第8話
「ここじゃないのかよ、誰もいないじゃん」
伊織は声を張り上げながら真正面から倉庫に踏み込む。二階通路には黒服の見張りが控えているが、それに気づかないふりをする。
「二十三時に現地待ち合わせだって聞いたんだ」
高谷が困った様子でスマートフォンの画面を確かめる。
「めちゃくちゃ割の良いバイトがあるって聞いたけど、そんな話でたらめだったんじゃないのか」
伊織が不機嫌をむき出しに畳み掛ける。
「ちゃんと確認したよ、担当者が遅れてんじゃないの。嫌なら帰れば良いじゃん」
高谷も負けじと突っかかる。二人の若者は倉庫内で口論を始めた。
「なんだあいつら、迷い込んだのか」
「追い出してこいよ、今日は大事な取引だろ」
二階通路で階下の争いを眺めていた黒服が面倒くさそうに肩をすくめる。
エスカレートする争いをニヤニヤ眺めている二人は背後から人影が忍び寄っていることに気がつかない。
突然、一人の黒服が力を失って崩れ落ちた。
「なっ」
もう一人は何が起きたか把握する間もなく背後から首を絞められる。気道を的確に押さえつけられ、黒服は白目を剥いて気絶した。
曹瑛は音を立てぬよう二人を通路に横たえ、次のターゲットに向かって音もなく駆ける。
「流石だな、曹瑛」
榊は工具を詰め込んだスチール棚の影から様子を伺う。曹瑛は非常階段から窓をつたい二階に侵入した。上からの監視の目を潰すために見張りを倒す計画だ。もう四人沈めた。あと残すところ二人、時間の問題だろう。
倉庫中央では伊織と高谷が騒ぎ立てる演技を続けている。
「お前ってさぁ、いつもテキトーなんだよ」
「なんだって、今度うまい話があってもあんたには教えないからな」
二人の言い争いはヒートアップし、胸ぐらを掴んで互いに歯をむき出しにしている。二階に人影は無くなった。曹瑛が全て片付けたようだ。
「お前ら、倉庫違いじゃねぇのか」
伊織と高谷を囲むように柄の悪い男たちが集まってきた。
「ここだって聞いてるぞ」
高谷が怯まずに答える。上下黒、金ラインのジャージはまるで制服のようだ。中にはコインパーキングで榊のBMWを奪おうとした顔もあった。
「とっとと出ていけよ、ん、お前ら見覚えあるな」
坊主頭が毛の無い眉を顰める。コインパーキングで奪えなかったBMWを思い出した。ついでに眼光鋭いヤクザのような男に殴られた恨みも。坊主頭は手にしたバールを振り上げる。
「あの時の奴らだ」
振りかぶったバールを高谷めがけて振り下ろす。
しかし、バールは頭の上で止まった。振り向くとあの時のヤクザの顔があった。
「テメェ、どこの組のもんだぁ」
「馬鹿野郎、俺はカタギだ」
怒声を上げる坊主頭の顔面に榊の鉄拳がめり込んだ。坊主頭は鼻血を迸らせて膝を折る。榊は容赦なく奪ったバールで坊主頭の背中を殴りつけた。
「げふっ」
坊主頭は胃液を吐き出し、その場に突っ伏した。
「この野郎」
「ぶっ殺せ」
仲間がやられて一気に頭に血が昇った男たちは叫びながら突っ込んでくる。
榊は殴りかかる金髪の拳を交わし、がら空きの顎に肘鉄を見舞った。顎を粉砕されてバランスを崩した金髪の腹に膝蹴りを喰らわせる。
胃がひっくり返るほどのダメージに金髪はコンクリートに転がりのたうち回る。
ひ弱そうな高谷にランニングシャツの巨漢が狙いをつける。高谷は怯えて後ずさる。
「クソガキが、逃すか」
巨漢は高谷につかみ掛かろうと腕を伸ばす。伊織が背後から尻を蹴り上げる。
「てめぇ」
巨漢が伊織に注意を向けた瞬間、高谷はポケットから取り出したペンを巨漢に突き出した。
「ぎひぇえええっ」
踏みつけられた蛙のような情け無い声をあげて巨漢は小刻みに震え、口から泡を吹いて倒れた。白目を向いたまま痙攣している。
「電圧リミッターカットした特製スタンガンだ」
高谷の手には青白い光を放つペンが握られている。榊はホッとして目の前のライトモヒカンをぶん殴った。
伊織の腕をピアス男が掴んだ。手にはスパナを持っている。
「調子乗るんじゃねぇぞ」
「うわっ」
伊織は叫んで目を見開く。ピアス男は目の前の伊織が怯えていることに気を良くしたのか下品な笑いを漏らす。
「頭かち割ってやる」
男がスパナを振り上げる。
伊織は手首に仕込んだロープでピアス男の手首を締め上げた。手品の要領だ。ロープの端を持ってポルシェの向こう側へ走る。
「何してんだてめぇ、おおっ」
伊織はロープを一気に引っ張った。綱引きに負けたピアス男はポルシェの車体に派手に頭をぶつけて気を失った。
海の男だった祖父仕込みのロープワークがここで役に立った。伊織は情け無い顔でため息をつく。
振り向くと、曹瑛と榊が肩を並べてタバコを吹かしている。その足元に車泥棒のチンピラたちが八人、無惨に転がっていた。
「愛車をパンクさせた落とし前はつけたぜ」
榊が吐き捨てるように言う。太ももにナイフを刺された男がその足元で涙と鼻水を垂らしながら呻き声をあげていた。
倉庫奥にある事務所の扉が開いた。これまでのチンピラとは格が違う黒いスーツの男が二人出てきた。そして後ろに流した黒髪に紫紺の長袍姿の男がゆっくりと歩み出る。
冷酷な眼差しに細い鼻筋、酷薄な唇は情の無さを感じさせた。蝋のような血の気のない頬はやや落ち窪んで幽鬼のような迫力があった。
「宗継海だな」
曹瑛は目の前の男に鋭い視線を向ける。
「俺の名を知っているか」
宗は低い声で肩を揺らして笑う。左右に立つ男たちは胸元から銃を取り出し、こちらを狙っている。
「取り引きを潰してくれたな」
宗継海は唇を歪めて野心とプライドを砕かれた憎悪を剥き出しにする。
「まあ良い、お前たちを始末して取り引きは続行する」
不意に口元に不敵な笑みを浮かべる。情緒不安定か、伊織は眉根を顰める。
「おい、仕事だ」
宗継海は灯りのついたままの事務所に呼びかける。窓に人影が揺らいだ。ドアから出てきたのはくわえタバコの鳴海竜二だった。
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