第5話

 榊と高谷は神保町駅近くの餃子専門店の暖簾をくぐる。後から追いついた伊織も席についた。

「ハイボール3つ」

 榊は冷えたグラスを煽る。苛立ちが治ってきたようで、小さくため息をつく。

「頑固な奴だ」

 曹瑛のことだ。暗殺者に狙われていることを知らせず自分だけでカタをつけようとしている。


 きっと、同じ状況ならそうしたはずだ、と高谷は思う。仲間を傷つけたくないという気持ちは一緒だ。結局、曹瑛と兄の榊は似たもの同士なのだ。


「そうだ、鳴海竜二のこと、調べたぞ」

 榊は裏の情報屋から情報を得たという。

「国籍は日本、現在五十六才」

 榊はスマートフォンに情報屋から送信されたファイルを表示させる。

「映画にでも出てきそうな雰囲気のある人だね」

 最近の写真だ。伊織は竜二の顔を見ていない。髭面にサングラス、年相応にこけた頬で顔相に迫力がある。がっちりしたガタイは画面を通して見ても只者ではないオーラを感じた。


 北海道の農家に生まれ育ち、高校生のときに両親を事故で亡くしている。親戚の家に預けられ、酪農を手伝いながら学び大学進学で上京。

 都内の商社に就職が決まったところまでは順当な人生を歩んでいた。

 大学進学で東京にやってきた弟と青信号の交差点を渡っていた時、信号無視の暴走運転の車が突っ込んできた。


 弟と近くを歩いていた母娘は救急搬送されたのちに死亡、高校生二人に老人一人が重症となった大事故だった。

 車を運転していたのは大手金融の重役の息子で、当時ドラッグによる酩酊状態だった。この事故は金と政治力で揉み消された。それに異を唱えたのが竜二だ。


 事故の再調査を訴えたが叶わず、それでも弟の仇と噛み付いていく竜二に、ヤクザを使った嫌がらせが始まった。

 勤め先の商社も退職を余儀なくされ、アパートも追い出され、故郷の育ての親にまで被害が及びそうになったとき竜二はブチキレた。


「キレた、というのが適切だろうな」

 榊は続ける。

 竜二は白鞘の日本刀を片手にヤクザの事務所に乗り込み、若頭以下を殺害、組長の首を落としてそれを重役の家の庭へ放り込んだ。口にはドラッグが詰め込まれていた。

 総勢十三人が殺された事件で、あまりの凄惨さに緘口令が敷かれたという。


「そういえば、一夜にして組がひとつ壊滅した話を世話になったカシラから聞いたことがある」

 鬼神だと恐れられた男、それが鳴海竜二だったのか。榊は低い声で唸る。

 竜二はその後、中国へ渡り行方をくらませる。しばらくの間、東北地方の組織で暗殺や用心棒を生業として生活していた。


「なんて壮絶な話だ」

 高谷は言葉を失う。

「竜二さんは今も暗殺者として働いてるの」

 伊織が恐々尋ねる。そんな男が曹瑛に忠告にやってくるなんて、物騒にも程がある。

「いや、数年前に日本に戻ったようだ。今は北海道で小さな農場を営んでいると」

 榊は画面をスクロールするが、報告はそこまでだ。

 

 水餃子が運ばれてきた。ねぎ生姜、四川辛味、鶏がらスープと人気の3種を選んだ。手作りの皮はもちもちで肉汁たっぷりのあんは刻んだ野菜が入っており、意外とあっさりしている。

 榊はハイボールを注文しようとしてやめた。普段なら美味い餃子に酒が進むところだが、そんな気分になれないようだ。


「また烏鵲堂で餃子パーティーをしたいね」

 伊織がぼそっと呟く。曹瑛の作る水餃子は本場のハルビン仕込みだ。素朴な味でいくらでも食べられる。何より、みんなでワイワイ餃子を包むのが楽しかった。

「そうだな」

「うん」

 榊と高谷も頷く。ここにいない曹瑛の存在が大きくなっていくのを感じていた。


「俺は明日、六本木に張り込んでみる」

 榊が話題を変える。

「真仙会の幹部がこちらに来ているという情報を掴んだ。真仙会は大連の組織、八虎連の末端に当たる。曹瑛を狙う暗殺者の存在と関係があるかもしれない」

 榊は高級車窃盗事件に躍起になっているかと思いきや、曹瑛の暗殺について手がかりを探そうと考えていたようだ。


 明日の集合を決めて解散した。榊と高谷は新宿のバー、ゴールドハートで飲み直しするらしい。改札にパスケースをタッチしようとして伊織は立ち止まる。

 後ろからやってきたサラリーマンにぶつかられ、聞こえよがしに舌打ちをされた。

「すみません」

 伊織は踵を返して足早にすずらん通りに向かう。


 明日の窃盗事件の追跡に曹瑛も乗ってもらおう。もしかしたら暗殺者の手がかりが掴めるかもしれない。姿が見えないよりは一緒にいた方が安心できる。この安心は自分のためかもしれない、それでも良い。

 伊織は息を切らして烏鵲堂の裏路地へやってきた。


 古い街灯がアスファルトを照らしている。裏口の前に人影が見えた。がっしりした体格の男だ。伊織は息を呑んで立ち止まる。男は無言だが、伊織に気付いている。

 もしかしたら、曹瑛を狙う暗殺者かもしれない。伊織の背筋に冷たい汗が流れ落ちる。

 ここで引き返すのは不自然だ。伊織は呼吸を整えながらゆっくりと歩き出す。


 烏鵲堂のカフェスペースの二階、居住スペースの三階ともに電灯は落ちている。裏口のシャッターも閉まっていることからおそらく曹瑛はここにはいない。

 伊織はホッとした。距離を取って男の側を通り過ぎようとして息が止まった。


「あっ」

 思わず口をついて叫び声が出てしまった。手で口を覆うが男は伊織を凝視している。

 鋭い眼光に無精髭、映画俳優のような面持ちは間違いない、鳴海竜二だ。全身から立ち昇る殺気というのか、伊織は雰囲気に呑まれて足がすくんでいる。


「あのう、竜二さんですか」

 伊織は務めて明るい声で話しかける。

「何故俺の名を知っている」

 ドスの効いた低い声。

「瑛さんから聞いたんです、古い知り合いだって、世話になったと言っていました」

 その言葉に、竜二が殺気を消した気がした。

「そうか、君は曹瑛の」

「友達なんです、お店にもよく遊びに来てますよ。忘れ物をして戻ったけど、瑛さんもういないみたい」

 伊織は困った顔で頭をかいてみせる。


「あのう、良かったらこの近くに美味しい中華料理屋があるんですよ」

 竜二は眉を顰める。会ったばかりの男と飯を食いにいくのか、とばかり怪訝な表情を浮かべている。

「瑛さんの友達なら歓迎しないと」

 もうやぶれかぶれだ、伊織はさあさあと竜二を手招きして裏路地から明るい通りへ出た。

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