第2話

「あらあら、その様子では、能力記録会に間にあいませんわね?」


ローズ様は、マリネさんを見下ろして嘲る笑みを浮かべていた。

彼女の視線の先、マリネさんの履いた靴は、パックリとソールが剥がれてしまっている。

今から始まる記録会は、この学園で指定された運動靴でしか参加が認められなかった。


「切り込みが入れられてたのよ!こんなの…」

「それならば犯人捜しをしなければいけませんね?先生方にはお伝えしましたか?」

「こんな真似をするのは、あんた以外にいないじゃない!」

「ずいぶんな嫌われ様ですわね。ねぇ?皆様、私、今日はずっと皆様と過ごしていましたよね?」


校庭の隅で言い争うローズ様とマリネさん。

ローズ様の周囲には、彼女に付き従う"ご学友"達がいて、彼らは皆一様に、ローズ様の言葉に頷いていた。


「あぁ、断じてローズ様が手を出せる隙は無かった!」

「そうよ!ローズ様は堂々となさってる。マリネと競うのを楽しみにしておられたわ!」


彼らの強い口調がマリネさんにぶつけられる。

マリネさんにとっても、今言われた言葉は否定しようが無い事実…

彼女は奥歯を噛み締めて、今にも飛び掛かっていきそうな視線をローズ様に向けた。


「この…」


才能がある故に分かっている表情。

感情よりも論理的な判断を下せるからこその表情。

彼女はわなわなと震えながら、ローズ様を睨みつける。


私は、遠くからその様子を眺め…

そして、手にしたカッターナイフをそっとポケットの中に入れた。

少々手荒だったが、仕方がない。

これは、この先の未来の為に必要な行動だから…


・・・


高校生になって、ローズ様とマリネさんの争いは更に際どい領域に達し始めていた。

ローズ様は、常に血の滲むような努力を重ねてマリネさんに挑み…そして、その度に打ち破れ、最後は私と共に考えた計略…プランBのお蔭で"見かけ上の勝利"を得る。

そんな日々が続いていた。


「オーッホッホッホッホ!マリネさん、今回も惜しかったですわね?」

「惜しいんじゃない、嵌められたの!何故か機械が反応しなかった…あんたのせいでね!」


「マリネさん、その包丁、随分と切れ味が悪くなくて?」

「く…」


「あらあら、教師に直談判だなんて、らしくないことを」

「うるさい!お前が…!」


「マリネさん、随分と過激な思想をお持ちですのね」

「そんなはずないでしょ!私は、あんな薄汚れた考えなんて持ってない!」


ローズ様は、絵にかいたような…"ステレオタイプ"の悪役令嬢なのだろう。

私と共に、ローズ様個人の力では太刀打ち出来ない部分を補う…

マリネさんに"少しだけ"躓いてもらう…

そのためには、家の力も、取り巻きの力を使う事すらも厭わない…

ただ、"宇宙飛行士"になるため…あの日、ローズ様は、なりふり構わぬと決めたのだから。


私は、ローズ様に従うだけだ。

彼女が苦手とする"計略"を巡らせて実行に移すだけ。

彼女は、情報の処理と正しい答えを見つける事しか出来ないから…

気が付けば、私はローズ様に…ローズ様は私に依存するような間柄が出来上がっていた。


「マリネさん」


長い長い学校生活も、残り半年を迎えた頃。

全てが"思った通り"に進んでいた時、"宇宙飛行士"にほぼ内定していたローズ様は、マリネさんを学校裏に呼び出した。


「何よ」


まだ、"夢"に対して諦めが見られないマリネさんは、ローズ様を睨みつける。

何度も見てきた2人のやり取り、普段と違うのは、マリネさんがローズ様に食って掛かる構図ではなく、ローズ様がマリネさんを呼び出したという事。


「次の学力考査と能力記録会で最後ですわね」

「だから何?今度はどんな邪魔をしてくる気?私は最後まで諦めないわ!」

「まさか、"今までの様に"何も手出しはしませんわ。最後も"正々堂々と"戦いましょう?」


そう言って握手を求めるローズ様、マリネさんはその手を突っぱねた。


「最低な女ね。話はそれだけ?」


怒った様子のマリネさん、ローズ様は曖昧な笑みを浮かべて小さく頷く。

それを見ていた私には、何となくこれから先に起きる出来事が想像できてしまった。


・・・


「ローズ様、良かったのですか?」


高校生活最後の日、卒業式を終えて家に戻った後、私はローズ様に"あの日"の事を尋ねる。

最後の学力考査、能力記録会…どちらも、私には"マリネさんを邪魔する"用意があった。

だが、ローズ様はそれを拒み、最初で最後の"正々堂々とした"勝負に挑み、そして僅かな差で負けたのだ。


「良いのです。何度突き落としても這い上がってくる…彼女は、決して折れませんでしたから」


広さ以外に"何も無い"ローズ様の部屋、太陽の光が翳り行く最中、窓際に佇んだ彼女はどこか寂し気で、それでも清々しいといった表情で私を見つめる。


「半年間、考えた結果なのですよ。悪役令嬢は、最後に打倒されて終わるべきでしょう」

「それは創作の中だけです。ローズ様、あの時、私の準備は出来ておりました」

「知っていますよ。バロン、私の家に長年仕えるお前が間違いを犯すはずが無いですもの」


そう言うと、ローズ様は私の方に一歩、そっと近寄ってくる。


「言ったでしょう?半年間、考えたと」

「はい…ですが、一体何を?」

「これから先、私はこの街に囚われた一生を送るのですよ?」

「そうなってしまいますね」

「街の盟主として、薄汚れた企業の幹部と会食したり…時には"在りもしない都合"の為に汚れ仕事をする時だって来るでしょう」

「はい…その通りです」

「そのためには、"夢"を諦めた分、ささやかな楽しみが無くてはなりません」


そう言いながら、私の目の前まで近づいてきたローズ様。

彼女は私に手を伸ばし、そっと私に抱き着いてきた。


「ローズ様、私はただの執事ですよ?」


ローズ様の意図は理解できた。

まさか、ここまで…ここまで、"態度"に表わすようになるとは…

だが、これを是とするかは、別だろう。


「何を今更。意味が分かった上で言ってますか?」

「はい。もちろんです…しかし…」

「立場が違うと言いたいのね?」

「はい…」

「バロン、この時代に"随分と錆び付いた"事をやらせようとするのですね。お父様が何と言おうが、周りがどう思おうが、関係ないわ。私は…バロン…お前にしか全てを捧げないと決めたのですから」


抱き着いたまま、私の顔を見ないで言い切ったローズ様。

顔なんて見なくても、体温を感じ取れば全て分かる…彼女は今、顔を真っ赤にして一世一代の告白とやらをしてくれたのだろう。


「…ありがとうございます。ローズ様…いや、ローズ」


予想通り、全てが"思った通り"に進んでいた…何も問題はない。

私は、"彼女にしている隠し事"を内に仕舞いこみ、彼女を抱きしめた。

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