第7話
ライアンが電話をかけて五分後、アートギャラリーすばるの店先に白のスポーツセダン、ポルシェタイカンが停まった。エンジンをかけたまま、運転席からクリスが降りたってライアンと交代する。助手席に高谷、後部座席に榊が乗り込んだ。
「君の道楽に付き合わされるのは骨が折れるよ。しかし、今日はクリスマスイブだ」
クリスは運転席のライアンを覗き込み、肩を竦めてみせる。
「恩に着るよ、クリス」
「気をつけろよ、ライアン」
クリスは瞬時に真顔になる。ライアンは不敵な笑みを浮かべて頷き、アクセルを踏み込んだ。
「思いのほか乱暴な手段に出たものだ」
榊は小さく舌打ちをする。
「英臣、結紀、付き合わせてすまない」
「店の客を目の前で拉致されて放っておけるか」
榊は苛立ちを露わにする。耀子を誘拐した男はいかつい欧米系だった。先日、曹瑛がすばるの前で見た男たちに違いない。狙いは展示品ではなく、バーキンの招待客である彼女だったのだ。
「奴らは首都高に乗ったよ」
高谷がタブレットの地図を確認している。地図上を移動するターゲットを目で追う。
「結紀、君はとてもクレバーだ」
ライアンは車線を変更し、首都高へ乗る。
すばるの商談スペースで耀子と話をしていたとき、高谷が小型GPSを彼女のバッグにしのばせておいたのだ。軍事用の衛星をハックしたもので、精度は車載器の比ではないという。
耀子を乗せた車は湾岸線から新木場で降りて、国道を進んでいる。
すぐに彼女に危害を加える馬鹿な真似はしないだろう。しかし、彼女が何も知らないとなれば、口封じに殺して海に投げるかもしれない。
彼女はショーンが大切にしていた人だ。絶対に守らなければ。ライアンはアクセスを踏み込む脚に力を込める。
海風が吹き付ける港湾の夜はクリスマスムードからはほど遠い。
黒のベンツは廃倉庫へ入って停止したようだ。ライアンは同じブロックの端の空き地にポルシェを停めた。
「君たちはここでコーヒーでも飲んでいてくれ」
「馬鹿言うな、こんな寒い中待っていられるかよ」
榊は車を降りる。結局のところ、榊も暴れたいのだ。高谷も兄が行くというので、仕方無くついていくことにした。
「ありがとう英臣、私のことをそんなにも心配……」
ライアンは頬を染め、感極まって両手を広げて榊にハグしようとする。
「行くぞ、結紀」
榊はそれをすり抜け、両手をコートのポケットに突っ込んで廃倉庫へ歩き出す。高谷は振り向きざま、ライアンを白い目で見やる。
ライアンは虚空に浮いた腕を引っ込め、榊の後に続く。つれない男ほど落とし甲斐がある、ライアンの足取りは軽い。
廃倉庫から明かりが漏れている。割れたガラス窓から中を覗き込むと、ベンツのヘッドライトがパイプ椅子に括り付けられた耀子を照らしていた。屈強な男たち二人に囲まれ、耀子は怯えた表情で俯いている。
「叔父貴の遺産をなぜ他人のお前が継ぐことになった。叔父貴をたぶらかしやがったのか」
ジェイソンが口汚く耀子を罵り、パイプ椅子を蹴り飛ばす。
「し、知りません。遺産なんて」
耀子は戸惑いを浮かべ、ジェイソンを見上げる。黒の革ジャンに紺色のシャツ、はげ上がった額の下には欲に眩んだ落ち窪んだ目。
「叔父貴の弁護士は、遺産を展示会に招待状を持って来た奴が手にすると言っていた」
バーキンの顧問弁護士を痛めつけて聞き出した情報だ。飯を食えるように左腕の骨を折っただけで済ませてやった。ジェイソンは耀子のバッグを漁り、招待状を取り出す。
「薔薇の庭だと、死に際にボケたことしやがって。遺産はどこだ、在処を言え」
ジェイソンの酒臭い息を浴びて、耀子は顔を顰める。バーキンの血縁者に無法者の甥がいると聞いたことがあった。この男が彼の甥なのだ。
「あなたが真っ当な人間なら、ショーンは遺産を譲ったはずよ」
バーキンが心を痛めていたことを思い出し、耀子はジェイソンを侮蔑の眼差しで見つめる。
「なんだその目は。俺を見下しやがって、叔父貴もそうだった」
ジェイソンは鼻息荒く、歯茎を剥き出しにして唇を歪める。憎しみを露わにした恐ろしい形相に、耀子は顔を背けた。
「お前ら、こいつから遺産の在処を聞き出せ」
ジェイソンは背後でニヤニヤしながら状況を見ていた二人をけしかける。
「やっと俺たちの出番か」
ミゲルはスーツの上着を脱ぎ捨てる。盛り上がった肩から伸びる腕は筋肉ではち切れんばかりだ。グレーのTシャツからは胸板の形がくっきりと分かった。
「女を痛めつけるのは趣味じゃねえが、ボスの言いつけだ」
トニーはオリーブ色のミリタリーブルゾンに迷彩パンツ、編み上げブーツを履いている。腰のベルトから抜いたのは刃渡り三〇センチはあるコンバットナイフだ。長身に猫背の姿勢はナイフ使いの性なのだろう、不気味な印象を与えた。
トニーがコンバットナイフを耀子の頬にピタリと当てる。
「ひっ」
耀子はその冷たさに全身を硬直させ、恐怖にぎゅっと目を閉じる。トニーは不快な甲高い笑い声を響かせる。
「本当に、知らない」
耀子は目尻に涙を浮かべ、絞り出すような声で呟く。
不意にベンツのエンジン音が停止し、ヘッドライトの明かりが消えた。光源の無い倉庫内は闇に包まれる。
「なんだ、明かりが消えやがった」
ミゲルが周囲を見回す。
「おい、エンジンをかけろ」
ジェイソンが苛立ちながら叫ぶ。天窓から注ぐ月明かりの下、人影が立っているのが見えた。
「今日は聖なる夜だというのに随分無粋な真似をするじゃないか」
男の涼やかな声が響く。
「なんだ、てめぇは。叔父貴の遺産を狙っていやがるのか」
「堪えがたく下劣な男だ、お前にショーンの遺産を手にする資格はない」
男が一歩踏み出した。月明かりが端正な顔を照らし出す。ジェイソンには見覚えがあった。叔父のパトロンだったライアン・ハンターだ。
「てめぇが叔父貴に入れ知恵しやがったんだろう」
「私は彼の遺産の使い道になど興味はないよ」
ライアンは口元に緩い笑みを浮かべながら首を振る。
「なら邪魔するんじゃねぇ、ミゲル、こいつからだ」
ジェイソンがミゲルをけしかける。ミゲルは拳を握りしめ、大股でライアンに迫っていく。
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