第10話

 夜は更けて、優しいクリスマスソングと温かいイルミネーションに包まれる都内に雪が舞い落ちる。朝になれば街は雪化粧に覆われるだろう。

 全面ガラス張りの窓から超高層ビル群の夜景を望むホテル最上階のラウンジは、クリスマスを祝う人で賑わっている。

 見事なクリスマスツリーと一流シェフのプロデュースした創作料理、フロア内には穏やかな雪降る夜にぴったりのジャズが流れている。


「クリスマスを君と祝えるなんて、奇跡が起きた気持ちだよ。英臣」

 オーダーメイドの黒のスーツ姿で正装したライアンは喜びに頬を染め、幸せな笑みを浮かべる。

「今日は特別な夜だ、お前と過ごすと決めていたよ」

 榊は縁なし眼鏡に艶やかな長い前髪を後ろに撫でつけ、黒いスーツにダークグレーのシャツ、ミッドナイトブルーのタイを締めている。ダウンライトが照らす恋人の凜々しい姿に、ライアンは胸の鼓動が知らず早くなる。


「聖なる夜に乾杯」

 榊がグラスを掲げる。クリスタルグラスの重なる涼やかな音が響き、ピンクゴールドのシャンパンが揺れる。ライアンがグラスに口をつけようとした瞬間。

「抹茶のロールケーキ」

 手にした皿にすでに山盛りのスイーツを乗せた曹瑛が、テーブルに並ぶ新しく運ばれてきたロールケーキに手を伸ばす。曹瑛の腕が榊の背中にぶつかり、バランスを崩した榊をライアンが受け止める。


 弾みでライアンのスーツにシャンパンがかかる。

「ライアン、すまない」

 榊は申し訳なさそうに胸ポケットからスカーフを取り出し、ライアンのスーツに飛んだシャンパンを丁寧に拭き取る。

「構わないよ、英臣」

 普段ガードの堅い英臣に合法的に抱きつくことができてラッキーだ、ライアンはほくそ笑む。

 曹瑛はロールケーキを美味しそうに口に運んでいる。


「日本ではクリスマスにはケーキを買って祝う。俺も子供の頃にはいちごのショートケーキを楽しみにしていた」

 榊はデザートビュッフェのプレートから一口サイズのいちごのケーキを皿に取る。

「ライアン、甘いものは平気だったか」

「もちろん、いちごのケーキは大好きだ」

 悪戯っぽく微笑む榊に、ライアンは目を細める。榊はケーキをフォークに刺し、手ずから食べさせようとライアンの口元に持って行く。


「ああ英臣、なんて大胆な。周りの客が見ている」

「今日は特別な夜だろう、奇跡はいくつでも起きるんだよ」

 榊の甘い言葉に、ライアンが照れながらも口を開ける。

「芋ようかん」

 曹瑛が新しく届いたデザートビュッフェに手を伸ばした。曹瑛の肩が榊の背中にぶつかり、衝撃でフォークを持つ手が揺れた。


「ライアン、すまない」

 狙いを外したショートケーキのクリームがライアンの頬にべったりとついている。

「構わないよ、英臣」

 ライアンは気恥ずかしそうにペロリと舌でクリームを舐め取る。子供じみた仕草に、榊は小さく笑う。ライアンもおかしくなって笑った。


「まだ頬にクリームがついている。スーツもシャンパンで濡れたままだ、部屋で乾かそう」

「まさか、誘っているのか英臣」

 ライアンは驚きと喜びに頬を赤く染める。

「インペリアルスイートを予約してある。ゆっくり飲み直そう」

 榊はライアンの耳元で囁く。熱い吐息が耳たぶをくすぐり、ライアンは官能に震える。


 ***


「夢の中の君はスマートかつ大胆だ。惚れ直したよ」

 ライアンが延々語る甘ったるい夢の話に、BMWのハンドルを握る榊は片方の手で耳を塞いでいた。

「榊さん、運転に支障がでるから聞かなくていいよ」

 もう片方を塞ぐのは高谷だ。

「それ以上戯れ言をほざくなら、車を降りろ。歩いて神保町へ行け」

 榊は苦々しい顔でバックミラーに映るライアンを睨み付ける。ライアンは榊の鋭い視線に満面の笑みを返す。


「どうしてそう調子の良い夢が見られるんだよ」

 助手席に座る高谷はライアンの惚気に呆れている。何が恋人だ、と不満げに追い打ちをかけた。

 いつものコインパーキングにBMWを駐車して烏鵲堂へ向う。


 烏鵲堂の二階カフェスペースはクリスマスパーティの準備の真っ最中だ。曹瑛は厨房に立って料理を仕上げ、伊織はそれを盛り付けをしてテーブルに運んでいく。賑やかしにやってきた曹瑛の兄劉玲と仕事仲間の孫景もエプロン姿で手際よく手伝っていた。遅れてきたライアンと榊、高谷も早速水餃子にあんを包む作業を始める。


 赤色の中華風飾りが吊された小さなツリーに灯りを灯す。

 口水鶏、皮蛋豆腐、胡瓜と帆立の和え物、みんなで包んだ水餃子、車海老のチリソース、鍋包肉(衣をつけて揚げた豚ヒレ肉のあんかけ)、孜然羊肉(ラム肉炒め)大鍋に酸菜白肉鍋(発酵白菜のスープ)とテーブル一杯に料理が並ぶ。曹瑛の故郷ハルビンの東北料理がメインだ。

 クリスマスなど関係ない、と言っていた曹瑛だが当日には張り切って料理を作っていた。


「メリークリスマス」

 全員でグラスを掲げる。紹興酒、白酒、ビールに日本酒に高級シャンパンと酒好きの面々が持ち寄った持ち寄った酒が入り交じる。


「ニューヨークハンターファミリーのぼんぼんやないか、久しぶりやな」

 劉玲はライアンの肩をバシバシ叩く。酒に強いが、アルコール度数六十の白酒ですっかり出来上がっていた。

「これから組織はワールドワイドになる。あなたともそのうち組むことがあるかもしれないね」

 ライアンは劉玲の盃に白酒を注ぎ、劉玲も返杯する。上海とアメリカのマフィア幹部が仲良く酒を酌み交わす様子はなかなか見られるものではない。孫景は苛烈な裏社会を生きる二人のフランクな関係に感心している。


「まるで映画みたいな出来事だね」

 伊織は今日すばるで起きたことを高谷に聞いて、ひたすら驚いている。


「中国ではクリスマスに林檎を贈ると聞いた」

 榊が持ち込んだ白い箱からホールのアップルパイを取り出す。品川プリンスホテルベーカリーショップの逸品だ。

「苹果(林檎)の発音が平安と韻を踏んで、クリスマスを意味する平安夜に通じるからだと聞く。俺がガキの頃にはそんな話は無かったがな」 

 曹瑛が早速ナイフで六等分に切り分ける。


「来年も平和な年になりそうだね」

 ビールでほろ酔いの伊織が曹瑛の隣に座る。

「ああ、違いない」

 酒に酔った振りをしたライアンが榊に絡むのを他人事として眺めながら、曹瑛はアップルパイを頬張った。



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