第4話
閉店後の烏鵲堂二階カフェスペースに仲間たちが顔を揃えていた。
高谷がタブレットをテーブル中央に置く。地図アプリを開くと、都内の複数箇所にマーキングがされている。
「奴らがコインパーキングに落としていったスマホからデータを抜いたんだ」
高谷は大学でシステム工学を専攻しており、プログラミングだけでなくハードウェアの扱いにも長けている。
「麻布、赤坂、田園調布に白金台、軒並み高級住宅地だ」
榊は足を組み直しながら眉を顰める。
「1224、0788、この四桁の数字はナンバープレートか」
それぞれの場所に四桁の数字と色のメモがついている。盗む車輌を予め調べてリストしているのだ。ン千万もする高級車を一夜にして盗まれようものなら、自分なら一生立ち直れない。伊織は空になった車庫を想像して頭を抱える。
「地図に登録されたメモのナンバーと盗難車データベースが何台か一致したよ。ランドクルーザー、レクサスLX、メルセデス、BMW、間違いなく高級車狙いだ」
榊のBMWもリストに上がったのだろう。パンクの件を思い出し、榊は忌々しそうに舌打ちをする。
「盗んだ車輌は海外に移送する。ダミーの中古車で税関を通し、コンテナヤードで盗難車とすり替える。ある程度台数をまとめてコンテナに乗せるはずだ」
曹瑛がガラスポットに湯を注ぎ、黄山毛峰の葉を落とすと清々しい緑茶の香りが立ち上る。
「窃盗団は盗んだ車を港湾の倉庫に隠しているというわけか。盗難車輌を追えば倉庫の場所がわかるな。愛車をパンクさせた落とし前をつけてやるぜ」
榊は倉庫にいる窃盗団を叩くつもりだ。
「あんな危険な奴らが街をうろついてるなんて、許せないよ」
窃盗犯の一人にナイフを向けられた伊織も憤慨している。
「最近派手に稼いでいる車輌窃盗団は日本の
曹瑛は茶葉を十分蒸らし、グラスに注ぎ分ける。
「波布は横浜の組だな。麒麟会三次団体のシケた組で、金になるならどんな汚れ仕事にも手を出すと聞く」
榊は関東の極道事情に精通している。今はカタギだが、かつての幹部同士の横の繋がりから何かと情報は入ってくるらしい。盗難車を保管する倉庫は横浜にある可能性が浮上した。
「真仙会は大連に拠点を置く二百名足らずの小さな組織だが、名を上げようと躍起になっている」
曹瑛もかつて黒社会に所属していた。裏の情報網は今も途切れてはいないようだ。
高谷のタブレットから電子音が鳴る。
「奴らのチャットを受信しているんだ」
高谷は落とし物のスマホからチャットアプリも抜き取ったらしい。間抜けにもそのままやりとりを続けているようだ。
「明日の夜、都内十箇所の車を狙うって」
「盗んだ車を追跡するぞ。倉庫を見つける」
榊は妙に楽しそうだ。明日にはパンク修理も終わってタイヤは新品になるらしい。請求書を叩きつけてやると不敵な笑みを浮かべる。
「俺は行かない」
榊と伊織、高谷は曹瑛に注目する。こういう話にはいつも便乗するはずの曹瑛が降りるという。
「お前を狙う暗殺者がいるとか」
榊は落ち着いた様子で黄山毛峰のグラスに口をつける。曹瑛は責めるような瞳で榊を見据える。その横で高谷が気まずそうに目線を逸らした。きっと竜二との立ち話を聞いていたのだろう。曹瑛は小さく溜息をつく。
「カタがつくまで明日から店は閉める」
曹瑛は淡々としている。表情の読めぬ顔は冷たく凍りついている。
「身を隠すつもりか」
「正体を掴んでこちらから出向く」
「手を貸すぞ」
榊の言葉を耳にした瞬間、曹瑛が殺気を漲らせ、怒りと苛立ちをない混ぜにした感情を露わにする。
「俺に関わるな、お前たちがうろつくと足手纏いになる」
曹瑛は榊を睨みつける。伊織はその気迫に圧倒され、唇を引き結ぶ。高谷もこの展開にどう対処して良いのか、戸惑いを隠せない。
榊と曹瑛の鋭い視線がぶつかる。どちらも譲らない。
「もう帰れ、店を閉める」
曹瑛はポットを手に立ち上がる。
「勝手にしろ、だが俺に寝覚めの悪い思いをさせるなよ」
榊はグラスの茶を飲み干し、階段を降りて行く。曹瑛は誰も巻き込まず、一人でカタをつける、そういう男だ。意思は曲げないだろう。何もできない焦燥感に苛立ち、榊は階段を踏みしめながら唇を強く噛んだ。
高谷も慌てて榊についていく。呆然としていた伊織も弾かれたように立ち上がる。
「俺たちは瑛さんの味方だよ。瑛さんを助けたいんだ」
厨房に立つ曹瑛は伊織を一瞥する。
「思い上がるな、お前たちの助けなど必要としない」
曹瑛は冷徹に言い放つ。とりつく島もない言葉に伊織はたじろぐが、緊張に汗ばむ拳を握り締め曹瑛をまっすぐ見つめた。
「瑛さんは一人じゃない、それは覚えておいて」
穏やかな口調の中に固い意思を感じた。曹瑛は何が言おうとしたが、口篭る。階段を降りる侘しげな伊織の背を見送って曹瑛はまたひとつため息を漏らした。
これは自らが招いた因果だ。長い間、殺しを生業にしてきた。組織を裏切り、殺しはやめると誓い平穏な人生を手に入れた。
何の代償も支払わず自分だけが幸せに生きていけるはずがない。命を狙われることも必然だ。その代償を善良な彼らに背負わせることなどできない。
曹瑛は灯りを落とした店内に一人佇む。表通りのすずらんの街頭の淡い光が格子窓から差し込み、カフェスペースを仄かに照らしている。
曹瑛は手に馴染んだ愛用の軍用ナイフ、バヨネットを取り出す。赤い組紐を巻き付けたナイフの黒光りする鋼をじっと見つめる。
不意にテーブルに置いたままのスマートフォンが振動した。微信(中国版LINE)でメッセージが届いたようだ。
曹瑛はチャット画面を開き、目を細める。しばし考えて返信を始めた。
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