第31話

ズズ…… 机の上のスマホがメッセージを知らせる為に一度だけ微動する。


今週は色んな事があったなと なんとなく振り返りながら金曜日の夜を歌番組も観ることもなくベッドの上で過ごしていた。


『おーい』


スマホの通知には川澄の名前が表示されていた。窓から陰気なオジサンが覗いてる川澄のイメージとは掛け離れたスタンプが貼ってあったがメッセージはそれだけだ。俺は返事を打つよりも前に部屋のカーテンを開けてみた。 思った通り、窓の向こう数メートルの所で川澄が手を振って立っていた。


「オ、オッス」


川澄はそれには応えずスマホをタッチした。


『たいくつ』


まだ声を発していない川澄に合わせて俺もスマホで返す。


『散歩でも行く? 』


『もう暗くなるよ』


『じゃあこのままこれで? 』


『ウチくる? 』『誰も居ないよ』


えっ? すぐに顔を上げると川澄もスマホの画面から目を離してこっちを見て微かに笑った。 晩飯は食べたし川澄の家に行くよりも大切な用事なんてこの先10年きっと無いだろう、返事も返さず急いで部屋を出ようとした時にもう一度メッセージが来た。


『窓から来てみてよ、ロミオとジュリエットみたいに』


今度はゆっくりと振り返り川澄の顔を見た。窓の向こうの川澄はイタズラっ子のように笑っている。


初めて見る川澄の一面だった。


イタズラっ子というよりは少しイジメっ子に近いような気もする。 けどその小悪魔的な彼女の微笑みは自分でも気付かなかった俺の心の奥底を刺激してくるのだった。 窓際に戻って隣の川澄の家との距離を目で計ってみた。3、いや5メートルあろう、さすがにひとっ飛びって訳にはいかない。ならば梯子を使って…… 。


「冗談よ」


川澄が笑いながら初めて喋った。


「玄関開いてるから、あっ、でも一応 靴は持って上がって来てね」


どこか川澄に遊ばれてるようで悔しかったが、それでも一番安全な方法で確実に川澄の部屋に入れるのだから文句を言わずに黙って従った。


「いらっしゃい」


誰も居ないと聞いていても緊張する。玄関まで迎えに来ていた川澄に連れられて俺はそそくさと部屋に入った。 綺麗に整頓され無駄なモノがほとんど見られないその部屋は川澄の性格をよく表している。白いカーテンが開けられた窓の向こうには隣の家の2階、つまり俺の部屋がよく見える。壁のハンガーラックには学校の制服がしわにならないように綺麗に掛けられ、その隣の明るい木製のローチェストが、 もしかしてその中には川澄のパ…… パン…… 。


ゴクリとはっきり聞こえるくらい喉が鳴った。 しばらくローチェストを凝視していた、 あわよくばその引出しの中が透視出来ないかと願いながら。


「お兄ちゃん」


「ん? 」


川澄はじっと一点を見つめて固まっている俺にそう言った。 一瞬何の事だか分からなかったが、ふと目線をずらすとそのローチェストの上に写真が飾ってあり、川澄は俺がその写真に釘付けになっていると勘違いしているのだと分かった。


「死んじゃったけど」


写真には川澄と仲良く肩を組む男の人が写っていた。写真の川澄は今の彼女よりも少しだけ幼いからおそらく2、3年前に写したものじゃないかと思う。


「お兄ちゃん…… 死んじゃった…… 」


頭の中では引出しの中にあるであろう川澄のパンツの事がまだ整理出来ておらず、何気なく耳に届く川澄の言葉を声に出してただ繰り返した。


「そっか…… お兄ちゃん死んじゃったのか…… えっ!? 」


「3年前、自殺したの、受験ノイローゼ。お兄ちゃんはお父さんとお母さんの希望だったの。 ううん、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんも。 小さい時から川澄家の期待を背負って東大目指して、その為に育てられて来たような感じだったわ。 少しでも成績が下がれば酷く叱られていたし、部屋から出してもらえなかったの。 ずっと苦しんでいたんだと思う、合格発表の日の朝、その日はお母さんと一緒に発表を見に行くはずだったけどお兄ちゃんは起きて来なくて。 心配したお母さんが部屋に行ったらお兄ちゃんはベッドの上で…… 」


川澄に説明されながら俺は写真の男の人を見た。 公園のようだった。楽しそうに笑っているがずっと一人で悩んでいたんだろう。


「お兄ちゃん、私には凄く優しかった。 私の前ではそんな辛そうな顔は少しも見せなかったわ。 だから私、お兄ちゃんがそこまで悩んでいることに気付いてあげれなかったの」


川澄はそう言うとローチェストの前まで行き「ごめんね」と呟くと、こっちを見て笑っているお兄さんの写真立てをクルッと反転させた。


あれ? これってもしかして「この後の展開は恥ずかしいから見ないで」ってことか? 川澄、いいのか?

俺が一人ドギマギしていると川澄はローチェストの最上段の引出しから煙草を取り出して咥え、その極細の煙草の先に火を付けた。


「川澄? 」


「うん、あの時も屋上で吸っていたの。 まさか見つかるなんて思ってなかったけど」


川澄は当たり前のような顔でフーッと息を吐くといきなり俺の目の前に顔を近付けてきた。そして。 一瞬のことだった。 俺のセカンドキスはメンソールのタバコの味がした。

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