執務室で書類を読む男とメイドが見える……

「こちらが今朝のログです」

「ああ」


 このお屋敷に勤め始めて2年が経った。

 この職場に不満はない。過ぎたことを求められるわけでも、理不尽な目に遭うわけでもない。

 ただ淡々と掃除洗濯などの家事と給仕や秘書の真似事を仕事として熟してきた。


 ただ一つ、不可解なことがある。

 それはご主人様が何をしているのかが分からない、ということだった。


 執務机に着いて書類仕事をしているわけでも、外出して他領へ行くわけでもない。ただ、日がな椅子に座り、ログなるものに目を通しているだけだ。

 大抵は目を通すだけで、たまに執事を呼びつけて指示を出している。たったそれだけのことしかしていない。

 にも関わらず領地を治められていることが、理解できなかった。


 最初は些細な違和感だった。続いて、不安が生まれた、このままで良いのだろうか、と思うようになった。今は不満を抑えて仕えている。

 同僚からは態度に出さない方が良いと言われてきた。ご主人様は不気味なほど感情を乱さない方だからだ。何をされるかわからないと皆は言っていた。

 実際に、異議を唱えた使用人たちは一様に姿を消している。自分がそうならないとは限らない。そう思っていたのだが。


「今朝のログです」

「……ふむ。今日の仕事はもう良い。執事」

「はい」

「彼女を」

「はっ」


 何が不味かったのだろう、そう思わずにはいられなかった。私は驚き、緊張しながら執事の後に付いて行く。

 向かった先は、部屋ではなく屋外だった。

 まさかこの場で解雇を、と思ったが、執事からは意外な事を言われた。


「一度、深呼吸をされては如何でしょう。

 随分と緊張されているようですから」

「は……?」


 思わず疑問の声が口から零れてしまい、思わず手を口にやると、老齢の執事はコミカルに肩を竦めてみせた。


「坊ちゃまは不器用な方でしてな。あのような不器用なやり方でしか配下を気遣えないのでございます」

「……はぁ」


 気遣い。あれが。そう思ったのが伝わったのだろうか、執事は一つため息をついて話し始めた。


「坊ちゃまは、後に覚醒された……後天性の能力をお持ちなのです」


 それは誰もが知っているほど有名な話で。特に物語に登場する勇者などがその典型的な例だった。

 能力所持者という人たちがいる。彼らはいたるところにいて、様々な能力を持っている。その内容は非常に役立つものから、大して役に立たないものまで様々だ。

 それらは生まれつき持っているもので、自然に使えるようになり、使えるようになった時点から能力が成長することはない。

 そのため、村でも街でも都でも、幼い頃から能力というものを教えられ、人に向かって使わない、許可された場所で使う、といったことを徹底的に教え込まれる。

 このルールを破ると子供でも殺されることがある。それほど危険なものだからだ。


 けれど、物語の勇者はそうではない。

 始めは能力が弱く、そしてだんだんと強くなっていく。普通の能力ではない。これが後天性の能力と呼ばれている。

 後天性の能力は、必要に応じて発生すると言われている。そして、徐々に成長し、その限界は無いとされている。

 子供の頃は、勇者の物語は作り話として教えられるが、大人になると本当の話だったのだということが教えられる。

 それは無闇に能力を使う期間は過ぎたとされ、もしもそれではないかと思う能力に心当たりがあるのならば育てよ、という国の方針だからだ。


「その顔は勇者の物語を思い出しておいでかな?ですが、後天性の能力は、必ずしも良いものではないのです」


 それから、ご主人様の過去が語られた。

 覚醒はおそらく6歳の頃。まだ幼い子供の頃だったという。彼は静かな場所でも周りがうるさいと言う様になり、部屋に篭るようになる。

 これは妙だと、医者に掛かっても原因は分からず、この時点では能力であるという判断は為されなかったという。

 明確な異変があったのは8歳の頃だった。彼は部屋を飛び出し、特定の方向を指差しあっちが酷くうるさいのだと言い出した。

 最初こそ子供の癇癪だと受け流していた両親も、何時までも泣き止まず部屋にも戻らない息子に何かを感じてその方角を調べさせると、多くの村が焼き討ちに遭っていたのだという。

 最初は大規模な盗賊団でも現れたのかと思い、付近を捜索させたが何も見つからず、大変な思いをして息子をその方角に連れて行くと、巧妙に隠された隠れ家があり、そこには攫われた女子供と丸裸の盗賊たちが居たのだという。


 それからも、彼は彼の意図せずして現場を突き止め続けた。だが、同時にそれは彼にとっても地獄だったのかもしれない。

 じきに彼は感情を抑え込むようになり、身の回りには冷静な人間を置くようになった。そして、年齢を重ねるごとに、彼の能力は成長を続けた。

 現在は、範囲はこの領地内に留まるが、より正確に、どの地点で感情の揺れがあったのか、それがどれほどのものであるかが分かるようになったのだという。


「そういうわけで、貴方はまだ続けられますかな?」


 そう言われて、私は悟った。おそらく今までも、ご主人様の前で感情を揺らした人間はこうやって執事にその由来を話されて、決断を迫られてきたのだと。

 普通、勝手に人に心の内を読まれていい気はしない。正確には感情を、ということらしいけれど、そんなことは些細なことだ。

 人によっては毛嫌いする人もいるかもしれない。


「幾つか、質問してもよろしいでしょうか」

「ええ、不明な点も多いでしょう。どうぞ」


 でも、私にはその気持ちがほんの少しだけ分かる。私は農民の出で、多少見目が良いからとそういう教育を受ける機会があったから飛びついてやってきた。

 村にいた時は、7人兄弟の末っ子だった。上に4人の兄と2人の姉に揉まれて、私の居場所など無く、母が可愛がってくれる事だけが唯一の拠り所だった。

 だから、嫌になるぐらい騒がしいのも分かるし、それは自分ではどうにも出来なくて無気力になる気持ちも分からないでは無かった。

 全く同じということは無い。でも、そう思う人が一人でもいれば救われるんじゃないだろうか。そう思って、もう気持ちは決まっていたけれど、何も聞かないのもおかしいかと思い、幾つか質問を望んだ。


「それは意図して抑えられるものでは無いのですよね」

「はい。そう聞いています。ただ、長い間意識してそうあろうと思い続けると、徐々にそうなってくるそうです」

「……ということは領地に範囲を狭めたのは」

「おそらくそうかと。あまりに広範囲に渡るのは負担が大きいですからな。私も一言、諫言申し上げました」

「特に意識して詳しく知る、ということは出来るのでしょうか」

「ええ、出来ます。ただ、それを個人の都合で使うということはされません。あくまで職務の範囲内で使用されております」

「……あの報告書のようなものであたりをつけて、ということでしょうか」

「具体的な方法についての言及と断定は避けさせて頂きます」


 確かに、言うなれば不正を探して摘発するようなものだ。声を大にして言うことは出来ないだろう。

 そこまで分かれば、もう思うところは無かった。


「続けます」

「……よろしいので?」


 執事には意外だったのか、片眉を上げてこちらを見た。薄いグレーの、賢そうな瞳だ。


「ええ、他に行くところもありませんし」

「……分かりました。ただ、頻繁に深呼吸されるのは困りますぞ」

「心得ています」

「ならば良し。戻りましょうか」



 それからの付き合いは、自分でも驚くほど長かった。時に、休憩に相席するほど、ご主人様は私の仕事ぶりを評価して下さっていた。

 ただ、言葉を交わすことは、仕事以外では無かった。ご主人様は結婚しても子が生まれても、頑なにこの仕事を続けた。

 私も傍で支え続け、いつしかメイド筆頭になり、代替わりした執事の面倒を見つつ、仕事をこなし続けた。


 ご主人様が老齢となり、床に伏してからも私が世話をした。というよりも、ご主人様が私以外を近付けさせなかった。

 私はご主人様が死ぬ間際、かすれる声でただ一言だけ言った言葉を聞き取った。


「心地良かった」


 感謝でもなんでもない、ただの感想だった。けれども、それだけで私は救われた。これまでの人生は無駄ではなかったのだと思えた。その言葉には万感の思いが込められていた。

 私は少しだけ涙を零し、奮起した。

 彼が作り上げたものを、壊してはならないと思ったのだ。


 それから数年間、私は次代の領主様のお世話をした。彼はご主人様とは違い、よく話す方で素直ではなかったが、心を鬼にして接した。

 その甲斐あって、母に甘やかされ未来を奪われかけた子供は、まだ少し頼りないが、領主の顔つきになってきた。

 これ以上は難しいと分かっていた。死期が近いのが分かった。また甘やかされて駄目にならないかが不安だった。だが、そんな死の際の私に、彼は涙を零した。意外だった。嫌われていると思った。彼は私の顔を見て笑った。


「恨んでると思った?逆だよ。僕には貴方しかいなかった。きっと父さんも同じ気持ちだったと思う。一度だけ会いに来て、困ったときは貴方を頼れと、そう言ったんだ。その時は意味が分からなくて、会っても意味が分からなかったけど……ありがとう。全て貴方のおかげだ」


 そういう彼の姿がご主人様の姿に重なって、まるでご主人様にお礼を言われたような気がして、むず痒くなった。


「あとね。これは言おうかずっと迷ってたんだけど、言うことにしたよ。父さんはね、こうも言ってた。初恋の人なんだってさ。向こうで幸せになってね」


 それには不思議と驚かなかった。そんな気がしていたこともある。でも結局、どちらからも言い出さなかった。その時はそれでいい気がしたのだ。きっと、私たちは普通に交わるよりも遥かに良い関係を築けていたと、そう思うのだ。

 けれど、もし待っていてくれるのなら、会いたいと思った。また、一緒の時間過ごしたいと思った。そう思うと意識が薄れて、眠るように私は死んだ。

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