第7話

 竜二との会話で引っかかることがあった。

 伊織は取材先に向かう途中、公園のベンチに座り考えを巡らせる。目の前で子供たちが歓声を上げながら駆け回っている。

 竜二は家族のことを教えてくれた。幸せそうな写真を見せてくれたにも関わらず、誰にも言えない悩みを抱えているように思えた。


 伊織は思い立って高谷にメッセージを送る。しばらくして返信があった。伊織は高谷のメッセージを凝視する。予想通りだ、やはり高級車盗難事件と曹瑛暗殺には関連があるに違いない。

 自分の勘が正しいか、半信半疑ではあるがやってみる価値はある。


 伊織は微信で曹瑛にメッセージを送る。今日から烏鵲堂を休業すると言っていた。しばらく待ってみるが返信はない。

 曹瑛は仲間に危険が及ばないよう関わりを断とうとしている。どうしても曹瑛と連絡を取りたい。このことは曹瑛に伝えるべきだ。伊織は頭を抱える。


 伊織はふと思いついてメッセージを打ち込む。

 アドレスを教えろ。少しして曹瑛から返信がきた。やっぱり、曹瑛も情報を集めているならスマートフォンは逐一確認しているはずだ。

 伊織はすぐさま曹瑛に電話する。十コール以上鳴らして曹瑛は仕方なさそうにようやく電話に応答した。


「瑛さん、大事な話があるんだ」

 伊織は汗ばむ手でスマートフォンを握りしめ、食い気味で曹瑛に伝える。

「アドレスを送れと言ったが」

 伊織は曹瑛の気を引くために新しいタルト専門店ができるとメッセージを送った。それで店のアドレスを教えろとまんまと返信がきたのだ。

「それは今どうでも良いから」

 呑気な曹瑛に伊織は苛立ちをぶつける。曹瑛のムッとした顔が思い浮かんだが、今はご機嫌取りどころではない。


「よく聞いて、竜二さんと会ったよ」

 曹瑛は押し黙る。話の重要性がわかってくれたようだ。伊織は考えを曹瑛に伝える。曹瑛は沈黙したまま聞き入っている。

「条件がある」

「言ってみろ」

 曹瑛は面倒な要求を予想しているのか、ため息まじりだ。

「俺も一緒に行く」

 伊織の意思は固い。曹瑛は聞こえるほどの大きな舌打ちをして、折れた。


***


「刑事ドラマの張り込みみたいだね」

 高谷はテイクアウトのパンケーキを頬張りながら運転席に座る榊を見やる。インスタ映えすると評判の店で、アボカドとサーモンのサラダ、焼きたてのパンケーキがボックスに入ったものだ。自家製のドレッシングも自然な甘みとビネガーのアクセントが調和している。

 ここへくる前に目敏く店を見つけた高谷が榊にねだったのだ。


「パンケーキじゃサマにならないな。だが、コーヒーはなかなか美味い」

 榊はまだ温かいブラックコーヒーを傾ける。

「カツ丼の方が良かったかな」

 榊はその言葉にコーヒーを吹きそうになる。

「カツ丼は取調室だろ、張り込みと言えばドーナツじゃないか」

 高谷は納得しているが、それはアメリカの刑事物で日本ならあんぱんと牛乳だ。


 黒いBMWは闇に紛れて息を潜めている。榊は目の前の複合ビルの駐車場出口を見据えている。著名な企業が多く入居するビルで、地下駐車場には軒並み高級車が並んでいる。窃盗犯が今夜ここの一台を狙うはずだ。


「大連真仙会の幹部は宗継海という男だ。野心が強く上位組織に個人的に取り入ろうと暗躍しているらしい。曹瑛暗殺に固執するのは子飼いの暗殺者の裏切りを許さない八虎連への手土産であり、名を上げるためだ」

 榊は数日の間にここまで調べあげたのか、高谷は情報網の太さに驚く。


「宗継海自身は大して腕は立たない。狡猾で残忍な男だ。人の屍を踏み越えて登り詰めたと聞く。曹瑛に手を下すのは雇われ暗殺者だろう」

 榊は面白くなさそうな顔でフィリップモリスに火を点ける。デュポンの涼やかな開閉音が沈黙の車内に響く。


「榊さん、動きがあるよ」

 高谷が興奮気味にタブレットから顔を上げる。薄暗い画面には地下駐車場の映像が映されていた。高谷が防犯カメラの電波をハッキングしたリアルタイム映像だ。

 奴らのリストしたナンバーの車の付近に黒ずくめの男が二人立ち、周囲を伺っている。


 しばらくして車のドアを開け、男たちは乗り込んだ。エンジンがかかり、車は駐車場を出ていく。防犯装置の警告音も鳴動することはない。荒々しい手段ではなく、自然な動作だ。これでは警備員は駆けつけて来ないだろう。

「まったく、車泥棒もスマートになったもんだ」

 榊は呆れながらBMWのエンジンをかける。駐車場から出て行った白のベンツを追い、アクセルを踏み込んだ。


***


 首都高を西へ、予想通り向かうのは横浜らしい。港湾地帯で白いベンツは高速道路を降りた。

「堂々と高速を使うなんてな」

 榊は目的のベンツから目を離さずハンドルを切る。ナンバープレートにシールでも貼り込んだようで、ベタな手だが監視システムの目を眩ませることにもぬかりがないようだ。


 ベンツは倉庫街へ入ってゆき、港湾の外れの古びたトタン屋根の建物へ消えて行った。榊は一度通り過ぎながら倉庫を確認して離れた空き地に車を停める。

 車を降りたところで腹に響く重低音のエグゾーストが近づいてきた。眩いヘッドライトに榊と高谷は目を細める。スーパースポーツタイプの黒い車体がエンジンを止めた。

 

 カワサキニンジャH2は最大出力170kWのスーパーチャージドエンジンを搭載した強烈な加速と安定性を誇る最高スペックのマシンだ。

 曹瑛が都内の足が欲しいとぼやいた一ヶ月後に、ニンジャH2が烏鵲堂の倉庫に収まっているのを見たかつてはライダーの榊と現役ライダーの高谷はまさに度肝を抜かれた。


 曹瑛の後ろから伊織がひょいと飛び降り、ヘルメットを抜ぐ。

「俺の予想通り、問題は片付いたよ」

 伊織は榊と高谷に向かい、親指を立てて見せる。

「よくやったな」

「伊織さんすごいよ」

 榊と高谷に褒めちぎられる伊織の横で曹瑛が不機嫌そうにハーフコートの埃を払っている。

「あー、まあ実働は瑛さんだよ。俺は場所を突き止めただけ」

 伊織のフォローに曹瑛はフイと顔を背けた。


 ベンツが入って行った倉庫を覗き込む。白いLEDライトに照らされた倉庫内いっぱいに多様なメーカーの高級車が並んでいる。大半はすでにナンバーが外されていた。

 二階通路には見張りの黒服がうろついている。


「事務所に灯りがついているな、あそこに宗継海がいるかもしれない」

 榊の情報は曹瑛も掴んでいたようで、小さく頷く。おそらく、竜二も。伊織はその言葉を飲み込んだ。

 見張りは確認できる位置にいるだけでも六人、宗継海を引きずり出すにはどうするか。

 


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