色鮮やかな屋台に並ぶ菓子と老人が見える……

 ほれ、できたぞい

 じーちゃんありがと!

 ほっほっほ、またの

 またね!


 表通りから程近い路地裏に、その薄暗さに似合わぬ一つの屋台があった。

 それは元の分からぬ発光体を幾つも浮かばせ、いかにも色とりどりな色彩をこれでもかと放っている。

 けれど、表通りにその光が漏れているにも関わらず、その光に誘われてやってくるものは少ない。

 先程も、簡素だが鎧を纏った、おそらく冒険者達と思われる一団が賑やかにその脇を通り過ぎたのだが、一瞬すら目を向けることは無かった。


 その屋台にやって来るものには特徴がある。

 今も、その前に一人の子供が佇んでいた。

 髪はボサボサ、服はボロ切れ同然、小柄、というより痩せ細っているという表現の方が正しいであろうその姿は、当人に確認するまでもなく、孤児であった。

 首輪は無いため奴隷ではない。身綺麗では無いから孤児院の孤児でもない。

 だから、と言うべきか。

 その子供は思考の読めない瞳で、その屋台を見上げていた。


 そして、その屋台の主であろう、長い白ひげを生やしたシワくちゃの老人がようやく気づいた。


 おや、おやおや。すまんかったのう。何がほしいんじゃね。


 しかし、その問いかけにその孤児が言葉を返すことは無かった。

 その代わりに、小さな手が。自分の体の高さほどもある跳躍をへて突き出された。

その手は、箱から垂らされた紐を掴み、そして。


 その老人の手に捕えられた。


 孤児の目は一瞬大きく見開かれた後、この後に起こる出来事を拒絶するかのように、ぎゅっと閉じられた。


 ところが。

 いつまでたっても孤児が想定していたような事態はやってこなかった。

 恐る恐る目を開けた先にあったのは。

 顔先触れるか触れないかというところにあるシワくちゃの顔だった。


 ゎ


 カラカラに乾いた喉の奥から出たのは掠れた驚愕の声だけだった。

 慌てて顔を逸らすが、そこで老人に手を取られたままだと思い出す。

 そして不思議に思った。

 己れは跳び上がってここにいるはずだと。

 だというのに、足は地についている。

 そんなはずはない。


 足元を見下ろせば、そこには地面があった。

 その孤児はしゃがみこんでいた。地面に。

 手はいつの間にか開放され、しかし紐は手の中には無かった。

 混乱する孤児の前に、不思議なものが降ってきた。


 それは透き通っていて、中に水が入っているようだった。水には色がついていて、その孤児の握りこぶし3つ分ほどの大きさの中になみなみと入っていた。


 おっと、手が当たってしもうた。落っこちてしまったのう。地面に落っこちてしもうたもんは、もう売れんわい。はぁ、やってしもうたのう。


 わざとらしく妙に大きな声が上から降ってくる。

 これが欲しいのではなかったが、仕方がない。

 要らないというのであれば、もらっていく。

 孤児はその変な容器に入った色の付いた水を抱えて走り去った。


 自分の住処に戻った孤児は、住処の最奥の角に身を縮こまらせて、戦利品を持ち上げる。

 屋台の前でそれを目にした時は、まだ明るかったために色水でも飲めないことは無さそうに見えたが、薄暗い今はどうにも飲めそうに無いように見えた。

 もしかして、騙されたのではないか、という疑いが頭を過ぎる。


 しかし、喉はからからだ。前に水を口にしたのは何時だったか。

 そして、これほどたくさんの水を飲めたことなど無かった。


 僅かな逡巡の後、孤児は意を決して、容器の端を噛み切った。


 予想に反して、その色がついた水は美味かった。

 同時に、不思議な味だ。とも思った。

 すっとしているようでいて、幸せな味もする。

 甘い、という味を知らない孤児にとって、それは初めての甘味であり、ジュースであった。


 孤児は必死になってそれに吸い付いた。

 気が付けば、それは空っぽになっていた。

 孤児は落胆した。

 滅多に手に入らない量の水を、一瞬で飲み干してしまったこと。

 そして、あの美味しい水が全てなくなってしまったことに。


 孤児は容器に吸い付いたが、容器に少しだけ味が残っているだけだった。

 容器を噛んでみたが食べられそうには無かった。

 なんだかやるせなくなって、隅で身を縮こまらせた。気が付けば、眠っていた。




 次にやってきたのも、また子供だった。その子供は、指を咥えて屋台を見上げている。


 やあ、お嬢ちゃん。何か欲しい物があるかのう?


 その老人の言葉に、鮮やかな薄茶色の髪を二つ結びにした少女が指を指す。

 老人はその指が指した方向を見るまでもなく、口を開いた。


 ふむ、このもこもこしたお菓子が欲しいんじゃの?


 こくこくと頷く少女に、老人は話しかける。


 お駄賃はもっておるかいのう。


 少女は首を傾げ、老人はこういうもんじゃよ、と手元の銅貨を掲げてみせた。

 少女はしばらく手元をゴソゴソやってみせると、ポケットから金色の硬貨を取り出してみせた。

 しかし同時に、ポケットの中に入っていたのか、銀色のそれも同時に飛び出し辺に転がって行ってしまった。


 おやおやこれは。いかんのう。


 少女はそれを全く無視して金色を掲げていたのだが、ふと気づくと正面の屋台に老人がいないことに気がついた。

 キョロキョロと辺りを見回すと、少女の立つすぐ隣にしゃがんでこちらを向いていた。

 さしもの少女もギクリと身体を硬直させビックリする。


 ほれ、もう落としてはいかんぞい。


 そう言って老人が渡したのは、散らばってしまったはずのもので、そこら中に転がっていったはずの銀貨だった。

 少女が目を見開いたまま戻ってこないので、老人はいちまい、にーまいと数えながらその銀貨をポケットへと戻していく。

 その数えが5になり、6枚目になると、ようやく正気に戻った少女が待ったをかけた。


 ぎんか5まい。いちまいおおいの。

 えらいのう。これはわしからのおまけじゃよ。

 だめ。しっかりしないとだめなの。

 うむ。そうじゃな。じゃがこれは甘いおかしじゃよ。


 そういうなり、老人は銀貨を剥いた。正確には菓子を覆う包装を剥いだのだったが、少女は再び目を見開いてそれを見つめていた。


 結局、少女がもこもこの菓子を得たのはそれから少しあとのことだった。

 少女は、きっちりと銀貨のお菓子のお金までも払ってみせたのだ。次は老人が驚く番で、そのお釣りの確認をしていたのだった。


 老人はこの少女は将来大成するであろうと予言した。その予言は誰に聞かれるともなく、一転して寂かになった路地裏へと消えていった。



 次はローブを纏って息を切らす大人だった。


 やっと見つけましたよ!滅茶苦茶探したんですからね!!


 老人はローブの男を無視した。


 ちょっと!?何他人のフリしてるんですか!?

 急に居なくなられるこっちの身にもなってくださいよ!!


 流石に無視しきれなくなった老人は、姿を消した。それはつまり、しゃがんで屋台の影に隠れた、ということである。


 ……分かった。分かりました。声は抑えましょう。ですから、まず出てきてもらえますか?

 嫌じゃ。怒っておるんじゃろ?帰ったらまたぞろ糾弾されるんじゃろうが。


 そう言われたローブの男は困ったように肩を竦めた。


 それはそうでしょう。何の言伝も無しに消えたんですから、それは

 手紙を置いてきたじゃろうが。

 手紙?いや、あれを手紙とはいいませんよ。

 『誰も探さないでください』と書いたじゃろ。

 あなた、それが許される立場だと思って言ってます?

 よぉくわかった。やめればいいんじゃな。

 ……本気で私達のことを放り出せるならそれでもいいですよ。

 ……それは卑怯じゃろ。

 卑怯でもなんでもいいです。我が国にはあなたが必要なのですから。


 老人はさる国のさる魔導師団の高位の魔導師であった。しかし、老人は老後はゆっくりと過ごしたいと思っていたのだが……要は国が手放してくれなかったのだ。

 だから老人はスキを見てこのようなことを繰り返しているのだった。


 そういうわけですからさっさと帰って……


 ローブの男が屋台を覗き込むと、そこに老人の姿はなかった。代わりに小型のスピーカーのようなものが置いてあり、老人の声を発している。

 先程の不毛な問答は今回が初めてではない。

 つまりそれは内容を予想できる、ということでもある。


 ローブの中で男の青筋がヒクつく中、屋台が自動解体され小さく纏まっていき、屋台の下に隠された魔法陣が起動して、淡い光に包まれると、そこには綺麗サッパリなんにも残っていなかった。


 あんのクソじじいがぁっ!!


 ローブの男の怒号が響いたのも無理はないだろう。


 なお、このあともそこら中を探し回った後、一度ローブの男、老人の側近である部下が戻ると、平然と老人本人が出迎えたそうな。

 男は声にならない声を上げてその場に崩折れた。


 その晩、妻に優しく介抱されて翌日には万全で復帰したとかなんとか。

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