第3話
もうひと泳ぎするかと立ち上がったとき、露店の方から怒号が聞こえた。
「藤原さんの店だ」
高谷が心配そうな顔を榊に向ける。坦々麺のブースに行くと、サーフパンツの男たち三人が藤原を取り囲んでいた。
金髪に首から派手なシルバーアクセサリーを下げた細身の男、坊主に稲妻の剃り込みを入れた筋肉質の男、日焼けした肌にトライバルタトゥーの男は上背もあり、かなりいかつい。
「ラーメンによ、砂が入ってたんだよ」
金髪が容器を藤原に見せつける。覗き込むと中は砂まみれだ。
「これ食っちまったよ、口の中がジャリついてやがる、どうしてくれるんだ」
坊主頭が砂浜に唾を吐き捨てる。
「そんなに砂が入るなんておかしいですよ」
どう見ても言いがかりだ。小物ヤクザの常套手段であり、ここで弱みを見せたらつけこまれる。藤原は言い返したいのを堪えて冷静に対処する。
「何だと、お前、俺たちが砂を入れたっていうのか」
「ひでぇな、こっちは被害者だぜ」
「皆さん、この店は砂入りラーメンを売ってるぞ、買わない方が良い」
三人は大声で営業妨害を始める。
「衛生管理がなってねーな」
タトゥー男が担々麺の容器を投げ捨て、踏みにじった。
「貴様ら、ふざけるなよ」
藤原が額に青筋を浮かべ、拳を握り締める。男たちはニヤニヤしながら藤原を挑発する。藤原が拳を振り上げようとしたとき。
「お前らこそ営業妨害だろ」
榊が間に割って入った。射抜くような鋭い眼光にタトゥー男は一瞬たじろぐ。
「こいつは元ヤグザだ、ヤクザ仲間を呼んできやがった」
タトゥー男は聞こえよがしに叫ぶ。挑発が榊に飛び火し、藤原は真っ赤な顔で歯を食いしばりながら鼻息を荒げる。
「悪いが俺はカタギだ」
榊は涼しい顔でタトゥー男と向き合う。周囲の海水浴客は一触即発の雰囲気を怯えながら遠巻きに見守っている。
「どうしました」
ドスの聞いた低音に振り向けば、髭面の男が立っていた。背後には五人の若者が控えている。男たちの放つ気配に三人の輩は顔を見合わせる。
「この店のラーメン、砂が混じってんだよ」
ここで舐められては格好がつかないと、坊主頭が肩をいからせて前に出る。
「俺たち四人で食べましたけど、砂なんて入っていませんでした。たくさん売れてたけど、誰もそんな苦情を言って来ていないですよ」
伊織が坊主頭に言い返す。真っ当な一般人代表そのものな伊織の意見は説得力があった。
「そういうことだ」
髭面の男は坊主頭を睨み付ける。背後の五人は静観しているが、何かあれば乱暴な手段も辞さないといった迫力があった。
「クソッ」
屈辱に顔を歪めたタトゥー男が吐き捨てるように言い、その場を去っていく。金髪と坊主頭もそれに続いた。
「大塚じゃないか」
榊が声を上げる。
「若、ぼっちゃん、久しぶりです」
大塚と呼ばれた髭面の男は榊と高谷に頭を下げる。
「ここの海の家は、
大塚は武骨な笑顔を浮かべる。
榊と高谷は腹違いの兄弟で、父親は神奈川県西部で最大勢力を誇る榊原組の組長、榊原昭臣だ。大塚は榊原組の若頭を務める男で、いつか榊が跡継ぎとして戻ってくれることを熱望している。
「今日は俺たちも泳ぎに来ました。やっぱり地元の海はいい」
大塚も若衆も刺青が入っているので、一般人を怖がらせないようラッシュガードで身体を隠すようにしている。ひと泳ぎした後は浜辺を掃除して帰るという。
「見上げた心がけだな」
昨今は海水浴場でゴミをまき散らして帰る者も多く、マナーの悪さが問題となっている。地元住民が愛する海岸を守ろうという気概に榊は感心する。
「この地域で生活するからには共存しようというのが組のモットーですよ」
いつでも帰ってきてください、と榊と高谷に頭を下げて榊原組の面々は去っていった。
「榊さん、ありがとうございました」
藤原が涙ぐんで榊に頭を下げる。
「よく堪えたな、面子も大事だが我慢が必要なときもある」
榊は穏やかな笑顔を浮かべ、藤原の肩を叩く。藤原は涙を拭いながら何度も頷く。
「担々麺は美味かった。味をまろやかにするには酢を用意してもいい。温玉をトッピングにするものいいだろう」
曹瑛の的確なアドバイスを藤原は喜んだ。
「こいつは神保町で中国茶カフェをやっている。中国家庭料理や点心も人気の店だ。お前は腕に自信を持って良いぞ」
榊がお墨付きを出す。伊織と高谷にも美味しかった、と絶賛され、藤原は元気を取り戻したようだ。
***
ひとしきり海水浴を楽しみ、休憩スペースに戻ってきた。浜辺がざわついていることに気が付く。
「盗難があったらしいよ、それも何件も」
空きブースの掃除にやってきた海の家の管理人が事情を教えてくれた。
「貴重品を置いて無防備になるから狙われやすいんだ」
治安が悪くなったと頭を抱えている。
「あいつらを見ろ」
曹瑛が顎をしゃくって浜辺を示す。目線を向けると、藤原の店に因縁をつけていた三人組が浜辺を歩いている。似つかわしくない大きなトートバッグが目を引いた。金髪が人のいないビーチパラソルに近づき、身を屈める。
「あ、何か取ったぞ」
信じられない光景に伊織が目を見開く。男たちは浜辺をぶらつくふりをしながら海水浴客の荷物を漁って貴重品を盗んでいるのだ。
榊は男たちに歩み寄る。
「俺のバッグに似ているな、ちょっと見せてくれないか」
「なんだと、これは俺のだ」
榊に声をかけられ、金髪は動揺する。重みのあるトートバッグを庇うように背中に隠した。
「これはお前一人の持ち物か」
いつの間にか背後に立っていた曹瑛がバッグを覗き込んでいる。
「か、勝手に見てんじゃねーよ」
金髪は焦りながら後退る。トートバッグが切り裂かれ、中身を砂浜にぶちまけた。曹瑛の手元に仕込んだ小型のスローイングナイフが光る。
十個以上の財布やスマートフォン、貴金属が金髪の足下に落ちている。周囲の海水浴客たちが金髪を疑いの目で見つめている。
「嫌だ、あれ私のスマホ」
水着姿の若い女性が叫んで砂に落ちたスマートフォンを慌てて取り上げた。間違い無い、ラインストーンで好きなアーティストの名前をデコってある。これは休憩スペースに置いていた自分のスマートフォンだ。
「ど、泥棒よっ」
女性が叫んだ。周囲の観光客が注目する。
向こうにいた坊主頭とタトゥーも窃盗がバレたことに気がついたらしく、逃げの体勢になる。
「おい、引き上げるぞ」
三人は連れ立って海に向かって走り出した。
「ジェットスキーで逃げる気だ」
伊織が水際を指差して叫ぶ。そこには黒いジェットスキーが二台停まっていた。
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