第37話

「今帰り? 」


川澄は信号が青になっても動けないでいる俺にごく自然な第二声目を掛けてきた。


「あ、いや」


明らかに意識している俺。 あの日のキスがフラッシュバックする。 あの日あの部屋で不意討ちにされたキス。 その日以来真正面から川澄の顔を見ることが出来ないでいた。 言葉が詰まれば詰まるだけ形勢が不利になっていく、 川澄にしたっていきなりキスしてきたものの、それっきりでその後何か言い出す訳でもなかった。 それで余計に気まずくなってしまった。

不恰好だけど、 それでもなんとか保たれていたバランスが川澄の先制パンチで崩れようとしている。


「あれ? 動揺? 」


「ど、ど、動揺してねえよ」


「ふふ、 分かりやすいのね」


川澄は笑いには余裕がある。


「凄い雨だったね もう降らないかな?」


学校を出た時から比べると少しあかみ掛かった入道雲を指して川澄は言った。

川澄はあの日のキスをどう思っているのだろう、 川澄から仕掛けてきた不意討ちのキス。 けれど素直に好意だと受け取れないもどかしさだけが残っている。


「えっ? あっ、ごめん何だっけ?」


「なんでもないわよ、一緒に帰ろうよ 同じ道なんだし」


優しい笑顔。 そんな川澄の微笑んだ瞳は、彼女のことを信じきれないでいたさっきまでの俺の気持ちをすべて拭い去るほど魅力的だった。


「後ろに乗せてよ」


これなんだよな、優しさのすぐ後に見せる川澄の小悪魔的な一面。 これを出されてしまうと抗う術を失い只々従うしかない。


「危ないから持ってろよな、その…… しっかりと…… 」


なんとか格好付けて余裕の素振りを見せて出た一言。

けれど川澄はそんな俺を子供の様に扱い 「こう? 」 と言って俺の腰に腕を回してイタズラっぽく笑う。 その感触が少しくすぐったかったけどもったいないから我慢してそのままペダルを漕ぎ出した。

普段上田やヒロトたちとニケツしたって全然重くもないしバランスも崩すことなんかないけど腰と背中に当たる川澄の身体が俺の緊張の度合いを限りなく引き上げた。


「おっ! おっ! おっ! 」


「大丈夫? クネクネしてるよ」


川澄は楽しそうに俺をからかう。


「キャー、 ハハハ、 転けないでよ、 キズモノになったら責任取ってもらうからね」


それはそれで良し! ならばと思いきって俺はペダルを漕ぐ脚に一気に力を込めた。


「速い速い! キャー 」


「恐い? 」


俺も調子に乗ってからかうように聞いてみた。


「恐くなんかないよー、 死んだっていいもーん 」


「俺と一緒になら? 」


なんて、さらっと言ってみた。


「ざんねーん、 ミスキャストね 」


「なんだよチクショー! 」


笑いながら軽くあしらわれたが、それでいて川澄の身体はより一層俺の背中にピタッとくっつき、温もりが薄いシャツを素通りしてダイレクトに伝わってきた。


気持ちが休まる。 余裕が出てくる。 川澄と居るとやっぱり楽しい。 ずっと心に引っ掛かっていたもどかしさの正体はきっと俺自身の余裕の無さ、コンプレックスだったのだろう。


俺、やっぱり川澄と付き合いたい。


イケる! 今日ならイケそうな気がする!


「どうしたの? 急に黙っちゃって、 あれ? もしかして落ち込んだ? 」


「ん? あ、 考え事してた。 あのさ、俺今日ならイケそうな気がするんだ」


「何が? 」


「アイツ、 ほら、 目の前のアイツ」


川澄は俺の背中越しに自転車の進む方向を確かめた。


「アイツって? 」


俺んチも川澄んチもすみれが丘の住宅街の上の方 目の前のこの坂を登り切った先にある。100メートル近く続くその坂道を俺は何度か登り切ってやろうと挑戦していたが一度も成功したことは無い。登り切ったら何か願い事が叶うんじゃないかと願掛けしてみるも現実は厳しかった。


そのラスボスの坂道が今 俺たちの目の前にそびえ立っている。


「あの坂道、 俺まだ一度も自転車で登り切ったこと無かったけど今日ならイケそう、 勢い付けるからしっかり掴んどけよ」


「えっ!? 私を乗せたまま? 一人でも成功したことないんでしょ? 」


「川澄を乗せたままじゃなきゃ意味ねえんだよ、行くぞ! おりゃぁ」


俺は勝手に絶対に失敗出来ない願掛けした。


そして坂の60メートルほど手前から全速力でペダルを漕ぐとそのまま一気に駈け登った。 イケる! イケる! いかなきゃ!


「お…… ど…… りゃぁ…… 」


やっぱりイケる! 一人の時とそれほどキツさは変わらない。 あと3メートル位か? もう首を伸ばせば坂の向こうの景色も見える。 雨はすっかり止み、目の前にいつか坂の上から途中で諦めた俺を嘲笑っていたでっかい夕陽が現れた。


絶対ぜってー登ってやる、 チクショー…… 川澄! 俺が登り切ったら…… 付き…… あっ…… 」


息も出来なくなってきた。 もう少しなんだ、 ひと呼吸するだけでも身体中の力が抜けてしまいそうだ、 頭に血が上る、 やべぇ鼻血出そう。


「付き…… あって…… く…… 」


あと一漕ぎ、 この右足を踏み込めば!


「れ! 」


スッと自転車が軽くなり全力を込めた右足は勢いよくペダルを蹴り俺を坂のてっぺんまで運びきった。


「よっしゃー! 川澄…… ぜぇ、ぜぇ、 あれ? 川澄? 」


軽くなった自転車の後ろに川澄は乗っては居なかった。 急に自転車が軽くなったのは川澄が飛び降りたからだった。


「ごめんね、瀬野君。 私 瀬野君と一緒には登れない」

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