第4話

 金髪がジェットスキーの運転席に跨り、坊主頭がその後ろに乗り込む。もう一台はタトゥー男がハンドルを握り、エンジンを吹かした。

「どきやがれ」

 海水浴客の間を縫って暴走運転で西の方へ走り去っていく。


「くそっ、逃げられたか」

 榊が歯噛みする。

「あれだ」

 曹瑛が指差す先にはジェットスキー、その背後に牽引されるバナナボートが見えた。周遊を楽しんだ若者たちが浜辺に降り立つところだ。

「窃盗犯を追っている、こいつごとレンタルしてくれないか」

 榊が真っ黒に日焼けした若い運転手に交渉する。


「おっ、二代目じゃないすか」

 若者は榊の顔を見て破顔する。どうやら大塚が連れていた榊原組の若衆のようだ。ここでバナナボートや貸し浮き輪などで営業しているという。

「もちろん、ぜひ使ってください」

 若者はジェットスキーを引き渡す。榊がハンドルを握ろうとしたとき、横からがしっと手首を掴まれた。


「貴様が後ろだ」

 曹瑛が暗い瞳で榊を見据えている。

「後ろって、あれに乗れというのか」

 ジェットスキーの後ろに牽引しているバナナボートを見て榊は眉を顰める。

「そうだ、二人でこいつに乗るよりスピードが出る」

「お前が乗れ、曹瑛」

「いや、お前が乗れ」

「俺の方が運転が上手い。俺は北京から成都まで距離にして1800キロ、バイクを走らせたことがある」

 曹瑛は腰に手を当てて胸を張る。


「俺は高校のときからバイクに親しんでいる。それにこの海は俺の庭だ」

 榊も譲らない。曹瑛と火花を散らす睨み合いが始まる。

「俺は原付だけど、俺が運転する。二人が後ろ」

 見かねた伊織がハンドルを手にした。

「なんだと」「なんだと」

 曹瑛と榊の二人の声がハモる。伊織はエンジンをかける。


 輩たちのジェットスキーは小さくなっていく。

「早く乗って」

 伊織に急かされ、曹瑛と榊は顔を見合わせる。榊はやむなくバナナボートに跨る。曹瑛も不貞腐れながらその後ろについた。

「行くぞ」

 伊織がハンドルを回す。ジェットスキーは波に乗って走り出す。


 二台のジェットスキーを追って伊織はハンドルを切る。

「くっ、きついな」

 全速力のジェットスキーに牽引されるバナナボートは追い風を受けてかなりのスピードが出ている。榊は振り落とされぬよう取っ手を握る手に力を込める。


「追いついてきだぞ」

 輩たちの黒いジェットスキーが五十メートル先に迫っている。

「伊織は勘が良いな」

「ああ、波を読んで的確にハンドル操作をしている」

 曹瑛も頷く。伊織は海沿いの街で育った。海との付き合い方は身体が覚えているのだろう。


「奴らが追ってきやがった」

 金髪が後ろを振り返る。

「おい、見ろ、なんだありゃ」

 坊主頭が迫り来るバナナボートを見て爆笑している。

「おい、ちょっとからかってやれ」

 タトゥーがハンドルを切ってこちらに向かってくる。金髪もそれに続く。


 二台のジェットスキーが伊織の両脇をギリギリで駆け抜ける。

「うわっ」

 激しい水飛沫がかかり、伊織はスピードを落とす。

「くそっ、あいつら」

 伊織は目をこすりながらハンドルを握りしめる。二台のジェットスキーはUターンして背後から煽り始めた。


 不安定なバナナボートは輩たちの立てる波に激しく揺られる。榊と曹瑛は転覆しないよう脚に力を入れてバランスを取る。

「瑛さん」

 伊織が振り返り、曹瑛に中国語で叫ぶ。曹瑛は意味を理解し、榊に耳打ちした。


「伊織、右にハンドルを切れ。一台を引きつけろ」

 榊が叫ぶ。伊織は右に急ハンドルを切った。ハンドル捌きが追いつかなかったタトゥー男を引き離した。金髪と坊主頭の二人組が追ってくる。

 榊が転がり落ちそうになり、海面に手をつけた。曹瑛が榊の腕を掴み、引き戻す。

「ぎゃははは、転覆させてやるよ」

「海に放り出されろ」

 金髪と坊主が調子に乗って騒ぎ立てる。


「このくらいあればいけるか」

 榊は余裕の笑みを浮かべる。バナナボートを追って金髪がスピードを上げた。

「な、何だぁ」

 突然、ジェットスキーのスピードが落ち、金髪が焦り始める。キュルキュルと異音がして、ジェットスキーが停止した。

「なんだよぉ、おい」

 金髪が情け無い声を上げる。

「何やってんだ、エンジンかけろ」

 坊主頭も焦って喚き散らす。ハンドルを回すもエンジンは空ぶかしとなり煙が上がり始めた。


「伊織、上手くいったな」

 榊が親指をたてる。

「うん」

 伊織も冷や汗を拭いながらそれに応えた。

 榊さんがバランスを崩したのは演技だった。海面にたゆたう海藻を集めて金髪のジェットスキーの前にばら撒いたのだ。大量の海藻をスクリューに吸い込み、エンジンが停止した。


 伊織が地元でよく遊びに行った叔父のボート屋で、海面で動けなくなったジェットスキーの修理をよく見ていたことから閃いたアイデアだ。海藻や釣り糸がスクリューに絡むと身動きが取れなくなることを知っていた。

 大声で叫べば作戦がバレるが、中国語を使って曹瑛に伝え、それを防いだ。


「畜生、何やってる馬鹿どもが」

 タトゥー男が血管を浮き上がらせ、怒りの形相で戻ってくる。伊織は慌ててスピードを上げる。

「沈めてやる」

 タトゥー男が先端が銛状になっている水中銃を取り出した。バナナボートを狙っている。

「撃たれたら沈没だ」

 伊織は青ざめる。タトゥー男がバナナボートに横並びになり、水中銃でボートに狙いをつける。


「馬鹿野郎が」

 榊がニヤリと笑う。曹瑛がスイムスーツの胸元からスローイングナイフを取り出し、腕を薙ぐ。銀のナイフは水面を滑るように飛び、男の太腿に命中した。

「ぎゃあっ」

 タトゥー男は叫んで水中銃を海に落とす。そのまま無数のブイが浮かぶエリアに突っ込んだ。


「くそッ、くそッ」

 タトゥー男のジェットスキーは定置網に突っ込み、身動きが取れなくなった。伊織が誘い込んだのだ。ここから泳いで帰るのは困難だ。ジェットスキーの上でがっくりと項垂れている。


 伊織は網を避けるために旋回する。バナナボートは吹っ飛ばされ、海面を横滑りする。

「わーごめん、瑛さん榊さん大丈夫⁈」

 伊織は慌てて背後を振り返る。

 

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