第11話

「たつやー ! これアンタの荷物、自分の部屋に持って行って、 それからこれ凌ちゃんの分、アンタの隣の部屋だから運んであげて」


「ったく、なんで俺がアイツの分まで片付けなきゃなんねえんだよ」


「仕方ないでしょ、凌ちゃん今お婆ちゃんの散歩に付いていってもらってるんだから、アンタお兄ちゃんなのよ」


「達哉君、わるいね、何しろ男手が僕と達哉君しか居ないもんだっ! った! っと! うわぁ~ 」 段ボール箱を二つ重ねて階段を登ろうとした光彦さんは最初の一段目で足を踏み外して尻もちをついた。


「大丈夫? みっちゃん、 もう体力無いんだから無茶なことしないでね、力仕事は体力しかない達哉に任せとけばいいのよ」


「チェッ、聞こえてるんだよ」


10月のある晴れた週末、いよいよ引越しとなったその日。 昨夜まで上空には台風の影響で低くて分厚い雲がどこまでも広がっていたが、朝からは快晴でそれが嘘みたいに空は真っ青だった。


新居となるすみれが丘のこの家は二階建ての4LDKで一階は足の不自由な婆さんの為にバリアフリーにリフォームしてあった。 婆さんは去年70歳になったらしい、何年か前に交通事故に巻き込まれそれから車椅子の生活を余儀なくされてしまったそうだ。


ピーンポーン


「たつやー ! ちょっとー ! 」 階段の往復をすでに8回程して一階に降りてきた時に母ちゃんがまた声を掛けてきた。


「今度は何? まったく人使いが荒いんだよ」


「お客さーん、玄関出て」 荷物の運搬と空気の入れ換えの為に開けっ放しにしていた玄関には芽衣の母ちゃんと父ちゃんが立っていた。 そして二人の後ろに隠れるように芽衣も立っていた。


「タッちゃん、手伝いに来たわよ」

「ああ~本当に引越ししちゃったんだなぁ、ナオミちゃんともなかなか逢えなくなる訳か」

「またアンタは、そればっかり、タッちゃんお邪魔していい? 」


「あっ、どうぞ」


「ナオミちゃ~ん、 手伝いに来たわよ~ 」 二人が家の中へと入ってしまい玄関には俺と芽衣だけが取り残される形になった。


「おっす」 「お…… おっす」 気まずそうに芽衣が返事をする。


「これ、差し入れ」 芽衣は両手でたくさんのおにぎりが入った大皿を抱えていた。


「ちょっと早く持ってよ、重いんだから」


「お、おう」 そういって俺に大皿を預けると芽衣はそそくさと皆の居るリビングへと歩いて行った。


「こんにちわ、ナオミちゃん、上杉先生」

「芽衣ちゃんせっかくの休みなのに悪いわね」

「こんにちは小山内さん」


「そうか!旦那さんって芽衣の学校の先生だったんだっけね、芽衣! アンタしっかりお手伝いして点数稼いでおきなさいよ!」


「ハハハハ、 お母さん大丈夫ですよ、小山内さんは十分成績はいいですから」


「はぁ~、しかしナオミちゃんも遂に他人のものになっちゃうんだよなぁ~」


「だからアンタはいつまでウジウジしてるの! もうこの人ったら毎日この調子なのよ」


引越ししてきてもリビングからは今までの様に芽衣の父ちゃん母ちゃんの声が聞こえる。


「ただいまー 」


「ワンワンワン」


「お義母さんたち帰ってきたわ、せっかくだからみんなで差し入れ頂いちゃいましょう」


「この子がりょうちゃん? 」


「そう、愛想のねえガキだろ? 」


「そんなことないよね~? はじめまして小山内芽衣です! 芽衣お姉ちゃんって呼んでね」


「…… 」 プイッ 凌はおにぎりを1つだけ取ると小さく抑揚の無い声で「いただきます」とだけ呟いて自分の部屋のある2階へと消えていった。


「なーにアレ? 可愛くないの! 」 完全にスカシを喰らった芽衣はプンスカと鼻息を荒げて怒っていた。


「ごめん芽衣ちゃん、凌ちゃん人見知りが激しくてね、馴れたら優しくてとってもいい子なのよ」


「ワォーン…… 」


「そうだリョウにもお水あげなきゃ、芽衣ちゃん、お願いしていいかしら? 」


「はーい 任せてナオミちゃん」 芽衣は母ちゃんから水飲み用の器を受け取ると、水を汲んで玄関に繋がれていたリョウに持って行ってやった。


「よろしくね、リョウ」 「ワンワン」


「こっちのリョウはお利口さんね」


「そうでもねえぞ、コイツも相当バカ犬だから気を付けろよ」


「ワンッ ワンッ」 「わっ! やめろって、こっち来るな! 」 「ワンワンワンワン」 「フフフ、よく分かってるじゃない、いい子いい子」


ダメだ、コイツは完全に俺のことを自分よりも下に位置付けしやがった。 全く凌といいリョウといい俺のことを舐めやがって。


引越しが決まってから芽衣とはどこか気まずい雰囲気だったのだけど、リョウバカ犬のおかげで少し紛らわせた感じがした。


「こんにちわ」 初秋の心地良いそよ風を思わせるような、その涼やかな声は玄関前にひとまず仮置きした引越し荷物の隙間から聞こえてきた。


「川澄」


「こんにちわ瀬野君」 川澄はニコッと笑い、そして俺の横に居る芽衣にも少し戸惑ったような顔で頭を下げた。


きっと芽衣のことは顔は見たことがあっても名前が出てこないのだろう。


「瀬野君、もしかして引越しして来たの? 」


「ん、お、ああそうなんだ、川澄の家もこの辺りなのか? 」


川澄がこのすみれが丘に住んでいることなど百も承知だったがそこは知らぬフリをして聞いてみた。


「そう、この辺りなのよ」


「そっか、よろしくな」


「これから一緒に通学とか出来るね」


「お、おう」まさか 川澄の方からそんな誘いを受けるなんて思ってもなく、反射的に飛び上がりたくなるほど嬉しかったがそこでも敢えてクールを装って軽く返事するだけに留めておいた。


「忙しそうだからまた今度ゆっくりね、それじゃ」


「おう! また屋上」 自転車に乗って坂道を下って行きみるみる小さくなる川澄を俺は暫く眺めていた。


「ちょっと達哉、今の特進の川澄さんでしょ? どうしてアンタみたいなバカが特進の生徒と知合いなのよ! 」 少し機嫌を直していた芽衣だったが、また口調はキツく戻り、そしてもっとキツく俺の尻をつねってくる。


「いててっ! 別にただ普通に友達なだけだよ」


「怪しいわね、リョウ、このバカのこと咬んじゃっていいわよ」


「ワンワン」


「バカ、よせっ! 」 リョウに吠えられて恥ずかしながら道路まで退け反った時、ふと見上げた二階の窓には遠く空を眺める凌が居た。 その凌の目線の先を辿っていくと、薄くぼやけたひこうき雲が真っ青な空に溶けてゆくところだった。

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