5-2【手紙】
レイトンが家に戻ってから、一週間が経過した。
盛りを迎えた夏の日差しはさらに強くなり、ポリュヒュムニアの町を暑く照らす。
開け放った窓から入り込む海風は、室内の暑気を和らげる。
「おーっす。なんか重要な手紙だってんで届けに――」
勢いよく開かれる音楽教室の扉。
遠慮なしに入ってきたのは、しばらくぶりに町へと帰ってきたジェイソンだった。
そんな彼を出迎えたのは、無数の視線。
想定外の光景を前に、ジェイソンは数秒硬直した。
「おいおい、これは俺のせいじゃねぇぞ。断じて」
彼が入ったフロントに集まる、人頭鳥身の怪物ハルピュイア達。
それらが一斉に、初対面であるジェイソンに対し警戒の眼差しを送っていた。
「あっ、船長様!」
そう言って、ハルピュイア達の間から顔を覗かせたのはイリアスだった。
「お、おう。元気そうだな……ってかなんだァこりゃあ?」
頭をかきながら、フロントを見渡す。
おそらく十羽前後だろうか。
それほど広くない室内に、ハルピュイアが身を寄せ合っている。
はっきり言って、暑苦しい光景だ。
「はい。聖域に戻る為の手続きが済むまで、この子達を預かっていたんです」
「預かっていたんです、って。まずどうしてこうなったのか説明してもらわにゃ何も分からんぞ」
ハルピュイアに近付くのが憚れるのか、ジェイソンは奥に進もうか悩んでいる様子だ。
さすがにこれでは埒が明かない。
事務用机で作業をしていたレイトンが、カウンター越しに彼を出迎える。
「ジェイソンさんが沖に出ていた時に、ちょっと色々あって」
「待て待て、色々で略すな。ちゃんと説明してくれ」
「あー……話せば長くなると言いますか」
結局、こうなった原因であるブロンズィーノとのいざこざを、一から説明することとなった。
「うへぇ、あのバカそんなことしてたのかよ。おっかね」
「そうそう、ホント信じられない! お兄ちゃんに大怪我させたり!!」
イリアスと同じく、ハルピュイアの面倒を見ていたアリシアが声を荒げる。
既に二週間近く前の出来事ではあるのだが、彼女はレイトンが傷ついたことに未だ憤りを隠せずにいた。
だがそれは仕方のないことかも知れない。
レイトンがブロンズィーノに捕らわれた現場を目の当たりにしながら、何もすることが出来なかったのだから。
アリシアの怒りは、単純にブロンズィーノに向けられたものではなく、自身の無力さに対しての苛立ちも込められているのだろう。
「お兄ちゃん、まだバイオリンは弾けそうにないって」
アリシアの隣にいたアリスが、包帯の巻かれたレイトンの首元を見ながらつぶやく。
それでも、貫通したおかげで弾丸の破片が肩を大きく傷つけることはなかったため、経過は順調である。
「そうか。すまねぇな、レイトン。いざって時に町にいてやれなくて」
「いえ、ジェイソンさんは大事な仕事をしているんですから、気にしないでください」
「大事な仕事、ね……おおそうだ。パラス宛に手紙が来てるぞ。なんと王家紋章の封蝋付きだぜ」
「そんなモンを俺らに運ばせるなよ」と愚痴りながら、封筒をレイトンに手渡す。
手紙の内容については見当がつく。
イリアスの処遇について、正式に決まったことをパラスに知らせるためのものだ。
つまり、イリアスの今後を決める重要な手紙だ。
「ありがとうございます」
どこか緊張した面持ちのレイトンを前に、イリアスも真剣な顔つきになる。
そんな二人をよそに、レイトンの頭に飛び乗ったパラスが封筒を覗き込んだ。
元々パラスはそこまで重くないため、首への負担はそれほど感じない。
「ほう、意外と早かったな。レイ、とりあえず開けてみてくれ」
二人とは違い、普段通りの様子で語り掛ける。
「俺が?」
「ああ、別に構わんさ。これは我々にとって重要な手紙なのだから」
パラスに促され、カウンターに置かれたペーパーナイフを手に取り封筒を開く。
中には、折りたたまれた三枚の便箋が収められていた。
レイトンはそれを取り出し、パラスにも見えるよう手紙を開く。
オリーブの葉が描かれた、金色のシンプルな飾り罫で枠が組まれたデザインの便箋に、筆記体の文章が連なっている。
「まぁ、お手紙来てたんですねぇ」
「お兄ちゃん、なんて書いてあるの?」
「気になる……」
いつの間にか、教室で準備をしていたフローラもレイトンの背後から手紙を覗き込んでいる。
左右には双子姉妹。更に向かい側に立ったジェイソンまで手紙が気になる様子だ。
ついでにハルピュイア達まで、レイトンに熱い視線を送っていた。
「ジェイソン、君にはそれほど関係ないと思うのだが?」
「いやだって、気になるじゃねーか」
やれやれと首を振るパラス。
周りの視線にレイトンは気が散りそうになるも、どうにか集中力を保って手紙を読み進める。
アテナイ王家からの手紙ではあるが、書いた人物は外務大臣のようだ。
小難しい文章を、レイトン達は黙って読み進めていく。
その様子を遠目に見つめ、イリアスは息を飲む。
彼女の緊張が移ったのか、周囲のハルピュイア達も神妙な面持ちを見せている。
「イリアスちゃん」
数分して、手紙の内容をすべて読み終えたレイトン。
手紙からイリアスの方へと顔を向け、彼女の緊張した面持ちを前にする。
――ここまでのことは、無駄ではなかった。
悩んだことも、傷ついたことも、この手紙に繋がっていたのだとしたら。
後悔などない。ようやく新しい道が開けたのだから。
最初の苦難は乗り越えた。レイトンはイリアスに、満面の笑みを向ける。
「あっ……」
その笑顔で、イリアスは手紙の内容を察したのだろう。
まるで花が咲くように表情は笑顔に変わっていく。
「移動の自由に制限は受けるが、この町で暮らす分には問題なさそうだ。なかなか譲歩してくれたようだな」
「ただ、みんなで遠くに旅行という訳にはいきませんねぇ。少し残念です」
「でもこれって、この地方の中なら移動していいってことじゃないの? 隣町とか行けるじゃん!」
「うん。イリアスをあのお店に連れて行ってあげられる」
「ほぉー。こりゃあずいぶんと政治屋共も前向きじゃねぇか。こりゃ本気で聖域航路狙ってるな……」
各々が好き好きに喋りだし、フロント内は活気に満ちる。
ここから始まるのは、これまでに前例のない全く新しい生活だ。
古い協定で隔たれた二つの存在が手を取り合う、最初の一歩。
新たな問題や軋轢、困難が訪れることもあるだろう。
しかし今は、新たな家族と迎える、新しい生活に思いを馳せてもいいではないか。
少なくとも、望んだ未来が始まろうとしているのだから。
「ありがとう、ございます……皆さん」
歌を忘れた泣き虫のセイレーンが、涙をこぼした。
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