第3話

 視界に広がる、青い空と森の木々。

 さつきが寝ころんでいるのは、電線や建物などの人工物がいっさい見えない深い森の中だった。

 ここがアシュラの言っていたバグまみれの世界。かはわからないが、少なくともさつきの知っている場所ではないようだ。

 考えるのも嫌になって立ち上がれないでいると……顔に暗い影が落ち、きれいな青色の瞳がさつきの目とかち合った。

「うわわわぁあ⁉︎」

 誰かにのぞき込まれたのだとわかったとたんに体は跳ね起き、その謎の人物と距離をとるようにして後ずさる。

「びっ……びっくりしたぁ。ぞ、ゾンビとかじゃ、ないですよね?」

 さつきをおそるおそるみつめる青い瞳は恐怖で少しうるんでいる。

「私がゾンビに見えるっていうの」

「いっいえ、ちゃんと女の子に見えます!でも最近この辺りは魔物が増えていて、襲われた人たちはみんなゾンビになってしまうんです。だからてっきり……すみません」

 頭を下げながらその男の子は申し訳なさそうにあやまる。

 銀の髪、空色の瞳に白いローブを羽織ったさつきと同い年くらいの男の子だ。手には瞳と同じ色の石がはめ込まれた杖を持っている。

「僕の名前はシルフィ。治療魔術師を生業にしています。さっきも言ったようにこの辺りは魔物やゾンビが多いので、こんな所で寝ているのは危ないですよ。ええっと……」

「さつき、私はさつきっていうの。なんていうか……この辺りには初めてきて、勝手がわからなくて途方に暮れていたというか」

「迷子ですか?それは大変ですね。僕でよければ一番近くの街まで案内させてください」

「いいの?ありがとう!いい人なのね、シルフィ」

「いいえ、気にしないでください。人の助けになることが治癒魔術師の仕事ですから」

「仕事……私とそう変わらない年なのに、もう働いているの?」

「え?このアースでは十五歳にもなると教会から仕事が授けられるものですけど……さつきだってその手にしているものを見るに、剣士を生業にしているのでしょう?」

「えっ?」

 シルフィの言葉に自分の腰元を見ると、細身のレイピアがぶら下がっている。

「これは、いつの間に……」

 剣だけではない、よく見ると服装もそれに合わせた甲冑のようなものが肩や胸にもついている。まるでファンタジーゲームに出てくる剣士のような姿だった。

 己の服装の変化に驚いていると、ふいに後ろの茂みからガサガサと揺れる音がする。

「危ない、さつきさん!今すぐそこから離れてっ」

 シルフィの叫びに後ろを振り返ると、そこには体長2メートルにもなろうかという大きなムカデのような化け物がさつきに向かって襲いかかろうとしていたのだ。

「きゃあああっ」

 思わず悲鳴をあげるが、まるでそれが合図だったかのようにさつきが腰から提げているレイピアが突如として紫色の光を放ち瞬く。

「は〜い、ここでシュラくんのチュートリアルコーナーだよぉ!」

 のんびりした声色で、光の中から現れた小人がさつきに話しかけてくる。

 よく見ると先ほどさつきを雲の上から突き落とした男を二等身に縮めたような生き物が、目の前でふよふよと浮いていた。

「アンタ!さっきはよくもやってくれたわね」

 つい我を忘れて目の前のぬいぐるみサイズの神様モドキを掴みあげる。

「ちょっギブギブぎぶ〜!絶体絶命のピンチを助けてあげた恩人につかみかかるとかありえないんですけどぉ」

「ピンチって、あっそういえばさっきの巨大ムカデ……」

 ムカデはさつきに襲いかかろうとした体勢のまま、まるで時間が止まったかのように動きを止めている。

「どうして……」

「フフーン、今はオレのマスター権限でこのバグアースの時間を凍結させているからね。どう?少しはオレの偉大さがわかったかな」

「バグアース?」

「そう!正常なアースとは違って大きなバグを抱えたこの星をオレはバグアースと名づけました。わかりやすいでしょ?」

 小人のようなそいつはさつきの鼻先でえっへんと胸を張る。

「オレはこのヤバーイ世界のかわいいかわいい水先案内AIのシュラくんだよ!キミのバグ取りデバッグ作業を手伝う為にアシュラの人格を元にして生成されたサポートAIなのさ」

 そう言ってミニ版のアシュラことシュラは手をブイの字にして目の横にかざしウインクをした。

「オレの本体はそれなりに忙しくてね。さっきは何の説明もなしにこの世界に放り出されちゃったろう?本体の代わりにキミのやるべきことを説明したりするのがオレの役目だ。おわかりかい?」

「この世界をおかしくしているバグを取り除けって話だったけど」

「その通り!そしてそのバグはね、この世界では魔物という形で世界を脅かしているんだ。そう、ちょうどあんな具合にね」

 そう言ってシュラは固まった大ムカデを指さす。

「さっきシルフィが言ってた……」

「そう、しかも魔物に倒されたものは汚染されて新たなバグとして生まれ変わる。それらはゾンビって呼ばれているね」

「それじゃ魔物を倒したってキリないじゃない!私一人でどうしろっていうのよ」

「落ち着いて、さつき。この世界の人々だってただ魔物バグにやられ続けているわけじゃない。そこの彼のように抗っている人たちだっているんだ」

「じゃあ、その人たちの手伝いをすればいいの?」

「いや、それじゃ他の世界からキミを呼んだ意味がない。キミにはこの世界を破滅に追いやる致命的なバグの排除をお願いしたいんだ」

「致命的なバグ……私はいったい何をすればいいの?」

「いい質問だね。このトチュリ地方の砂丘を越えた烈火の洞窟にすむ凶悪なドラゴン。それが目下のところキミが消滅させるべき最大のバグだよ」

「ドラ……ゴン?」

 あまりの無理難題にさつきは口をあんぐりと開けてしまう。

「ムリムリムリでしょ、絶対にむり!私は普通の女子中学生だって言ってるじゃない。ドラゴン退治なんてできるわけない!」

「このドラゴンはこのまま放っておくと百年後にはここら一帯の国を焼き払い、それが世界崩壊へとつながってしまうんだ」

「でも私なんかじゃ……」

「そこでこのデバッグソードの見せ所さ!」

 シュラはさつきの腰から提げられている剣の周りをくるりと一周してみせる。

「でばっぐそーど……」

「どんなバグでも一刺しすればあら不思議、中身を解析して最適な修正パッチをあてることができる優れもの!この世界にひとつだけの最強の武器さ」

「これが……私だけの、最強の武器」

 鞘から剣身を抜きデバッグソードを見る。

「刺すだけで、いいのね?」

「そう、刺すだけでバグなら確実にイチコロだよ。さあ!早速そのデバッグソードの威力を試してみよう」

 そう言って大ムカデを指さすシュラ。

「この程度のバグなら一突きで消滅させられるはずさ。それじゃあ時間を元の速度に戻すよ。そぉれ!」

 どこから出したのかシュラが星形のステッキを振ると、再び紫色の光が明滅しその場の時間が流れ出す。

「とりゃぁああああ!!」

 大ムカデが動き出す前に、さつきはレイピアを横腹に突き刺した。

 すると剣先から複雑な数列と文字列が蛍光色で浮かびあがり、うめき声とともにムカデの体が分解されていく。

「バグの消滅を確認。デバッグが完了しました」

 まるで機械音声の案内のように、シュラが淡々と事実を告げる。どうやら初のデバッグ作業はうまくいったようである。

「わ、わっ……」

 動き出したシルフィが、消滅していく魔物を見ながら声にならない様子で驚いている。

「シルフィ!動けるようになったのね」

「モンスターが現れたかと思ったらあっというまに消滅させるなんて、キミはいったい……うわっ!なんだこれ!?」

 目の前に突然現れたシュラのことを言っているのだろう。

「これとは失礼だな〜。これでも創造主の写し身なんだから、せいぜい敬いなよ現地住民」

「この尊大な態度、小さな体……文献で見た妖精に似ている。それとも精霊かな?魔物ではないみたいだけど」

「そう!オレは妖精のシュラ。さつきの相棒なんだ」

仮にも神様の分身が堂々と嘘をついていた。

「へぇ、妖精なんて初めて見た。もう妖精の住める清浄な地がなくなって絶滅したと聞いていたけれど、さつきはすごい相棒がいるんですね」

「えっ、うん。まあね……」

 シュラがほめそやされていることが微妙に釈然とせず、思わず苦笑いで返す。

「二人はどうしてこんな所に?今このあたりは魔物が大量発生していて、危険区域に指定されているのに……」

「魔物の大量発生……この剣さえあれば今みたいに魔物を消滅させられるんだよね」

 振り返ってシュラに問いかける。

「もっちろん♪だからって一体ずつ駆除してる暇なんてないよ。倒してる間にまた新しいバグが生まれてくるんだからね」

「でもこの辺りの人たちは困ってるんでしょ。だったら……」

 自分の力でなんとかできるなら、そう思って手の中にある剣を握りしめる。

「さっきも言ったろう。ここら一帯のバグの原因は烈火の洞窟に住まうドラゴンだ。そのドラゴンさえ修正できれば小さなバグも自ずと消えていくんだから……」

「ドラゴン!?お二人はドラゴンを討伐されるおつもりなんですか!?」

 二人の会話に食い込むようにシルフィが驚きの声をあげる。

「そうだよ。オレとさつきはこの辺境の地を脅かしているというドラゴンを退治する為に旅をしてきたんだ」

「そんなっ無謀ですよ、ドラゴンを倒すなんて」

「でも……倒さないと家に帰れないの。シルフィ、よかったらその烈火の洞窟の場所を教えてもらえると嬉しいのだけど」

 さつきのその言葉にシルフィは血相を変えて反論する。

「さつきさんはドラゴンの恐ろしさを知らないからそんなことが言えるんです。馬鹿なことはやめてボクと一緒に近くの町まで避難しましょう」

「そうしたいのは山々だけど、これは私がやらなきゃいけないことだから。それにドラゴンを倒せば大量発生したバグ……魔物もいなくなるみたいだし。その為にも私、行きたいの」

 どうあってもさつきとシュラの意志を変えることは難しいと悟り、シルフィは大きくため息をついた。

「……わかりました。どうしても行くというのなら僕も連れていってください。攻撃魔法は使えませんが、少しはお役に立てると思います」

「いいの?シルフィ」

「男に二言はありません。あなた方を無駄死にさせるわけにはいきませんから」

 シルフィはそう言って、きりりとした表情で森の外に続く道を睨みつける。

「それじゃあ洞窟までの案内頼むよ、そばかす少年。ゴーゴー!」

「うう……やっぱり、やめておけばよかったかな」

「ゴーゴー!!」

 気後れするシルフィの背中を強引に押し進めるシュラを眺めながら、さつきもその後に続くのだった。

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