空に浮かぶ半透明と見上げる人々が見える……

 『それ』が現れたのは突然のことだった。『それ』は空に浮かぶ半透明の何かだった。『それ』はここではない、どこかの場所で、誰かが私たちに話しかけていた。


「こんにちは世界。こんにちは皆さん。ご機嫌いかがですか?」


 『それ』は大きくはなく小さくもない声で私たちに話しかけていた。村の誰かがそれに向かって石を投げたが、その石はそこまで届かずに地面に落ちた。


「おっと、ご安心を。私は皆さんに危害を加えることはありません。私は無害です。本当ですよ」


 とは言うけれど、すぐに信用できるほど、私たちは子供じゃない。その人もしばらく苦笑していたが、肩をすくめて仕切り直した。


「まぁ、じきに慣れるでしょう。この放送は毎日この時間に行いますので、もしお手すきならぜひご覧ください。皆さんのお役に立つことをお伝えしますので。では」


 そう言うだけ言って、『それ』は消えた。


 その日から宣言通り、『それ』は毎日、たぶん同じ時間に、たぶん同じ長さだけ、『にゅーす』なるものをやっていた。

 ある日は神話を、ある日は明日の天気を。内容は気まぐれで、たまに誰でも知っているようなことを、たまに誰も知らないようなことをやっていた。

 じきに、皆『それ』に慣れていって誰も気にしなくなった。

 ただ、その時間は『それ』に気を取られてしまうので、なし崩しに一休みする時間になっていった。

 農業も作業も、皆でやらないと効率が悪い。だからたった数人でも手が止まるなら、皆で休んだ方がいいと皆思ったんだろう。


 それに、人気の内容の時は皆で手を止めてそれを見た。

 それは『明日の天気』と、『世界の地名』の時だ。

 明日の天気はまるで明日を知っているかのようによく当たる。特に農作業は雨の日はあまりやることが無いし、可能なら雨が降る前にやっておきたいことも多い。だから、『明日の天気』は皆の注目の的だ。

 そして『世界の地名』。これは明日の天気ほどではないけれど、この村のほとんどの人はこの村から出たことがない。だから、外の世界に興味があっても村を出てみようと思う人は少ない。なにより危険だし、魔物に殺されても仕方ないからだ。だから皆外のことはほとんど知らない。

 でも、知らないからといって興味がないわけじゃない。特に好奇心旺盛な私みたいな子供は外に何があるのか知りたいと思ってる。だから、『世界の地名』は私たちみたいなのにはピッタリだった。できればどうしてその土地の名前がそうなったのか、よりもその土地がどんな土地なのかを教えて欲しいけれど、そういうものなんだから仕方ない。

 石ころも届かなかったんだから、声も届くとは思えなかった。


 そうやって、『それ』が私たちの生活に馴染み始めたある日、これまでにないものが始まった。『へんなもの』というやつで、そこに見えたのは細長くて大きい何かだった。

 なんだなんだと皆が空を見上げる。するとそのへんなものの周辺がにわかに騒がしくなった。たくさんの鎧を来た人たちが現れて、何かを探している。それを無視して『それ』がへんなものに近付くと、一番下からてっぺんまでを見せて、こんなことを言った。


「おやおや、これはとても大きな……なんでしょう?少し中身を見てみましょうか」


 そう言ってその誰かは平然と、そのへんなものを突き抜けた。こういうことはよくある。どこかの町を見るときも平然と壁を突き抜けて町の中に入るし、普通は入れないはずのお城の中にだって平気で入って行く。

 だけど、誰にも見つからないし見つけられない。『それ』はそういうものだった。


 でも、こうやって、突き抜けたものの中身を見るのは初めてかもしれない。だけど、中を見てもよく分からなかった。たくさんの何かの部品と、液体のようなものと、光る大きなコア。コアだけは分かる。それは『それ』の『魔物について』でやっていた。魔物の中にあるという魔石のことで、魔石から……ふじゅんぶつ?を取り除くとコアになるらしい。

 ということは、それは『まどうぐ』なんだろうか。コアはまどうぐに使われると言っていた。とても大きなまどうぐは一体何に使われるんだろう。


 そう思っていると、『それ』が答えを出してくれた。


「いけませんねぇ。これは兵器のようです。人殺しの道具ですね」


 へいき。

 ひとごろしのどうぐ。

 それを聞いて、私は青ざめた。周りのみんなも似たり寄ったりだ。

 『それ』が『へいき』の中から出ると、とても騒がしくなる。鎧の人たちが色々な方向に武器を向けて、何かを言っている。その中にはローブを着て杖を持った人たちもいた。


「どこの誰がこんなことをしているのでしょう。よく見てみましょうか」


 そう言って『それ』は鎧の人に近付いて、その盾に寄っていく。

 そこには大きな模様が書かれていた。


「ふむ、これはロダイト帝国の紋章ですね。紋章というのはその国のシンボルです。名前を書いても良いのですが、名前だと読むのにちょっと時間がかかりますよねぇ。だから模様を作って、一目見ればどこどこの国の人だ!とか、どこどこの国の兵士だ!とか、分かりやすくするんですねぇ」


 ロダイト帝国。私は詳しいことは分からないけど、確かここオウド王国と近かったはずだ。そんな国がそんな危ないものを作っているなんて。


「ど、どど、どうしよう?」

「どうするってったって、どうしようもなくないか?」

「逃げるか?」

「どこに?どこに向かえばいいんだ?」


 誰もが口を開いてどうしようかと相談している。だけど答えは出ない。だって私たちは農民だ。出来ることと言ったって、村を捨てて逃げることぐらいしかない。


 「ロダイト帝国はこの位置にある国です。そしてこの国の南部にはオウド王国、西部にはキシア聖国があり、北部は峻険な山脈、東部には広大な森が広がっています。もし、帝国が攻め込むのだとしたら、国力の弱いオウド王国でしょう。聖国は神がおわすとされる国ですから、聖国よりは王国でしょうね」


 『それ』に地図が出てきて、大きなロダイトていこくから矢のようなしるしが伸びて王国に突き刺さった。その先はぐいぐいと食い込み、王国を突き破っていく。


「に、逃げるぞ」

「そんなこと言ったってどこに!?」

「どこでもだ!死にたいのか!?」

「魔物が出ても死ぬだろうが!!」


 誰かが言った言葉に誰かが答えて、周りの声はどんどん大きくなっていく。私も何かしなきゃいけない気がして、家に戻ろうとした時だった。


「おや、時間のようです。それでは皆さんまた明日」


 何を無責任な。そう言いかけて止めた。皆が口々にそう言っていたからだ。それを見ているのが嫌で、私は家に逃げるように帰って、お母さんに抱き着いた。

 お母さんは何も言わずに私を抱きしめてくれる。だけど、お母さんも震えていた。それが何だかとても怖くて、その日はあまり眠れなかった。


 その翌日は皆気もそぞろで、農作業に身が入らなかった。何人か逃げ出した人もいるからかいつもより人が少ない。それでも、ここに住むのなら農作業はしなくちゃいけないのに、私も手が付かなかった。

 そうやって、いつもの時間になった。


「こんにちは世界。こんにちは皆さん。ご機嫌いかがかな?」


 その挨拶を、聞き流しているようでいて、皆続きが聞きたいみたいだった。昨日の今日だ。帝国はどうなったのか。王国はどうするのか。それを聞きたかったのに。


「今日は特にニュースはありませんので……明日の天気にしましょうか」


 いつもは嬉しいはずのそれが、今日は誰も歓声を上げなかった。皆暗い顔で農作業を続けている。何を言っても無駄だと、昨日気付いたからかもしれない。結局空に何を言っても、『それ』は反応しなかったのだから。

 だけど。


「ふむ。その予定では無かったのですが、良いでしょう。誰も見ないものを流しても仕方ありませんからね。いずれ皆さんにも知らせがあると思いますが、私が先んじてお知らせしましょう。生放送にして正解でした」


 その回りくどい言い回しを聞いて、だんだんと皆何を言っているのか分かってきたのか、空を見上げ始める。私も空を見上げた。

 

「これは昨日の時点での情報ですが、あれは帝国が秘密裏に作っていた魔道兵器だったようです。それを全世界に明らかにされてしまったので、帝国は大慌て。兵士たちがたくさん出てきたのもその所為ですね。まぁ、意味はありませんでしたが。しかもその結果、どこの国かも特定されてしまって、憐れ、あの盾を持っていた兵士殿は失態を犯したとして処刑されてしまいました。非人道的ですね」


 私を含め、皆がそんなことはいいから先を話せと思っていたと思う。確かに、その兵士さんは気の毒だけど、今は私たちの命の方が大事だった。


「そういうわけで、本当はそれを使い、遠隔、あー、遠い所から他国の軍を攻撃してやろう、という魂胆でしたが、これが明らかになった以上、他国は同盟を組み、より強固になって帝国に対抗するでしょうから、それを想定して今日の朝方に軍事会議が行われました。会議は紛糾し、過激派と保守派の間で意見が割れ、今も言い争いが続いています。つまりは、何も決まっていないということです」


「つまり……どういうことだ」

「帝国が他国を攻撃しようとしてたけど、兵器がバレたから、なんだ?」

「同盟ってなんだっけ?」

「前にやってただろ。たしか国同士とかで協力しようって約束だろ?」

「……で?」


 いつもより内容が難しくて、皆が混乱していた。私もどういうことなのかちょっとよく分かっていない。その次の話も同じような感じだった。


「とりあえず、帝国に対するなら最低でもオウド王国と聖国で同盟を結び、可能ならオウド王国南部のグードリ王国とも同盟を結ぶべきですね。

何しろ、オウド王国が侵略されてしまったら次はグードリ王国ですから。特にかの王国は平原が広く、大勢の兵を展開するには好都合です。

様子見でオウド王国を乗っ取られた後では戦況は一気に厳しくなるので、グードリ王国としてはオウド王国を帝国にとられないのが鍵となるでしょう」


 皆黙り込んでしまった。空を見上げているものの、ぽかんと口を開けて、何も言わない。きっと私も同じような顔をしていると思う。


「おっと、ここで速報が入りました。聖国の急使がオウド王国とグードリ王国に到着。早速交渉に入るようです。流石は聖国。まず先に動いて有利に立とうとしているようです。尤も、両国はこれを断れないでしょうが」


「きゅうしってどういうことだ?」

「急に死んだってことか?」

「聖国のきゅうしだから違うんじゃないか?」


 よく分からないものの、オウド王国、つまりこの国の名前が何度も出てきているので、少しほっとした。何度も出てきている、ということは何かやってくれているんだ、と思いたい。

 それに皆が慌てていないのも、昨日よりはマシだった。



 だけど、次の日も、その次の日もそういう話はなかった。

 そうしてみんなが忘れた頃、それがやってきた。


「今日はじつにめでたい日です。ついに3ヶ国同盟が結成されました。これでとりあえずは帝国が無闇に他国を攻めるということはなくなるでしょう。戦争は勝った国はともかく、負けた国は悲惨ですからねぇ。少なくとも、この世界からオウド王国が消えるという未来は回避できました。」


 その言葉に皆が歓声を上げた。それはそうだろう。命懸けで逃げださなくても良くなったのだから。

 今の生活が楽という訳ではないけれど、私達が他の場所でも生きられるとは到底思えなかった。

 歓声は徐々に落ち着いて、安堵のあまり泣き出す子や『それ』を拝むように両手を組み合わせてありがとうと言い続ける人たちが見えた。


 私もホッと息をついて農作業に戻る。その日から日常が戻ってきた。

 『それ』によって私たちの命が脅かされることは最終的には無かった。ときたまオウド王国の話も出たが、大体はオウド王国に何か秘密があったわけではなく、脅威がオウド王国に近づいているという話で、その度に怯えては相談してどうにかしようと思ったけれど、全てオウド王国の偉い人が解決してしまった。

 何よりやはり、最初に結んだ同盟が大きかったのだと、私は何度もにゅーすを見るうちに気付くことが出来た。

 その頃には私たちはただの村民ではなく、ある程度の国際情勢とそれに伴う知識をそれなりに得ることが出来たちょっと賢い村民になっていた。


 それでも、具体的な話はよくわからない。でも、自分たちの国がどういう立ち位置で、どういう状態にあって、今どうなっているのかぐらいは分かるようになっていた。

 それだけでも、今逃げる必要が無いということが分かるだけでもありがたい。村に住むような農民は弱いからだ。

 これまでは状況に流されるばかりだった私達がこうやって自分たちで考え、自分たちで判断して行動できるようになったのは、間違いなく『それ』のお陰だった。


 私は違うが、『それ』を神様かのように崇める人たちもいる。それ程には『それ』は偉大だった。

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