第3話

 埃っぽいシャンデリアのぶら下がる古びたホテルのロビー。

 ソファに座る顎髭の男は苛立ちを露わにライターの蓋を開閉させている。年の頃は四十代半ば、心許ないダークブラウンの髪は生え際前線が後退し、眉間には深い皺が刻まれている。

 二人の黒服の男が正面のソファに腰掛けた。スプリングのへたった骨董品のソファは軋みを上げる。ひとりはスーツがはち切れそうなほどの筋骨隆々、もう一人はカマキリを思わせる細身の長身だ。


「叔父貴の絵画展をしている画廊の目星はついたか」

 顎髭の男は顔を上げる。色素の薄い目は狡猾な色を帯びている。

「銀座の裏通りにあるチンケな画廊だ」

「警備員はみな貧相な日本人だ。襲撃するのは屁でもねえぜ、ジェイソン」

 黒服たちは肩を揺らして笑う。


「馬鹿共が、絵を盗むのが目的じゃねぇ」

 ジェイソンと呼ばれた男はタバコに火を点ける。ここは禁煙だと、たどたどしい英語で注意するホテルマンを言葉が通じない振りをして追い払う。

「俺が狙うのはもっとデカい獲物だ。そのためにお前達を呼んだ。しっかり働いてくれよ」

 ジェイソンはミゲルとトニーの顔を見比べる。


 ミゲルは短く刈り込んだ黒髪に褐色の肌、その肉体は筋肉の鎧で覆われている。世界ランカーのボクサーだったが、賭博でエセ試合を繰り返して身を持ち崩し、リングを去った。

 トニーは元アメリカ陸軍特殊部隊グリーンベレー所属のナイフの使い手だ。捕虜に対するあまりに残虐な拷問が発覚し、不名誉除隊となった。

 日雇い用心棒でブロンクスを渡り歩き、場末のバーで飲んだくれていたところをジェイソンが拾ってやった。

 金髪を後ろにひとつ括りにして、骨張った顔に尖った鼻、冷酷な光を放つアイスブルーの瞳はさながら死神のようだ。


 ジェイソンの叔父ショーン・バーキンは五十代まで無名の画家だった。二度の離婚を経てやもめとなり、ダウンタウンのボロアパート暮らし。ファミリーレストランの壁画や、映画館の看板制作、子供向け絵画教室の講師で何とか食っていけるという有様だった。

 あるとき、ショーンが描いたカフェの壁画をメガバンクの執行役員が目に留めた。ショーンに本店の正面玄関に飾る絵を依頼し、彼は格調高いイメージを表現する見事な抽象画を描き上げた。それが話題となり、抽象表現画家として頭角を現わすことになる。


 ショーンの描いた絵は深い精神性を内包していると高く評価された。驚くほど高値で取引され、ショーンの懐には莫大な金が舞い込んだ。ショーンは自分のアトリエを構えたが、暮らしぶりは変わらず質素なものだった。

 ジェイソンはショーンに近付き、絵画販売を独占取引させてもらえばもっと値を釣り上げることができる、と持ちかけた。しかし、ショーンはかたくなにそれを拒んだ。


「なぜ俺ではなく、あの若造なんだ」

 ジェイソンは血色の悪い唇を歪め、短くなったタバコを擦り切れた絨毯に押し当てて揉み消した。

 売れっ子画家になったショーンにはすでに強力なパトロンがついていた。グローバルフォース社CEOのライアン・ハンターだ。ショーンはライアンをニューヨークでの展示会の仕切りを任せるほどに信頼しきっていた。


 ショーンは今年の三月に闘病の末に死んだ。

 莫大な遺産を相続する遺言状は弁護士が握っていた。病床のショーンを見舞い情けをかけてやったのに、自分には一銭も入らない。それを知ったジェイソンは激怒した。

 弁護士を脅して聞き出したことには、クリスマスシーズンに日本で行う展示会に訪れるある人物に遺産を譲るという。

 どこの馬の骨ともしれぬ輩に遺産を横取りされてたまるか。ジェイソンは二人の荒くれ者を雇い、「正当な」遺産の分け前を手に入れることを決意した。


「警備は手薄だが、気になる男がいた」

 トニーが真剣な顔で切り出す。

「あの男か、あいつはたまたまこっちを見ただけだろう」

「あの殺気を感じなかったのか、奴は俺たちに気が付いていた」

 呑気なミゲルにトニーは呆れている。トニーが警戒しているのはアートギャラリーすばるの前で見た黒いスーツに臙脂色のタイ、細身のアジア系の男だ。男の放つ殺気は本物だった。こちらを威嚇するほどに。


「なんでもいいが、お前らには安くないキャッシュを払っている。成功報酬は上乗せする。下手こくんじゃねえぞ」

 ジェイソンは惰性で二本目のタバコを取り出し、火を点けた。


 ***


 ライアンは新橋にあるグローバルフォース日本支社での役員との会食、午後からは四半期の報告会に出席した。ニューヨーク本部からCEOがやってくる、日本法人のスタッフは戦々恐々としていた。

 ライアンはスタッフを労い、日本語で達者なスピーチをしたことで彼らの心を掴んだ。恐ろしくカリスマのある男だ、と側近のクリスは評する。


 収益の伸びは予想以上だ。日本は小さな島国だがポテンシャルは高い。それに日本にビジネスの拠点があれば、榊英臣とのコラボレーションの機会も持てる。ガラス張りの窓から陽光降り注ぐ吹き抜けの廊下を颯爽と歩きながらライアンは頬を緩める。

 

 夕方、謝恩会のパーティー会場へ向かうため、ロビーに出たところ、壮年の男性社員が激昂している場面に出くわした。

「ふざけるな。俺の決済範囲を投資に当てていただけだ」

 男は声を荒げている。主張の内容は明らかに筋違いだ。


「俺の稼ぎが奴らの懐に消えているんだ、畜生」

 男がライアンを指差し、叫ぶ。

「いい加減にしろ」

 ヒステリックに喚き散らす男性社員は警備員に両脇を抱えられてその場から退場した。


「桑原武郎、彼は我が社の金を横領しました。審査会で懲戒免職が決定したようです」

 クリスが内情をライアンに耳打ちする。瑣末な事件のため、報告書を斜め読みしたが彼の言い分は身勝手で、同情の余地はなかった。


 日本支社の役員たちがとんだ失礼を、と深く詫びる。

「いや、彼には適正な処分が降っている。それで良い」

 ライアンは気に留めない様子で微笑む。そんなことはどうでも良かった。これから向かう謝恩会会場にはビジネスパートナーとして英臣を招待している。

 愛しい英臣に会える、今日一日そのことだけを考えて頬が緩みっぱなしだった。

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