エピソード5 聖夜の贈り物
第1話
「当機は間も無く着陸態勢に入ります」
ビジネスクラスの座席でうたた寝をしていたライアン・ハンターは機内アナウンスに目を覚ました。窓から見える東京の夜景は黒いベルベットに散ちばめられた宝石のように光り輝いている。
ジョン・F・ケネディ空港を飛び立って約十四時間半、長旅だが苦痛ではない。
もうすぐ愛しい人に会える。ライアンの胸は思春期の乙女のように高鳴っていた。
羽田空港に降り立ち、スーツケースを手に出口へ向かうとグローバルフォース社日本支社の若手社員が出迎えてくれた。
「ウェルカムトゥジャパン、ミスターハンター」
若い男性社員がかしこまってお辞儀をする。彼らにとってライアンは普段会うことのない、まさに雲の上の存在だ。
「迎えをありがとう、ここは日本だ。日本語で話すよ」
金髪碧眼のライアンの違和感のない流暢な日本語と柔和な態度に男性社員は恐縮する。オーダーメイドのネイビーのスリーピースのスーツに白いワイシャツ、ダークブラウンのタイ。洗練されたニューヨーカーの装いだ。
ライアン・ハンターはニューヨークに本社を置く総合コンサルタント会社の若きCEOだ。ハーバード大学を卒業後、ニューヨークの大手コンサルティングファームに勤務したのち二十九歳でグローバルフォース社を起業。三十六歳になる今年、日本支社を立ち上げたのは社にとって大きな躍進だ。
此度の来日は日本支社の四半期の決算報告会の出席と視察のため、ということになっている。
気鋭のエリート実業家ライアンには別の顔がある。
彼はニューヨークマフィア、ハンターファミリーの後継者でもあった。ライアンの父、ロイ・ハンターは一代でファミリーを築いた伝説的な男だ。ライアンはファミリーの幹部としてカジノ経営や美術品売買で利益を上げ、手腕を発揮している。
送迎の白のアルファードに乗り込み、空港線から都内へ向かう。
「ホテルへ行く前に銀座へ寄ってくれないか」
「わかりました」
ライアンは目的地の住所を伝え、車は首都高環状線へ入る。スマートフォンを取り出し、榊英臣の電話番号を呼び出す。
「やあ、英臣。今日本に到着したところだよ、これからそっちへ向かう。あと十五分ほどだ」
会話は用件だけで手短に終了する。これから英臣に会える、そう考えるだけで頬が知らず綻ぶ。
「楽しそうですね、ライアン」
ニューヨークから連れてきた執行役員のクリス・マーロウは、ライアンの隙の無い雰囲気が幾分和らいでいる、いや、むしろ惚気ていることに気付いていた。
「ああ、この日を心待ちにしていたよ」
ライアンは口元を緩める。
日本に最愛の人がいる、とライアンが目を輝かせながら話していたことをクリスは思い出す。いつぞやプレゼン資料の相談に乗ったとき、縁なし眼鏡をかけた鋭い目をしたスーツ姿の伊達男がパソコンのデスクトップのスクリーンに設定してあった。きっと彼が意中の人なのだろう、と察しがついた。
ライアンは自らゲイであることを公言している。企業のトップがセクシャリティをカミングアウトすることは多様性を認める風土があるというイメージ戦略でもある。建前だけでなく、ライアンは他者のマイノリティを尊重する姿勢を貫き、社員からの信頼は絶大だ。
ビジネスにおいては冷徹な一面もある切れ者だが、情に厚いロマンチストだ。
「ああ、ここでいい」
ライアンは銀座すずらん通りで車を降りた。街はクリスマスのイルミネーションに彩られ、すれ違うカップルたちは寒さに肩を寄せ合っている。ライアンは幸せな二人を温かい目で見送る。
すずらん通りにある「アートギャラリーすばる」は榊英臣が経営する画廊だ。榊が極道時代に倒産整理で入手した古い喫茶店を画廊にリノベーションし、趣向を凝らした企画展は常に評判が良く売上げも上々と聞く。
来日の本来の目的はウェブで事足りる報告会議のためではなく、榊のギャラリー訪問だった。ライアンが持ちかけた企画展が十二月初頭から年明けまで開催されている。
ちょうどクリスマスシーズンだ、榊と二人きりでクリスマスを過ごせる好機を逃すわけにいかない。当然、企画展の時期を設定したのはライアンだ。
老舗の刀剣ショップを通り過ぎ、洋菓子店の隣、十字路の角という好立地に「アートギャラリーすばる」がある。
ライアンは逸る心を抑えきれず、ガラス扉を開く。
「ライアン、長旅お疲れ」
受付カウンターに座っていた高谷結紀が立ち上がって出迎える。
「ハイ、結紀」
「榊さんは挨拶回りで出掛けてるよ」
高谷は榊の腹違いの弟だ。榊に熱烈な求愛アプローチをするライアンを牽制している。
地下の商談ブースへの階段を降りていくと、不機嫌を隠そうともしない曹瑛と、笑顔の伊織が待っていた。ライアンはコートをハンガーへかけ、クッションの効いたソファに身を沈める。高谷が淹れるドリップコーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。
曹瑛はライアンと目を合わせず、アップルパイを黙々と食べている。甘いものに釣られて呼び寄せられたのが一目瞭然だ。
眉目秀麗でモデルと見まごう容姿の曹瑛にもライアンは只ならぬ関心を寄せている。それを利用して己への興味を逸らそうとする榊の姑息な常套手段なのだ。
「そうそうこの間、榊さんが拉致されてさ」
高谷の言葉に、ライアンは飲みかけのコーヒーを吹き出しそうになる。
「どういうことだ、一体何があった」
ライアンは目を見開いて身を乗り出す。
愛しい英臣が無法者の手に落ち、スーツを剥ぎ取られ白いシャツ姿で鎖に繋がれ、殴られた唇の端から血を滴らせる姿が脳裏に浮かぶ。
「英臣、何という姿に」
脳内で再生される榊の扇情的な姿にライアンは頭を抱える。
シャツは切り裂かれ、胸元は派手にはだけている。鍛え上げた薄褐色の肌に滲む赤い傷。敵はナイフを弄び、英臣に恐怖を与え命乞いを強要しただろう。
しかし、英臣はそんな脅しに屈するような男ではない。彼はいつ何時も矜持を手放すことはない。怒りに満ちた鋭い眼光で敵を見据えていたに違いない。
「ああ、そんな目で見つめられたら私は一体どうすれば」
ライアンは自分の肩を抱き、悶絶する。
「あのう、ライアン、榊さんは無事に戻ったよ」
派手に動揺するライアンを、伊織が慌ててフォローする。曹瑛は知らん顔でミルクティーを飲んでいる。
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