2-6【秘密】
「先生っ、何で断ってやんなかったのよ! あの色ボケ中佐にさぁ」
開口一番、アリシアが置かれたままの契約書を見つめるフローラに詰め寄る。
「考える必要なんてないよ、あいつのことだから絶対下心だよ!? 本当は先生のこと利用しようって」
「アリシア、落ち着いて」
「だってアリスっ、あの変態とフローラ先生が二人きりになったら、きっと大っっっ切な物を失っちゃんだよ!」
その大切な物については追及しないほうがいいだろう。
だが、このままではアリシアの口が止まらない。
ため息をつき、事務室から出てきたパラスが割ってはいる。
「落ち着けアリシア。フローラ、推薦状の件は私も気がかりだが、今は彼女への対応が先決ではないかね?」
パラスが、カウンター前のスツールに座ったままのイリアスに目をやる。
元々小柄な体だが、隅で肩をすくめたその姿は、非常に弱々しく見える。
その顔に浮かぶ表情は、何を思っているのだろう。とても暗かった。
そんな彼女に、心配そうな面持ちのフローラが近づく。
「えと、イリアスちゃん?」
かけられた声に返事をせず、ゆっくりと彼女に顔を向けるイリアス。
「わ、私、外のことはあまりよく分からなくて。遠くに、行くって事ですか?」
――外のことがよく分からない。
少なくともイリアスは、外からこの町へ来たはずだ。
そんな彼女がよく分からないと口にするのは、レイトンには理解出来なかった。
パラスもまた、首をかしげる仕草を見せる。
「そうですねぇ。首都はここからとても遠いですよ」
「遠い……」
イリアスの顔に影が差す。
無理もない。不慣れな旅路を経て辿り着いた教室で、先生が遠くに行ってしまうかもしれないという状況を突きつけられるのだから。
だが、いつまでも暗い空気を引きずるわけには行かない。
そう言わんばかりに、今度はアリシアがイリアスの前に歩み寄る。
「だ、大丈夫よ、先生があんな奴のところ行く訳絶対無いんだからっ」
そんな空気を吹き飛ばすように、アリシアが笑顔でイリアスの肩を叩く。
父親譲りの慰め方だ。
「そう、なんですか?」
「そうそう。だからあまりそんな暗い顔しなくていいんだよ?」
イリアスの金色の瞳を、まじまじと覗き込むアリシア。
「……ごめんなさい」
「むー、どうもごめんなさいの癖がひどいね。そんな改まらないでいいのに」
「アリシア」
椅子に座ったままのアリスが、アリシアの言葉を止める。
イリアスは明らかに内向的だ。
まずは無理に慰めるより、落ち着く時間を与えることも重要だろう。
とはいえ、良かれと思い慰めているアリシアは納得いかないだろう。
彼女の表情からも、それは伺える。
そんなアリシアの気持ちもまた、レイトンには理解できた。
皆の気を紛らわせられるものはないだろうかと、周りを見渡すレイトン。
その時、床に散乱したバラの花びら達が目に入る。
相変わらずあの男はロクな事をしない。
溜息を洩らしつつ、事務室の隅に置かれたほうきを手に取り、待合室へ戻る。
「とりあえず、この花びらどうにかしないと。またお客が来るかもしれないし」
「え? あぁ。ったく、あのバカヒゲは」
レイトンの言葉に、真っ先に反応するアリシア。
彼女も事務室からもう一つのほうきを持ってきて、待合室に戻る。
「あ、私もお手伝いしますっ」
そこで何を思ったのか。
席を立ったイリアスが、真剣な眼差しを向けながらレイトンの前に立つ。
金色のその瞳は、相変わらず美しい輝きを見せている。
「え? いや、イリアスちゃんはお客さんだからさ。先生と教室を見学してきなよ」
当たり前だが、客人に掃除をさせるわけにはいかない。
だがレイトンの言葉を聞いていないのか、散らかった方へ向かうイリアス。
しかし、彼女は足下がおろそかだった。
先ほど同様ぎこちない歩みで、花弁が散らかる方へ踏み込んでゆく。
花びらが幾重にも重なっている、その場所へだ。
下手に足元に力を入れれば、たやすく足を滑らせる。
「はふ――っ?」
間の抜けた悲鳴。
案の定、大量の花びらを舞い上がらせながらイリアスは転倒。
その反動で、ずっと被っていた外套が、派手にめくりあがる。
「あはは、イリアスちゃん慌てす……ぎ……」
花びらの舞う中、その様子に笑ってしまったアリシアの顔が一瞬にして硬直した。
いや、フロント全体の空気が凍り付いていた。
夏特有の暑さすら、一瞬にして吹き飛ぶほどに。
外套が完全にめくりあがり、彼女の姿をさらけ出す。
袖のないワンピースで、スカートは短めのため白いパンツが丸見え。
だが、そんなものには全く目を奪われなかった。
それ以上に目を引くものが、彼女の『腕』にあったのだから。
――それはどう見ても、鳥の翼だ。
手のひらはほとんど人と同じ形状だ。
しかし小指の根本付近から、腕全体にかけて伸びる黄色い翼。
それが光を受けて、美しく輝いている。
翼は先端に向けて白くグラデーションが掛かっており、一枚一枚の羽根が織りなす白と黄色の色彩は、美しい黄金色にも映った。
そしてそれは飾りではない。完全に肉体の一部だ。
折りたたまれた翼を広げれば、イリアスの身長ほどはあるかも知れない。
その羽根に、レイトンは覚えがあった。
事務室に置いてきた肩カバンを思い出す。
「あ、あれっ? 前っ、前がぁーっ」
翼を持った少女は、ひっくり返った外套に顔を隠され、もがき続けていた。
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