第6話
銀座の街はクリスマスイブを迎え、特別な華やぎに満ちている。誰もみな、幸せそうな顔をしているのは特別な夜を過ごす大切な人を想っているのだろう。
ライアンは行きつけのカルティエでクリスマスシーズン限定の腕時計を買う。サントスデュモンのスケルトンウォッチは、内部構造が透けて見える遊び心満載のデザインだ。1904年のオリジナルデザインを継承し、今年新作として登場した。
時計はいくつ持っていてもいい。スーツのカラーによって付け替える楽しみがある。来日の機会が増え、銀座店でも上得意客となっており、馴染みの店員がよくしてくれた。
その足でライアンが向ったのは、銀座すずらん通りにあるアートギャラリーすばるだ。ライアンがプロデュースしたショーン・バーキンの追悼展に一日ホストとして参加することになっている。
ちいさな画廊は大勢の客で盛況だ。普段は顔を出さないオーナーの榊もライアンにせがまれてこの日は会場入りしていた。高谷もその後ろからちゃっかり顔を出す。
「バーキンの絵をこれほど身近に見られる機会はないと来場者も喜んでいる」
画廊の運営を任せている桐野老人もバーキンの展覧会を開くと聞いて、驚いていた。ショーン・バーキンは亡くなって間も無いが、それほど影響力の大きな作家なのだ。
ライアンは展示会にやってきた客とフレンドリーに話をしている。セレブな佇まいだが物腰が柔らかく、故人とも付き合いがあったライアンの周囲には、話を聞こうと客が集まってくる。
さながらギャラリートークの時間だ。知的好奇心をくすぐる話術に、皆酔いしれている。
「ライアンって、カリスマがあるよね」
高谷は素直に感心する。
「正直、面倒な客層に受けがいい」
生粋の金持ちの集う場所だ。榊も感覚の違いに手を焼くことがある。ライアンは彼らの接客を完璧にこなしている。この調子だと、今日の売上げは期間中トップかもしれない。
「休憩するか」
榊はライアンを労い、事務室へ通す。ライアンはクッションの効いたソファに身を投げ、優雅な仕草で脚を組む。隣の喫茶店からコーヒーが出前で運ばれてきた。
「今回の追悼展はショーンたっての依頼だった。実現してくれて感謝する」
ライアンは芳醇なブルーマウンテンの香りを楽しみ、口に含む。
「しかし、なぜ拠点としていたニューヨークじゃないんだ」
榊は疑問をぶつける。
「彼の遺言なんだよ。今年のクリスマスシーズンに東京で個展を開いて欲しいと」
榊が好立地に画廊を所有していることで、ことが運びやすかった。それに、展示会の共同企を口実に榊に会える。ライアンに取って最高の条件だった。
「クリスマス・イブに招待状を持って現われた人物を丁重に迎えて欲しいと言われている」
ライアンが生前のバーキンから受けていた依頼だ。オーナーの榊から、すばるを訪れる客が特別な招待状を出す客がいれば、すぐに知らせるようスタッフに依頼してある。
「粋な計らいだけど、一体誰を招待したんだろう」
高谷はアールグレイに口をつける。
「それは私も詳しく聞いていないんだ」
バーキンはライアンに厚い信頼を寄せていた。君にしか頼めない、と病の床で両手を握って頼まれのだ。
事務室の扉がノックされた。
「オーナー、招待状をお持ちの方がいらっしゃっています」
赤いスーツに髪をまとめ上げた女性スタッフが榊に声をかける。
「行こう」
榊はコーヒーを飲み干して立ち上がる。ライアンは榊と共に展示フロアに出向く。
招待状を持参したのは、ブラウンのコートにライトベージュのセーター、ジーンズ姿の女性だった。短い髪に毛足を遊ばせるゆるいパーマを当てている。三十代後半、小柄で素朴な印象を持った。
長身のスマートな男二人に出迎えられて恐縮している。
「私はライアン・ハンターだ」
「秋野耀子です」
ライアンは耀子と握手を交す。耀子の手は小さいが、しっかりとした厚みがあった。
「君も絵描きなのかな」
「そうです」
耀子は照れくさそうに笑う。
ライアンのエスコートで耀子が展示会を見学したあと、地下の商談スペースで話を聞くことにした。ライアンは彼女が持っていた招待状を手に取る。
「これは、ショーンの文字だね」
招待状はレターサイズの二つ折りで、表はショーンの複雑な赤色を組み合わせたカラーフィールド系抽象画がデザインされている。中を開くと、彼女の名前とメッセージが直筆で記されていた。
――薔薇の香りのたゆたう庭で、君の夢が叶うことを願っている ショーン・バーキン
「素敵なフレーズだ、彼はロマンチストだった」
ライアンは生前のショーンを思い出す。メディアに露出するときは作品の高い精神性から頑固で気難しいと思われがちだが、本当の彼は情に厚い人物だった。ライアンはそんな彼の気質が好きで、有名になる前からパトロンを志願した。
「しかし、この内容でわざわざ招待状を出す意図がわからんな」
榊は招待状を眺めながら呟く。
「そうなんです、何だか謎かけみたいですよね。ショーンは遊び心が旺盛な人でした。このメッセージには何か秘密が隠されているんじゃないかって思うんです」
耀子は留学でニューヨークへ行ったとき、ショーンが壁画を描いたファミリーレストランで食事をしていた。その時、絵をまじまじと眺めていた耀子にショーンが声をかけたという。
それから意気投合し、彼のアトリエに招待された。彼はすでに抽象画家として名を馳せており、後からショーン・バーキンの名前を知って、耀子はひどく驚いたという。
「彼のアトリエには美しい薔薇が咲いていました。」
ショーンは自分で薔薇の手入れを欠かさず、いつも甘い香りが漂っていた。彼は薔薇の咲く庭を眺めながらのティータイムを大切にしていた。
「私のような無名の画家にも、彼は親しみを持って接してくれました」
耀子は懐かしそうに思い出を語る。
「君の夢をショーンは知っていたのかな」
ライアンの問いに耀子は頷いた。
***
「ありがとうございました」
耀子はショーンの展示会を見学できたことに感謝し、すばるを後にする。外は夕闇に包まれ、ショーウィンドウから漏れる温かい光が通りを照らしている。
耀子が階段を降りて通りに出たとき、黒いベンツが急ブレーキを踏んだ。後部座席のドアが開き、黒スーツの男が耀子の腕を乱暴に引く。
「待てっ」
耀子を見送っていたライアンと榊はガラス扉を開け、通りに走る。耀子はベンツに強引に押し込められ、車はタイヤでアスファルトを削るように急発進して走り去っていった。突如目の前で起きた誘拐事件に周囲は騒然としている。
榊は隣に立つライアンの鋭い殺気を感じとった。その整った横顔には、マフィアの冷酷な表情が浮かんでいた。
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