第5話
「これな、おもろいで」
劉玲はポケットから小さなリング状の金属を取り出した。それを耳たぶにつけてみせる。伊織と曹瑛、榊にもリングを手渡した。
「なんで急にアクセサリなんか...えっ」
伊織は驚いて目を見開く。リングから音声が聞こえてきたのだ。
「孫景はんのチョイスや。スパイ大作戦みたいで格好ええやろ」
劉玲は得意げに唇を吊り上げてみせる。孫景は武器から情報まで何でも揃えるフリーの闇ブローカーだ。劉玲は小回りの効く孫景と組んで仕事をすることも多い。
曹瑛は無邪気な兄の様子に呆れながらも、会話に耳を傾ける。
「この間も評判が良かったぞ。また追加で発注がある。納期は短いが、報酬はその分弾む」
「あんたの絵はバイヤーに人気だ。指名がついてるよ」
二人は悪い取引を持ちかけているようだ。
「ありがとうございます。でも、もう模写は描きたくありません」
郭秀英の声だ。ひどく怯えているが、その意思は堅い。高性能マイクは小さな舌打ちまで拾った。
「どこから音を拾ってるんですか」
まるで隣で会話するように明瞭な音声が流れてくる。伊織は郭秀英のテーブルを見下ろした。肩を竦める郭秀英の右隣に仲島、左には黒い詰襟の男が座っている。彼らのテーブルには先ほどまで劉玲と談笑していた美月が座っていた。
「美月に髪飾りをプレゼントしたんや」
髪飾りがマイクになっているというわけだ。彼女を仲島のテーブルにつけるよう裏から手を回したのだろう。
「大好きなばあちゃん、入院費が払えないと病院を追い出されるんだろう。いいのか、治療が受けられなくても」
詰襟の男が金張のライターでタバコに火を点け、煙をゆっくりと吐き出す。
「そ、それは」
郭秀英は動揺して口ごもる。
「もうちょっと時間をやる。お前には才能があるんだ、よく考えろ」
「まあ、飲めよ」
仲島がシャンパンのボトルを開けるよう美月に指図する。
「郭秀英は奴らに脅されて贋作を描かされている」
伊織は青ざめる。そして膝に置いた拳を握り締める。彼は若者たちの中でもひときわ熱心に芸術に関心を寄せていた。そんな彼が悪党に加担させられて贋作を描かされているなんて。
「そういうことや。あの詰襟は蘇州鳳仙会の幹部梁伯章や。金の匂いがすればどこにでも顔を出しよる」
劉玲ソファに背を投げて足を組む。劉玲もこの件には怒りを感じているようだ。口元は涼やかな笑みを浮かべているが、目には剣呑な光が宿っていた。
フルーツ盛りがテーブルに運ばれてきた。
銀色の盆に新鮮なカットフルーツが美しく飾り付けられている。シャインマスカットを満たしたシャンパングラス、パイナップルをくりぬいた器にオレンジやマンゴー、その脇にメロン、りんご、さくらんぼにいちごが散りばめられている。フルーツの皮は丁寧に包丁が入れられ、見た目も華やかだ。
曹瑛は皿とフォークを手に自分でほいほいフルーツを取り始める。その様子を見て榊が吹き出す。
「なんだ」
曹瑛はムッとして榊を睨み付ける。
「お前、ここでフルーツ頼むってああいうことだぞ」
榊は向かいのテーブルを目線で示す。恰幅のよいオヤジがデレデレしながらホステスにいちごを口に運んでもらっている。
「奴は不用心すぎる。ああして殺される痴れ者は後を絶たない」
曹瑛はシャインマスカットを口に放り込む。今度は伊織が梅酒を吹きそうになった。
「美術品の裏マーケットに贋作が流れ込んできて、本物まで値崩れを起こしてるんや」
劉玲が苦々しい表情でスマートフォンで美術品の闇取引サイトを示す。そこには有名画家の絵画が並んでいた。軒並み数千ドルを超えた値が付いている。これらはすべて贋作だという。
「えらい見事な腕でこの俺も驚いた。作家の筆致を研究し尽くして再現しよる。並みの贋作師の比やない」
それで劉玲が独自に調べたところ、郭秀英に行き当たったという。
郭秀英は当初、土産物店で販売する絵だ、複製品と明示して売るからと唆されたようだ。その絵の評判があまりに良かったため、バイヤーの背後にいる組織が本格的な贋作作りを強制し始めた。
その当時、故郷の祖母に大腸がんが見つかり、高額な医療費が必要だった。鳳仙会は気前よく郭秀英に治療資金を提供した。しかし、後に法外な利子をつけて郭秀英を脅しているという。
「よくある手だな、身内の不幸にかこつけて金を貸し、あとからえげつない利子を乗せて脅す」
榊は胸クソ悪い話だ、とブランデーをあおる。
「上海におるときは奴らが接触できんように俺が手を回して保護しとった。日本に来ればガードが緩むと思たんやろ。そこが狙いや」
劉玲はにんまり笑いながら無精髭をしごく。
「秀英は芸術を心から愛している。道を間違えなければ未来があるよ。あんな奴らに利用されちゃいけない」
伊織は鼻息を荒くする。劉玲と榊も頷く。
「曹瑛、お前」
榊がフルーツ盛りを見て唖然とする。
「なんだ」
曹瑛は澄ました顔でアイスクリームを食べている。
「シャインマスカット、全部食べたのか」
「ああ、うまかった」
曹瑛は平然と答える。榊は好物だったのに、と残念そうにぼやいた。
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