第5話
「セレブ気取りの優男に痛い目を見せるだけって話だっただろう」
坊主頭がニット帽を肘で突く。ニット帽は苛立ちながらそれを振り払う。
「お前の腕っぷしを見込んで連れてきたんだ、あんなヒョロこい奴にビビってんのか」
「クソ、ひねり潰してやる」
仲間の檄に興奮した坊主頭が拳を鳴らす。握り締めた拳はまるで岩のようだ。曹瑛は構えを取らず、静かに佇んでいる。
「ビビってやがる」
坊主頭が歯を剥き出しにて笑う。仲間がやられたのは背後を取られて油断したからだ。真っ向から行けば、力のぶつかり合いになる。長身ではあるが、あんな細身の男に負ける気などしない。坊主頭は己を鼓舞する。
じりじりと曹瑛と間合いを詰め、ジャブを繰り出す。坊主頭の剛拳を顔面に食らえば、あの小綺麗な顔もふた目と見られぬ無惨なものになるだろう、ニット帽は余裕の表情で腕組をして見守っている。
曹瑛は上半身を捻りながら坊主頭の拳をかわす。曹瑛は奴の拳を完全に見切っている、ライアンは口元を緩める。
「どうした、逃げるだけか」
坊主頭は最小限の動作で攻撃を軽やかに避ける曹瑛に苛立つ。
「お前はシャドウボクシングでもしているのか、一発も当たっていないぞ」
「なんだと、この野郎」
坊主頭のこめかみに血管が浮かび上がる。冷静な態度を崩さない曹瑛に怒りを覚え、渾身の右フックをその生意気な横っ面目がけて繰り出す。
曹瑛が視界から消えた。たじろいだ瞬間、死角から蹴りが飛んできた。拳を避けて身を屈めた曹瑛はコンクリートを蹴り、坊主頭の顎に回し蹴りをヒットさせる。
「あがっ」
巨漢の坊主頭は強烈な蹴りに目眩を覚えてよろめく。曹瑛は体勢を立て直し、坊主頭の顔面にストレートを見舞う。
「ぎゃああっ」
坊主頭は鼻っ柱を粉砕され、鼻血を吹いた。曹瑛は拳を痛めないよう、調整して腕を引いた。元暗殺者の腕は全く鈍っていないとみえる。極めて冷静な判断だ、この男は心底恐ろしい。恍惚と曹瑛を見守るライアンは、全身に鳥肌が立つのを感じた。
ヤケクソになった坊主頭は拳を振り回して曹瑛に突っ込んでいく。曹瑛は坊主頭の腕を弾きあげた。ガードがガラ空きになった鳩尾に、脚を踏み締め体重を乗せた突きを繰り出す。
「ぐふっ」
坊主頭は一瞬息が止まった。次に息をした瞬間、巨大は力を失ってぶっ倒れた。
「曹瑛っ」
ライアンが叫ぶ。曹瑛の背後を狙い、ニット帽がサバイバルナイフで斬りつける。曹瑛はベルトに仕込んだホルダーから手に馴染んだ赤い柄巻のバヨネットを抜き、後ろ手に凶刃を塞いだ。
「大人しくしていればちょっとした怪我で済んだものを」
ニット帽は刃渡り二十センチのナイフを構える。黒スーツと坊主頭があっさりやられて、ニット帽は破れかぶれだ。
曹瑛はバヨネットを逆手に構え、ニット帽を澄み切った漆黒の瞳で見据える。獣に殺される、ニット帽は原始の恐怖に呑まれる。凍った手で心臓を鷲掴みにされるような感覚にナイフを握る手が震えていた。
「うりゃぁっ」
ニット帽はナイフを握り締め、曹瑛に突き出す。恐怖に及び腰なのは素人目にも明らかなほどだ。
曹瑛はバックステップで突きを避け、軽やかに攻撃を受け流す。ニット帽は叫びながらサバイバルナイフを振り回す。
「ははは、ズタズタに切り裂いてやる」
ニット帽が曹瑛の腹を狙い、ナイフを薙いだ。曹瑛は軸足を置いて身体の向きを変え、ニット帽のナイフを持つ手にバヨネットを振り下ろす。
「ぎゃああっ」
曹瑛はロングコートの裾をはためかせ、返す刃先でニット帽の上腕を切り裂いた。ニット帽は腕に力を失い、サバイバルナイフを取り落とす。
「見事だ、曹瑛」
ライアンが間に割って入る。曹瑛はバヨネットを振り払い、刀身に付着した血液を飛ばした。
「ネズミに虎を仕向けてしまったようだ、物足りなかっただろう」
ライアンは大仰な身振りで肩を竦めてみせる。
「腹ごなしにもならない」
曹瑛はつまらなそうにバヨネットを背中のホルダーに仕舞った。三人のチンピラを倒したのに、曹瑛の呼吸は一切乱れていない。
「さて、お前たちは誰に雇われたのかな」
ライアンは血塗れの腕を押さえて怯えるニット帽の顔を覗き込む。
「それは言えね……」
言い終わる前に、こめかみに冷たいものが押し当てられる。ライアンは銀色に光る銃身のルガーの撃鉄を下ろす。ガチリ、と硬質な音が耳元で響き、ニット帽は震え上がる。
「彼はお前たちを助けた。しかし、私は彼ほどの慈悲は持ち合わせていない」
スマートな優男の浮かべる冷酷な笑みには壮絶な迫力があった。もう一度拒絶すれば、この男は躊躇いなく引き金を引くだろう。
「ま、待て、桑原だ、桑原という男に雇われた」
ニット帽が依頼主の名を口走った瞬間、ライアンはグリップを振り下ろす。ニット帽は気絶してコンクリートの床に崩れ落ちた。
「桑原武郎、社の金を横領した男か。行方を眩ませていると聞いたが、こいつらから辿ることができそうだ」
ライアンはルガーを胸元のホルスターに収納した。タイミングを見計らったように、黒のジャガーがライアンの前で停止する。後部座席のドアが空き、クリスがライアンを迎える。
「エントランスに迎えを寄越そうと思いましたが、地下で待つといったのはこういうことだったのですね」
クリスはライアンの道楽に慣れているらしい。
「精鋭のガードをつけたのに」
「いらないよ、ここに美しい最強のガードがいる」
ライアンが馴れ馴れしく肩を抱こうとするので、曹瑛は無表情のままひらりと身を翻した。
「すばるで見た連中とは違う、気をつけることだ」
曹瑛は振り返らずにそう言い残し、柱の向こうに姿を消した。すぐに爆音が響き、黒いスポーツバイクが地下駐車場を走り去る。
「刺激的な連中だ、彼らと過ごすのは楽しいよ」
ライアンが社で見せることのない屈託の無い笑顔を浮かべたことに、クリスは驚いていた。
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