よいか。下僕は素直に我に従うのじゃ。のじゃー

新巻へもん

第1話

「のう……。そこのお主。お主じゃ。ほれ、今左右を見回しておるお主じゃ。そんなキツネにつままれたような顔をせんでもええじゃろう。……そう。今右手の指で鼻を指したお主じゃ。なんとも間の抜けた面をしておる。ようやく自分と気づいたか。今度は物の怪にでも逢うたような顔をしたな。そうか。我の姿は見えぬか。寂しいものじゃ」


「お化けじゃと。まったく失礼な奴じゃな。まあ、姿が見えぬのであれば仕方ないのう。姿を現せば別の意味で驚かせてやれるのじゃが。顔色が落ち着いたと思うたら、何を憤然としておるのじゃ? なに? 間の抜けたと言われたのが気に入らぬと? そこに転がる古桶に溜まった水に顔を映してみるがいい。どうじゃ、我の言うたとおりであろう?」


「で、このような場所に一人で何をしにきた? 道にでも迷うたか? ここで逢うたのも何かの縁よ。人里の方へ案内してやろう。……違う。そうか。確かにこんな場所にわざわざ来る物好きもおらんじゃろうからなあ。ならば、何ゆえにこんなところへ、無精ひげも伸びて今にも死にそうな顔で来たのじゃ?」


「ふむ。今度は図星という顔をしておるの。なに? 死にに来たと? 人の目に触れぬところで誰にも迷惑をかけずに死にたい? ならぬ、ならぬ。ここをどこと心得る。我の庭で野垂れ死にされてはかなわん。な、なにを急に泣き出すのじゃ。死ぬときまで疎まれるのが悲しいとな」


「そうは言うがな。お主の家にわざわざ他人が上がり込んできて、そこで死なれてはお主も嫌じゃろう。そりゃそうだと? ならば分かるじゃろう。同じことじゃ。なに? ここは家でもなんでもないと? まったく近頃の者はそんなことも知らぬのか。ほれ、お前が通ってきたその二本の柱があるじゃろう? あれが我が家の玄関にあたる鳥居じゃ」


「なに? 笠木も無いから分からぬと? ぐぬぬ。痛いところを突いてくる男じゃなあ。誰も世話する者が居らぬから朽ちて落ちたのじゃ。ほれ、お前が乗り越えたその木がそれよ。どうした? 跨ぐなど畏れ多いとな。ふむ。今どき珍しいな。気にするでない。知らなかったのであろう。別に我は気にせん」


「どうした? 急に首をすくめて? 何? 我は神かと問うておるのか? うむ。よくぞ聞いてくれた。この辺り三里四方を治めておるぞ。なんだ。急に歯の根も合わぬようになって? 祟りが怖いと? たわけ。故なく人を祟る神などおるか。我はそこまで狭量では無いぞ。無礼を働いた? だから我が気にせぬというておるじゃろうが」


「今度は何でそんなに大口を開けてポカンとしておる? なに? はっきりと言わぬか。何を言うておるか分からん。わらしの幽霊がおると? どこにも居らぬではないか? 神域にそのようなものがおるわけ……、その指、我を指しておるのか? そうか、そうか、薄ぼんやりとではあるが我が見えるか」


「なに? 透けているが可愛らしいとな? まったく……。あ、これ、別に叱っておらぬ。我が可愛らしいのは当たり前という話をしたかっただけじゃ。人の子の分際で美醜を口にしたからというて罰を与えたりはせぬ。ほれ、正直に言うて良いぞ。ん? 千年に一人の美少女とな。まあ、そこそこに妥当な評価ではないか。そんなにまじまじと見んでも……」


「どうした急に顔を伏せて。こんなに神々しい姿を見たら罰を与えられるかもしれないと? どこのつ国の話をしておる。確かアルテミスとか言うたかの。あちらは脱衣じゃ。ちと状況も違うぞ。まあ、我が人の前に姿を現すのも久しぶりゆえ、特に許す。好きなだけ目に焼き付けるが良い。どうした? 急にさっぱりとした顔になって。最期にいいものを見れたから、もうこの世に未練はないとな? ……どうじゃ、袖振り合うも多生の縁。もう少し我と話をせぬか?」

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