああ、くっそぅ、情けないなぁ。
さすがに悲鳴を上げて地面を転げまわるイノシシ。その隙に私は体を引きずるようにその場から離れる。
「アレク! 大丈夫か!」
スピネルがこちらに駆け寄ってきてくれた。ルチルのところにはコハクがイノシシを睨みつけて立っている。
「ごほっ。な、なんとかね……それよりコハク、大丈夫?」
「ああ、ほんとは遠くからこっそり狙うつもりだったんだが、さすがにお前ほっとくわけにもいかなかったし、コハクも冷静じゃいられなかったからな。仕方ない」
地面を転がっていたイノシシは、怒りの声を上げてこちらを睨んでいる。全身をこんがりと焦がしていたが、それでも大した傷は負っていなさそうだ。改めて、先日のオーガの比じゃないバケモノだと実感する。
「コハクの火でも、あの程度か……」
「まぁしゃーない。幸い、魔道具はいくつか持ってきたからな。とりあえずルチルを起こして、これ、使ってみてくれ」
スピネルが手渡してきたのは、何かの持ち手と、先端がないメイスのようなものだった。
「……これ、何?」
「よくわからんが、魔力を流せば発動するらしい。試してみてくれ。あいつは――あたしが止めとくから」
スピネルは手に一抱えほどの何かを持って、大イノシシを睨みつけていた。
「それ、魔道具……? ていうか、さすがに一人じゃ難しいでしょ……私も」
「その身体じゃ戦えないだろ。ルチル起こして、回復してもらってから戻ってきてくれ。――大丈夫だ。何とか時間くらい稼ぐ。それにな」
イノシシに向かって歩きながら、スピネルはポツリと言った。
「お前をあんな風にされて、あたしも怒ってるんだよ。倒せはしなくても、一矢報いてやるさ。任せとけ」
そういうとスピネルは、手に持った黒い塊――銃をイノシシに向けて構えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます