第7話

 微信(中国版LINE)のメッセージで示された住所は山梨県の山中だ。地図アプリには施設情報がない。罠と分かっていても行くしかない。

「俺たちも行くぜ」

 榊が立ち上がり、愛車のBMWのキーを手にする。その目には鋭い光が宿る。

「奴らはデータを取り戻したいはずだ。俺なら交渉できる」

 高谷と榊は目線を交わして頷きあう。


「お前の手に負えないなら手伝うのはやぶさかではない」

 曹瑛もNinjaのキーを弄んでいる。出発する気満々だ。

「俺も行くよ。誘拐なんて卑劣な奴ら、許せない」

 伊織は義侠心を燃やして拳を握りしめる。

「お、お前ら」

 孫景は仲間たちの心意気に目頭を押さえた。滲む涙を拭いながら鼻息荒く階段を降りていく。


***


 首都高速を西へひた走る。孫景の運転するジムニーはアクセルべた踏みで大型トラックの間を軽妙にすり抜けていく。妹を拐われて激昂しているかと思いきや、ハンドル捌きは冷静なものだ。

 ジェットコースターのようなスピード感に助手席の伊織が頭を抱える。孫景は車の運転からヘリの操縦までそつなくこなすが、そのアグレッシブさに同乗者は絶叫アトラクションを体験することになる。小さい頃、漁師の祖父について荒波に揉まれる漁船に乗っていた伊織でも気を抜いたら悪酔いそうだ。


 榊が頑なに自分の愛車で向かうと言ったのは、男四人で手狭な軽四に詰め込まれるむさ苦しさのストレスよりも孫景の豪快な運転のためだ。高谷も一度、同乗して目を回したことがある。

「俺はハンドルは自分で握る主義だ」と胸を張っていた榊もいつぞやは孫景の運転を体験して青ざめていた。


「全くあいつは気が強くてな、曲がったことを嫌う」

 ハンドルを握る孫景の表情が微かに緩む。ガタイが大きく顔も厳ついため粗野な印象を持たれがちだが、大らかで懐の深さを感じさせる。

「香月は医学部の入学試験で同級生の不正に気が付いたんだ。親は土地の権力者でな、誰も逆らえない」

 だが、香月は同級生を諭した。今からこんな不正をして患者の命を救う医者になれるのかと。彼は思い直し、親の間違った支援をはねのけて留年し、熱心に勉強に励んだ。そして翌年合格したという。


「きっと孫景さんの背中を見てきたんだよ」

「ははは、俺はろくでなしの兄貴だよ」

 孫景は照れ隠しに鼻を鳴らす。

「瑛さんが一人で鳳凰会の取引に向かったとき、助けてくれたでしょ」

「ふん、あいつとは腐れ縁だからな」

 義理人情に厚い男だ、と伊織は思う。ポケットのスマホが振動し、高谷からラインのメッセージが入った。


「指定の場所はカツラギ製薬の工場跡地らしい。今は廃墟になってるって。あっ、この先のインターを降りてください」

 カツラギ製薬は今回の治験を持ちかけた製薬会社だ。製薬会社もこの不正に一枚噛んでいるに違いない。ジムニーは料金所を通過し、街灯のない暗い山道を走る。ヘッドライトが傾きかけた古い看板を照らす。日焼けした文字は「未来をつくるカツラギ製薬」とかろうじて読めた。


 カーブを曲がると、森が開けて巨大な建造物が見えてきた。

「工場跡地だ」

 三年前に移転しており、廃墟と化している。門の前にジムニーを駐車した。少し遅れて榊のBMWが到着する。

「軽四なのによくもそんなスピードが出るもんだ」

「小回りが効くんだよ」

 ジムニーに撒かれた榊は追いつくのが大変だったとぼやく。連絡は無いが、Ninjaで出発した曹瑛もここにいるはずだ。


 広大な駐車場脇には廃材が積み上げられ、解体作業が進んでいるようだ。工場のシャッターから明かりが漏れている。

 榊と高谷が工場内に入っていく。工事用の発電機のモーター音ががらんとした空間に響く。煌々とした電灯に照らされているのはパイプ椅子に後ろ手に縛られた香月だ。伊原組の佐川と中津がステンレスの作業台に腰掛けてタバコを吹かしている。


「ようやく来たか、待ちくたびれたぞ」

 背後にタイヤをハの字にしたシャコタンのクラウンとワンボックスが二台。半グレ連中を引き連れて二人は余裕の構えだ。

「あのデカブツはいねえのか。あいつを呼んだはずだ」

 中津が忌々しげに煙草を投げ棄てる。

「奴は今向かっている」

「チッ、まあいい。研究データを寄越せ。それと俺たちの写真もだ」

 佐川は榊の前に立つ。上背があり、精悍な顔立ちの迫力のある男だ。


「データはこの中だ。人質を解放しろ」

 榊は佐川を鋭い眼光で射貫く。佐川はその迫力に思わず息を呑む。しかしここで引いては極道の名折れだ。

 その脇に立つ高谷が小型のハードディスクドライブをポケットから取り出してみせる。この状況に動揺の素振りはない。


 中津の合図で車の周辺でたむろしていた半グレどもが榊と高谷を取り囲み始める。その手には金属バットにチェーン、特殊警棒を持っている。にやついた笑みを浮かべた顔は卑劣に歪んでいる。

「馬鹿か、お前ら。この女は計画を知って脅してきやがった。返すわけにはいかねえよ」

 中津が屈み込んで榊の顔を覗き込む。榊は唇を引き結び、中津を睨み付ける。

「お前らもだ。ここは取り壊しが進んで更地になる。お前らを埋めるにはちょうど良い」

 佐川は肩を揺らして笑う。


「やめなさい、卑怯者」

 香月が叫ぶ。怒りに任せてパイプ椅子を浮かせて暴れている。勢いのまま横転した。

「ったく、うるさい女だ。おい、押さえつけとけ」

 苛立った中津が半グレの一人に命じる。ヒョウ柄にバロック風の金色の唐草文様を組み合わせたド派手なシャツの男が香月の元に走る。

「おとなしくしろ」

 柄シャツの男はパイプ椅子ごと香月を起こし、背後に回り込みロープを締め直す。


「お前らに選択肢はないぜ。そいつを寄越せ」

 佐川が高谷の持つハードディスクドライブを奪い取る。高谷は無言のまま佐川を見据えている。佐川はハードディスクドライブを床に投げ捨てる。半グレの一人が鉄パイプで叩き割った。

「その生意気な目が気に入らねえ。えぐり出してやる」

 中津が榊の頬にバタフライナイフをピタリと当てる。榊は微動だにせず、口元に微かな笑みを浮かべる。


 突如、背後で破壊音が響く。シャッターを壊し、大型のホイールローダーが突っ込んできた。

「なんだありゃ」

 中津が頓狂な叫び声を上げる。呆気に取られていた半グレたちも騒然とし始める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る