2-4【バラよ舞い散れ】

 カウンター前のスツールに、フードを脱いだ少女とフローラが並んで座る。

 髪は外套の中に隠れているが、頭頂から首元までを見るに、長めでウェーブのかかった髪型だろう。

 色は白と見間違えそうになるが、金色のようだ。


 カウンターには書類が置かれ、それには少女が記入した文字が書かれている。

 それを手に取り、目を通し始めるフローラ。

 彼女の読む書類を横目で伺うと、丸みを帯びた字で書かれたアテナイ語が目に入った。


 やはりこの国の子なのだろうか。

 アリシアとアリスは、丸いテーブルが供えられた壁際のソファに腰かけ、

様子をうかがっている。


「お名前はー、イリアス・アンテモッサ・アズーロさんですか」

「あ、はいっ。その、呼ぶ時はイリアスで結構ですっ。それにまだ文字も覚えたばかりで、えと、えーっと」

「ふふ、落ち着いてくださいね。それではイリアスちゃん、必要な書類は書いてもらいましたので次は……」


 穏やかな笑顔を浮かべるフローラを前に、イリアスと名乗る少女はぎこちない笑顔を浮かべている。

 時折落ち着かなさそうに、身を震わせているようだ。


「緊張しているな」


 レイトンの膝に鎮座するパラスが声をかける。

 その言葉に反応したイリアスと目が合うが、それも一瞬。

 彼女はすぐにこちらから視線をそらす。


「まぁ、相手は名の知れたな声楽家だ。緊張するのも当然か」


 こんな辺境で音楽教室を開いてはいるが、フローラは世界でも有数の声楽家として、歴史に名を残している。

 アテナイ王国のあるモンジベッロ大陸のみならず、遙か西方に位置するトロイアー大陸でも、百の宝石の異名は伝わっているそうだ。


 しかし、そんな彼女がどうしてここで教室を開いているのか。

 それはレイトンにも知り得ない。


 そういえば、イリアスはフローラに対しては緊張しているが、喋るクモであるパラスは意外にもすぐ受け入れている。

 それは一体どういうことなのだろうか。

 明らかに異様なパラスの姿は、失礼だが悲鳴を上げても仕方のないものだ。


「それでは、教室は隣にありますから。ご案内しますね」

「は、はいっ」


 立ち上がるフローラに続き、緊張した一挙一動で、イリアスが立ち上がる。


 ――転ばないだろうか。


 危なっかしい動きを見つめていると、ドアベルが申し訳なさそうな音で鳴り響く。

 それに驚き、体をびくつかせるイリアス。

 その拍子に転びそうになるも、フローラの背中に捕まってその場をしのいだ。


「こんにちはー。先生いるかーい?」


 何度もごめんなさいと頭を下げるイリアス。

 遅れて先ほど港で出会った兵長が、遠慮がちに顔を覗かせながら呼ぶ。


「あら、兵長さん。こんにちはー、見回りですか?」


 フローラが挨拶する横で、イリアスは彼女の後ろに隠れるような仕草を見せる。

 その様子に気を留めることなく、兵長は言葉を続ける。


「いやぁ、当方に用がある訳じゃないんすけどね。非常に言いにくいのですがあっっっ!?」


 用件を話す兵長を押しのけ、ドアを豪快に開きながら室内に入ってくる人物。

 重力に逆らえなかった兵長は、床に顔面を打ち付けてしまう。


「おぉっ、愛しのファンレイン女史!」


 家中に響かんとする甲高い声。

 声の主である将校服の男が、大げさな一礼をフローラに向ける。

 七三分けの黒髪と、カールした口ひげ。

 特徴的な釣り目をより釣り上げ、自信に満ち溢れた表情を浮かべている。


 片手にバラの花束を掲げるその姿を前に、フローラとイリアスを除く室内の人物全員の眉間にしわが寄る。


「まぁ、ブロンズィーノさん。お久しぶりですねぇ」

「二週間と三日、五時間二十九分ぶりの出会いです! あぁ、相変わらず美しぃっ!?」


 その場で一回転でもしようとしたのか、身をひるがえすブロンズィーノ中佐。

 だが、倒れて気絶していた兵長に足を取られ、後頭部を床に打ち付けてしまう。

 バラの花束が花びらをまき散らしながら宙を舞う。

 その花びらは、兵長とブロンズィーノ、そして近くで迷惑そうな顔をしていたアリシアの頭に、降り注ぐのだった。


「チッ」


 レイトンや父には絶対見せないような嫌悪感が、アリシアの表情にあった。

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