2-5【自分でなければ分からないこと】

 バラの花びらがまき散らされたフロント。

 先ほど双子姉妹が座っていた席に、ブロンズィーノとフローラが座っている。

 双子姉妹はカウンター側にイリアスと列んで座り、二人を見つめている。


「これ給仕、ここでは客人に茶も出さぬのか? こちらは化け物退治を後回しにしてまで来たというのに」


 侮蔑ぶべつの意思を滲ませながら、カウンター越しに様子をうかがっていたレイトンを呼ぶ。

 元々軍人を嫌っているのに加え、彼特有の威張り散らした態度。

 それを向けられるだけで、レイトンの顔には苦痛にも似た感情が浮かぶ。


「あ、すみません。葉を切らしているもので」


 嫌味を返すレイトン。しかしこの程度でどうこう思う相手ではない。

 色ボケとナルシズムを原動力とし、他人を嘲笑うか自画自賛かという、

嫌われるために生まれたような人間がブロンズィーノだ。


「ふむ、ならば買ってくれば良かろう。庶民はそれくらい汗水垂らして働けばよいのだ」


 これが本当の嫌味だと言わんばかりに、ブロンズィーノが不敵な笑みを浮かべる。

 彼が軍人でなかったら、すぐにでも追い返してやるのに……。

 そんなレイトンの気持ちを察したのか、二人を横目で伺ったフローラが口を挟む。


「すみません。最近お茶の入荷が遅れていて、なかなか用意出来ないんです」

「いやいやいや、ファンレイン女史が気にするようなことではございません。こうしてあなたのお姿を見ることが出来れば!」


 身を乗り出し、隣に座るフローラの目前まで迫るブロンズィーノ。

 フローラ相手になると、この男の態度は一変する。

 このような愛想笑いと低い腰で、彼女の気を引こうとしているらしい。

 パラス曰く、『戦略的には全く意味を持たない。それでも中佐か』と言わしめるほど、その演技は下手で、嘘くさい。


「おっと、今日は是非ともファンレイン女史にお話ししたいことがあってこの田舎に訪れたのです」


 改めて椅子に座り直しながら、田舎という部分を必要以上に強調する。


「お話ですかー。なんでしょう?」

「はい。実は今度首都に大きな音楽学校が開校することをご存じで? ご存じないでしょう、こんな情報の遅い田舎では」


 さらに田舎を強調。


「首都にですか。知ってますよぉー」

「さすがファンレイン女史っ、相変わらず情報が早い!」


 二転三転する態度のせいで、噛み合わない会話を展開するブロンズィーノ。

 自分では気にしていないみたいだが、アリシアやパラス、兵長までもが頭を押さえている。


「そこで、今回はファンレイン女史に朗報を伝えに来ました。きっとあなたも気に入るはず!」


 下品な作り笑いを浮かべ、懐から一枚の紙を取り出す。


「ズバリ言いましょう。音楽学校の教師として首都へ赴きましょう! このブロンズィーノとっ、共にっ、この推薦状を持って!」


 フローラの目の前に突き付ける紙。

 レイトンのいる場所から内容は伺えないが、ブロンズィーノは丁寧に説明してくれた。


 驚きはない。学校の話を持ち出した時点で予想できていたのだから。

 フローラに教えを請いたいという人は当然多い。

 だがしかし、田舎まで来て歌を学ぼうと思う人はいないといっていい。

 故に、この町から彼女を連れ出すことは、下心以外にも相当の利益があるはずだ。


「ですけど私、体が弱くて。あまり遠出は出来ませんので」

「それなら大丈夫。どんなに繊細なガラス細工でも傷一つ付けない体制で、あなたをお送りしましょう! この、私、がっ!!」


「でも……」

「住居等の生活は完全保証します。何より、こんな誰ぞ知らぬ田舎より遙かに有益な場所での仕事です。迷う必要は無いでしょう!」


 本当のことを言われると、人間は大体腹が立つ。


 確かにここは田舎である。

 首都に比べて危険も多い上、生まれつき肌が弱いフローラにとって、ここの日差しは体に毒だ。

 日差しの穏やかな首都なら、フローラが過度に肌を隠す必要はないかも知れない。

 だが、それでも気に入らないのだ。

 ポリュヒュムニアを田舎と呼ばれることも、建前だけでフローラを連れて行こうとする彼の行動も。


 では、フローラはどう思っているだろうか。

 先ほどから顔を伏せ、口に手を当てながら何かを考え込んでいる仕草を見せる。

 そして一呼吸置いて顔を上げ、どこか困った表情を、ブロンズィーノに向けた。


「あの、ブロンズィーノさん」

「はいっ、何でしょう!」


 この誘いに、彼女が乗ると確信しているのだろう。

 ブロンズィーノの表情は明るい。


「少し、考える時間を頂けないでしょうか?」


 ブロンズィーノは肩すかしを食らい、レイトンは寂しさを感じる。


 どれだけ一緒にいても、他人の心なんて分からない。

 だがそれでも、フローラはこの場で断ってくれる、そう思っていた。

 それなのに、考えるとはどういうことだろうか?

 いや、言葉通りだろう。行くか行かないか、どちらかを選びたいのだ。


 ――これ以上考えるのはやめよう。


 椅子の背もたれに背中を預け、天井に浮かんだ犬の顔のような染みを見つめる。


「どうぞどうぞ、いくらでも考えて下さい。ちなみにこの推薦状があれば、いつでも首都で働くことが出来ますので」


 ブロンズィーノの方は、すぐに調子を取り戻したようだ。

 フローラの前に推薦状を置き、嬉々とした表情でソファから立ち上がる。

 今すぐにでも、あの推薦状を破り捨ててやりたい。そんなことを思ってしまう。


「それでは、そろそろ仕事に戻らねばならないので、失礼。給仕、あまりファンレイン女史に迷惑をかけるんじゃないぞ」


 この男に、憂鬱な相手への気遣いというものは、隅にも存在しないだろう。


 レイトンにそう言い残すと、外で待っていただろう二人の部下に手拍子で命令を下し、ドアを開けさせる。

 それを確認し、床に落ちた花びらを蹴散らしながらレイトン達に背を向ける。


 見送りなど、するつもりもなかった。

 天井の染みは相変わらず犬のようで、わずかに大きくなったように感じられた。

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