第4話

 黄昏から星空へ移り変わる薄明に東京の摩天楼が浮かび上がる。グローバルフォース社の年末謝恩会がパークハイアットホテル最上階ラウンジを貸切りで開催されていた。

 立食スタイルのパーティーで、会場中央には煌びやかに電飾された大きなクリスマスツリーが立つ。ブュッフェの料理はライアンのこだわりで、都内の有名店のシェフにプロデュースさせたものだ。


 ライアンは黒のスーツに白いシャツブラウス、蝶ネクタイ姿で若手社員に囲まれている。普段は雲の上の存在であるCEOがニューヨーク本部から来日するというまたとない機会に、社員たちは高揚している。

 ライアンは幹部も若手も隔てなく敬愛の念を持って接している。その洗練されたスマートな姿勢が更に好感度を高めていた。

 日本支社にも男女問わずライアンのファンは多い。


「英臣、来てくれたんだね」

 ライアンは会場に現れた榊英臣の姿を見つけ、駆け寄ってその手を取る。

「年末の挨拶回りがてらだ、すぐ帰る」

 シャドウストライプのスーツにダークグレーのシャツ、ミッドナイトブルーのタイがアクセントを添えている。黒髪を後ろに撫で付け、縁無し眼鏡の奥には隠しきれない鋭い眼光を宿している。


 ライアンは幹部たちにプロジェクトの成功エピソードを披露し、誇らしげに榊を紹介する。

「彼は私のビジネスパートナーであり、ライフパートナーに……」

「たまたまビジネスで組んだだけです」

 榊はライアンの言葉を遮り、よそ行きの笑顔を作る。

「いつもうちの榊がお世話になっています」

 ライアンと榊の間に強引に割って入ったのは、ナチュラルメイクを施しブルーのパーティードレスを着た高谷だ。


 高谷はライアンを挑戦的な眼差しで見上げる。榊を手に入れるために既成事実で外堀を固めようとするライアンを牽制するため、榊の秘書として女装してパーティー会場に乗り込んだのだ。

「結紀、君はクレバーだね」

「榊さんは渡さないぞ」

 ライアンと高谷は笑顔で睨み合う。殺伐とした視線がぶつかり合い、榊は他人のふりをする。


「あの眼鏡の彼がうちのCEOの心を射止めたのね」

「連れの可愛い女性秘書も彼を狙ってるのかしら」

「ハンサムなエリートビジネスマンと若い美人秘書と二股なんて、やるわね」

 ドレスで着飾った女性社員たちの噂話が耳に入り、榊は頭を抱える。グローバルフォース社に呼び出されると、廊下ですれ違う社員が振り向くのはライアンが都合の良いアピールをしているからに違いない。


 身の置き場が無い榊は会場の隅にひっそりと佇む曹瑛の側に避難した。

 曹瑛はオーダーメイドの黒のスーツに黒いシャツ、燕脂のタイを締めている。気配を消しているが、上背がありモデルと見紛う整った顔立ちとスタイルにあれは誰だとざわつかれている。


「どうだ、動きはあるか」

 榊は曹瑛に耳打ちする。

「この場に似つかわしく無い輩が数人紛れ込んでいる」

 曹瑛は手にしたいちごタルトを口に運ぶ。ちゃっかりスイーツコーナーから持ってきたようだ。

 ライアンに個人的に依頼され、曹瑛はパーティー会場でのボディガードを引き受けた。

「銀座のミシュラン三つ星店のパティシエが作るスイーツを置いている」

 そう言われてほいほいライアンに釣られたのを榊は知っている。


「だが、まだ機会を伺っているようだ」

 曹瑛は真剣な眼差しで会場を俯瞰している。

「曹瑛、クリームついてるぞ」

「……!」

「そっちじゃない、こっち側だ」

 榊が曹瑛の左頬を指差す。曹瑛は頬についたクリームを真顔で拭う。


「CEOの彼氏、モデルみたいなイケメンにも手を出しているわ」

「きっと浮気するくらいの甲斐性がある方が燃えるのよ、できる男は」

 口さがない女性社員たちの噂話が耳に入り、榊は飲みかけのシャンパンを吹き出しかけた。


***


 謝恩会は盛会に終わり、ライアンはホテル地下駐車場へ向かう。車を待つ間、喫煙スペースで葉巻に火を点ける。ライアンと入れ替わりにスーツ姿のビジネスマンが一服を終えて去っていく。

 今日は良い日だった。会話を交わした日本支社の若者たちはやる気に満ちていた。横領事件を起こすようなマネージャークラスの人間もいるが、彼のような人間は社風に合わず淘汰されることだろう。憂慮すべき事態ではない。


 ライアンは吸殻を灰皿に落とし、喫煙スペースを出る。柱の影から髭面のニット帽の男が姿を現した。それを合図によれた黒スーツの男とモスグリーンのジャンパーを着た坊主頭がライアンの周囲を取り囲む。

「あんたがライアン・ハンターか」

「お偉いさんだってよ、まだ若造じゃねぇか」

 三人は顔を見合わせ、卑屈な笑い声を上げる。


「私に何か用かね」

 ライアンは涼しげな笑みを浮かべる。三人のチンピラたちはじりじりと距離を詰めてくる。

「お前に恨みはねぇが、これもビジネスってやつよ」

 ニット帽が坊主頭に目配せをする。

「君たちはその取引に乗ったというわけか。愚かな選択だ」

 ライアンは目を細める。

 

「いつまで余裕こいてやがる」

 坊主頭がライアンに掴み掛かろうと腕を伸ばした。しかし、その腕はライアンに届かない。いつの間にか背後に立つ長身で細身の男が肩を鷲掴みしていた。

「なんだてめぇは」

 坊主頭は乱暴に男の手を振り払う。男の深い森の奥の静謐な湖のような暗い眼差しに、坊主頭は思わず得体の知れぬ恐怖に息を呑む。


「邪魔するんじゃねぇ」

 黒スーツが男に殴り掛かる。男は黒スーツの拳をギリギリで避けながら間合いに踏み込み、顎に肘鉄を食らわせた。

 黒スーツはコンクリート制の柱に激突し、その鼻は潰れて血を吹き出している。

「うぎゃああっ」

 黒スーツは鼻を押さえて蹲る。一瞬の出来事に呆気に取られていたニット帽と坊主頭が男に向き直る。


「殺さないように頼む、曹瑛。後片付けが面倒だ」

 ライアンは細身の男、曹瑛に呼びかける。曹瑛は無言のまま、チンピラたちを見据えている。

「命乞いするなら今のうちだ」

 それまでの温和な態度が一変し、ライアンの表情が冷酷な色に染まる。

 金で雇われたチンピラ共は戦慄に震え上がる。

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