第2話

 送迎のマイクロバスに乗り込んで羽田空港を後にする。中国人の芸術家たちは二十代後半から三十歳前半まで、男性三名と女性二名。それぞれ古典絵画、現代美術、ポップアートと得意ジャンルを持つ気鋭の若手だ。

「みんな日本に来るのを楽しみにしてたんや」

 劉玲は満面の笑みを浮かべる。若い芸術家たちを引率する理事の彼がこの来日を一番楽しみにしていたのかもしれない。


 中国では貧富の格差が激しく、貧しい農村から上海などの大都会へ出てきて芸術家を目指すも、金銭的に困窮して夢を諦める若者も多い。真剣に芸術の世界で活躍しようという若者が出自のために割を食うのは気の毒な話だ。

 そこで、上海芸術協会では展示会開催や企業とのコラボレーションで彼らの作品を世に出すチャンスを創出したり、アートに関する仕事の斡旋を行っている。


 そうした事業の一環で今回の視察は実現した。裕福な者は海外へ出て目を肥やす機会がある。しかし、日々の暮らしがやっとという者も多い。そこで、協会の補助で格安で国外への文化交流ツアーを企画しているという。

「協会の理事は半ば道楽みたいなもんや」

 劉玲はそう言いながら笑う。若者たちを見つめる目には親心にも似た慈愛を感じた。劉玲は美術品の審美眼が鋭い。おそらく組織で美術品を扱う仕事をしているのだろう。詳しくは聞いたことがない。


 劉玲はハルビン郊外の貧しい寒村出身だ。曹瑛とともに実の親によって黒社会の組織へ売られ、想像を絶する苦難を生き抜いた。曹瑛は暗殺者として孤独な人生を歩んだが、劉玲は組織に取り入って上海黒社会の一大組織九龍会の幹部まで昇り詰めた。

 まさに陰と陽、育った環境が異なるといえど、兄弟でこうも性格が違うというのは面白い。

 そんな男が今隣に座っているなんて、伊織は妙な縁もあったものだとしみじみ思う。


 バスは首都高湾岸線を北上する。

 若い芸術家たちは窓の外を眺めながら緊張しているのか控え目に盛り上がっている。みんな日本へやってくるのは初めてだという。彼らの高揚した気持ちが伝わってきて、伊織も気分が上がってきた。

 隅田川に沿って国道6号線を走り、到着したのは浅草寺だ。


「東京といえばここや」

 バスから降り立った劉玲は腰に両手を当てて雷門の前に立つ。五人の若者たちは大提灯を見上げて、ガイドブックで見た光景そのままだとはしゃいでいる。

「記念写真を撮影しましょう」

 柳が一眼レフを構える。若者たちは劉玲を真ん中に押しやる。

「俺はただの付き添いや」

 劉玲は困った顔をするが、彼らは恩義を感じているらしく劉玲を立てようとする。


「宮野さんも、こちらへ」

 若者の一人が伊織に手招きをする。

「イー、アル、サン」

 しっかり記念写真に収まってしまった。劉玲は中央でピースサインをしている。取材で同行しているだけなのに、照れくさい。頭をかく伊織に、若者の一人が会釈する。


「郭秀英です、よろしく」

 眼鏡をかけた朴訥とした青年がたどたどしい日本語で話しかけてきた。

「你好、我叫宮野伊織」

 伊織は中国語の発音で名前を伝えてみる。郭秀英は伊織が中国語を話せることで親しみを感じたのか、嬉しそうにはにかんだ。


「大提灯の下も見て」

 雷門をくぐるとき、伊織が上を指差す。雷門と書かれた大提灯の下側に龍の彫刻が施されている。若者たちはおお、と驚嘆の声を上げる。

「えっ、伊織くん、俺ここに何遍も来たけどこれ知らんかったで」

 一番驚いて感激しているのは劉玲だった。

「これ、意外と気付かないんですよね」

 興奮する劉玲に背中をバシバシ叩かれながら伊織は苦笑する。


 仲見世通りは日本の団体ツアーや外国人観光客でごった返している。若者たちは外国人をターゲットにした面白Tシャツや和風のお土産品に興味を惹かれている。劉玲が焼きたての人形焼きを買って若者たちに配りはじめる。

「劉さんは偉い人なのにとても優しい」

 郭秀英は嬉しそうに人形焼きを頬張る。裏表のない気さくな人柄の劉玲は若者たちに好かれているようだ。


 賑やかな仲見世通りを抜けると朱色に塗られた楼門、宝蔵門が見えてくる。宝蔵門の先に本堂と五重塔がある。

 お水舎で並んで手を清める。お水舎の中央に立つのは高村光雲の沙竭羅龍王像だ。龍神の一人で水を司る。

「ここも天井を見てください」

 ガイドの柳がお水舎の天井を見上げる。

「墨絵の龍だね」

 伊織がふと横を見ると、劉玲がここでも感動していた。


「中国と日本は文化が繋がっています。これらの建物はとても親しみが深い」

 郭秀英が感慨深く五重塔の眺める。伊織は曹瑛を連れてここへ来たときのことを思い出し、頷いた。

 漢字や仏教を通して同じ精神性を持つことで、彼らとの心理的距離が近くなることを実感する。初めて訪れた日本で郭秀英もそれを感じているのだろう、と思うと伊織は嬉しくなった。


 浅草寺から浅草駅へ徒歩で向かい、東部スカイツリーラインに乗る。

「これから電車でひと駅、スカイツリーへ向かいます」

 柳が駅へ入ろうとすると、劉玲が足を止めた。

「せや、芸術を志す者はあれを絶対に見とかなあかん」

 劉玲は皆を引き連れて隅田川沿いに出る。川の対岸にある金色のオブジェを見て、若者たちはおぉ、と驚嘆の声を上げる。


「あれは何ですか」

 郭秀英がオブジェを指差して尋ねる。

「金のうん」

「あれは、聖火台に燃える金色の炎なんだって。フランス語でフラムドールというそうだよ」

 伊織は劉玲の言葉を遮る。若者たちは納得してスマートフォンで写真撮影をしている。


「なんや伊織くん、あれ金のう●こやろ」

「そう見えますけど、炎なんですってば。もう、小学生男子ですか、劉玲さん」

 伊織と劉玲がせめぎ合う。

「背後のビルはビールのジョッキをイメージして建設されたんですよ。あのビルは日本の有名なビール会社アサヒビールの建物です」

 柳がその場を取りなした。


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