第30話
屋上の出入り口は一つだけ、 それなのに全然違う方向からいきなり現れた光彦先生にそこに居合わせた誰もが驚いた。
「先生もしかして…… 」
俺は光彦先生の後ろに立つ貯水タンクの上を指差し「あそこに居たの?」とジェスチャーをしてみた、すると先生は口許を少しだけ緩めて照れくさそうに頷いた。
「なんだ、産休教師か」
「上杉先生、授業はどうしたんですか?」
教頭の笹井も同じく、このひ弱な見た目の光彦先生に対して冷徹な口調でこの時間にここに居ることを咎めた。
「いえ、授業はちょうど空き時間だったので、この季節の気候や風向きなんかを調べようと思いましてね」
光彦先生は
「ふんっ、国語教師が気候を調べてどうしようってんだい、アンタ! 見ていたんだったら証人になれるよな? おうっ?」
峯岸は恫喝するように声を荒げて聞いた。 光彦先生はきっと見ていただろう。 峯岸や笹井が元々用意していたタバコの吸い殻をそこに居た川澄に突き出し、喫煙していた犯人に仕立て上げようとしていたところを。 それなら話は早いんだけど、峯岸の強気の口調はそんな事実をも掻き消そうとするようなものだった。
「いや~、 僕が気付いたのはお二人の大きな声がした時なんで、その前のことはハハハハ、なにせ上空ばかり見ていたもんですから」
助っ人登場かと思いきやどっち付かずの曖昧な言い分に俺は心底がっかりした。
「だったら引っ込んでな!」
これは峯岸に同意せざるを得ない。 悪いけどこの状況で何も出来ないのなら出て来ても邪魔でしかない。
「彼女がタバコを吸っていた所は見てないですが、お二人が教官室でタバコの吸い殻をわざわざケースに戻しているところは見てしまったんですよね、コレもそうですよね?何にお使いになるんですか?」
光彦先生の右手にはセブンスターの空箱があり、こちらに見えるように向けたその箱の中には確かに新しいタバコではなく、吸い殻がいくつか入っていた。 明らかに二人の顔色が変わり動揺しているのが分かる。
「知らないな、それこそ そんなモノ、アンタが用意したんじゃないのか? ワシのモノだと言う証拠でもあるのか? 」
光彦先生はよほどの自信か、笑顔を崩さず答えた。
「そんなものはありませんよ」
峯岸はほっとしたように一息つくと威勢を取り戻して光彦先生を威圧しようと声を上げる。しかしそれを止めるように光彦先生は続けた。
「それよりも峯岸先生、教頭先生、お二人にちょうど聞いておきたい事があったんですよ」
「なんだってんだ? 今忙しいのぐらい分かるだろう」
峯岸はつまらなそうに相手にしなかった。
「岡野源一さんってご存知ですよね?」
「さあ知らないな」
峯岸は一瞬返答に詰まったがそれでも口調を変えずに落ち着いた様子で答えた。 が、教頭の笹井は俺たちでも分かるくらい明らかに動揺していて顔がみるみる紅潮していった。
「全部話してくれましたよ、本当に悪かったと思っているんでしょうね、おそらく今頃は校長室で校長先生に説明している頃じゃないでしょうか」
「バカな! 」
こちらは急に顔面が蒼白になり、慌てて中庭がある方に走り出すと何かを見た峯岸はそのまま手すりの前で膝を付いて崩れた。 俺たちは峯岸の後を追った。 屋上のその位置からは中庭を挟んでちょうど校長室が見える。校長室のソファには校長先生と向かい合うように60歳くらいの小さい爺さんが座って居た。
「と、とにかく急ぎましょう、峯岸先生」
事態を把握した教頭の笹井は脱力してしまった峯岸の腕を取るとなんとか歩かせてその場から立ち去ってしまった。
これはそのあと光彦先生が屋上に残された僕たちに話してくれたこと。 岡野源一という人は学校のすぐ裏に住んでおり、その敷地には使われていない作業倉庫があるそうだ。 そう、俺と上田が三年だった神崎に呼ばれたあの倉庫だ。
三年程前に岡野さんのところに峯岸と笹井が訪ねて来てある話を持ち出した。 勉強ばかりで窮屈な生徒達の息抜きの為に倉庫を貸してやってほしいと。 人の良い岡野さんはその言葉をそのまま信じて善意のつもりで倉庫を提供したのだった。
一ヶ月が過ぎた時、岡野さんは峯岸から封筒を渡された。封筒には謝礼と書いてあり、中に一万円入っていた。 最初からお金を受け取る気など無かった岡野さんだったが、笹井からほんの気持ちだと言われ「まあこれくらいなら」と深く考えずにそのまま貰うことにしたそうだ。 三ヶ月程経った時、岡野さんは倉庫の学生達が当たり前のように授業をサボり煙草を吸って、時にはビールの空き缶なども落ちていることを心配し峯岸と笹井に相談した。 そこで二人から返ってきた答えは、その事を一切口外するなと言う事だったのだ。 「アンタは毎月家賃を受け取っているだろう? アンタが金を取って倉庫を貸しているんだ。つまりアンタが首謀者だろう?」と。
岡野さんはいきなりのことに動転してしまったが、峯岸に「安心しろ、アンタさえ黙っていれば誰も困らないんだから」と半ば脅迫される形で今になってしまったそうだ。
「ひでえ話だな、だいたい神崎は一人から五千円集めていたんだぜ、毎年三十人は使ってたとして毎月十五万くらいにはなってた筈なのに」
「おそらくあの二人がそのお金を手にしていたんだと思う」
「せっこい奴らだな、 あっ! もしかして岡田が三年の奴らにやられたのも…… 」
「きっと何か三年生と岡田君との間にトラブルが起こったんでしょう。 それをあの二人がもみ消したのかと」
「な~んとなく分かってきたよ、神崎のヤツ言ってたんだよな「ココなら絶対にバレない」って、そりゃ峯岸達から提供された場所なんだからバレる訳ねえよな、あの時のアイツの自信はソレだったのか」
「とにかく川澄、変な事に巻き込まれなくて良かったな」
「う、うん」
川澄はまだ落ち着きを取り戻せないのだろう、ぎこちなく笑った。 たしかに授業の時間に屋上に居たのがバレたのはミスだが、その為に危うく喫煙犯にまでされてしまうところだったんだから。
「もうすぐ授業も終わるし戻ろうぜ」
俺と上田は川澄を促して階段を降りていった。 光彦先生も峯岸の手から落ちた極細のタバコの吸い殻を地面から拾い上げるとティッシュにくるんでポケットにしまい、何も言わずに俺たちの後を付いて降りてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます