第五幕【夢を抱くなと、誰が言ったのか】

5-1【それではあまりにも寂しいではないか】

  レイトンに帰宅の許可が出されたのは、五日後のことだった。


「ダメに決まっているだろう。バカかね君達は」


 リビングの空気が、一気に凍り付く。

 若者たちの蛮勇を、パラス・クリームトが呆れた調子で非難したからだ。

 認めてくれると信じていたレイトンからすれば、その反応にはショックを隠せなかった。


「まったく、帰ってきて早々何を言うかと思えば。呆れて物も言えないね」

「パラスちゃん、あまり言いすぎるとレイ君がかわいそうだから」


 レイトンとイリアスの決意を困惑しながら聞いていたフローラ。

 パラスとは違い一蹴するつもりはないのだろう。

 同意というわけでもなさそうだが。


「でもパラス! このままじゃイリアスちゃんは二度とこっちに戻れなくなって」

「そりゃあそうだろうな。正体がばれて協定違反も明るみになった。こうなっては罪を償う以外の道は用意されまい」

「なんだよそれ。そんな冷たいこと言うなんて!」


 苛立ちが抑えられず、レイトンが拳をテーブルに打ち付ける。

 パラスのことは心から信頼している。

 厳しくもこちらを案ずるその思いを、レイトンは少なからず感じてきた。

 だからなおさら、イリアスを見捨てるようなその発言が許せなかった。


 激高するレイトンを落ち着かせるように、イリアスは彼の腕にしがみつく。


「レイトンさん、パラスさんの言うことも正しいですから……」

「だからって!」


 勢いのままイリアスを怒鳴りつけそうになったことに気付き、レイトンは口をつぐむ。

 だが諦められるわけがない。

 彼女が幸せになれるであろう未来を、ここで見限ることなどできない。

 こうなれば、二人に黙って町を出ることも……そんなことを考え始めたところで、パラスが深いため息をついた。


「君がイリアスの将来を深く案じる事を否定はしない。しかし逃げ出すという提案については、全く共感できん」


 テーブルに立つパラスの黒い八つ目が、レイトンを睨む。

 パラスの目はクモゆえに感情が読めない。

 それが逆に、こちらの本心を見抜かれているかのような緊張感すら漂わせている。


「まず、逃げるという行為そのものが短絡的で無謀だ。イリアスの正体が明るみになった今、一般人の逃亡などネプチューン派の思うつぼだ」

「っ……それは」

「ブロンズィーノとの一件で、自身を過大評価していないか? 言っておくがネプチューン派というのは君が思っているより強大だ。ブロンズィーノなど木っ端に過ぎん」


 ブロンズィーノに対しても命懸けだったレイトンにとって、それ以上の相手というのは想像したくないものだ。

 イリアスを守り切って逃げ回るというのは、パラスの言う通り無謀であろう。

 嫌でも現実を理解させられる。

 悔しいが、レイトンはパラスの言葉を納得することしかできなかった。


「それに、周囲の変化に身を任せるというのは非効率と言わざるを得ない。変革を望むならばまずは己の行動で示していくべきだ」

「己の行動って、でも平民の俺にできることなんて」


 ついに弱音を吐きだすレイトン。

 冷静になった彼を見て、イリアスもしがみついていた腕から離れる。

 しかしその表情は暗い。


「ならば、自身にないものを持つ味方を多く集めることが必要だとは思わないかね?」


 落ち込む二人に対し、まるでこちらを見ろと言わんばかりにパラスは語る。

 しかし、パラスの言葉の真意を読み取るには至らない。


「だが巨大化した集団というのは、どれだけ綺麗事を語ろうとも結局は打算的な組織だ。利益を崇拝し、無益を忌む。そうでなければまとまらん」


 実に嫌な話だと思いつつ、パラスの言葉には同意する。


「逆に言えば、人々にリスク以上の利益があることを証明すれば、集合体の究極ともいえる国ですら味方に付けられる可能性もあるわけだ」


 レイトンには、パラスがとんでもないことを言っているような気がしてならなかった。

 自分以外の味方について語っていたパラスが、国の話を始める。

 つまり、パラスは国を味方につけてみろというのか。


「まあ、それを君達にやってみせろとは言わんさ。という訳で、いい加減冷静になったところで私の提案を聞いてもらおうか」

「話……何かあったのか?」


 表情の変化は分からない。

 だが、レイトンに問われたパラスの顔が、にやりと笑ったように見えた。


「継承権を失ったとはいえ、私も一応クリームト家の末席。今回のハルピュイアの件について、領主殿との交渉に参加させてもらった」


 驚きが隠せなかった。思わず目を丸くするレイトン。

 このクモは、自分が診療所にいる間にとんでもないことをしていたらしい。

 いくら本来は貴族とはいえ、いともたやすくそのような行動に出るのは、関心や羨望を通り越して腹立たしくも思う。

 しかしやはりというか、イリアスはパラスの言葉がいまいち飲み込めていない様子で首をかしげている。


「領主殿はハルピュイアもセイレーンも全て追い出せと申していたよ」

「やっぱり……」

「ああ。だが私は言ってやったのさ。それは結論を急ぎ過ぎだとね」


 前足を動かしながら何かのジェスチャーを見せるパラス。

 話をするときの彼がよく見せる癖だが、クモのジェスチャーでは何を伝えているのかいまいちわからない。


「レイ。聖域の向こうにある大陸との航路がどれほどの長さか、君は知っているかね?」

「えっ? 確か聖域を避けて大回りするから、半年とかそれ以上って……」

「その通り、大陸間航路はあまりにも長い。制海協定がある限りそれは変わらんだろうね」


 二大大陸を隔てる大海は、聖域という壁によってより遠い存在になっている。

 この世界は球体故、聖域とは反対に向けた航路も存在はする。

 しかしそちらの大洋は聖域迂回航路以上に広く、補給地点も存在しない。

 更には嵐も多いという難関航路だという。

 極めて制約が大きい航路問題は、二百年前から変わらぬしがらみである。


「そこでだ、私は領主殿に提案させてもらったよ。今回の件は我々に与えられたチャンスだとね」


 イリアスが来たことの何がチャンスだというのか。

 話の前後を考えるに、航路に関することなのは分かるが、それでも繋がりが見えてこない。


「人間と聖域の者達の間には、争いしかなかった。だがイリアス、その現実を君が変えてみせた」


 前足でイリアスを指す。


「わ、私が? そんなことした覚え……」

「だろうね。君は無意識に行ったのさ、我々との交渉を。簡潔に言えば【対話】だ」


 ここにきて、ようやくレイトンにもパラスの言いたいことが理解できた。

 人間と聖域の者は交流できないものだというのが、これまでの世界の常識だった。

 そして制海協定は、その常識を踏まえた上で制定されたものだ。


 だが、イリアスはその常識が変化し始めていることを証明した。

 全ての者とは対話できずとも、交流を持てる種族が確実に存在するということを。


「イリアス、現在君は我々の世界において、重要な立ち位置に立っている。人間と聖域の者達の、新たな関係を築く希望だ」

「希望……」

「そんな君を聖域に戻せば、古いしきたりによって裁かれ、希望は閉ざされる。これでは損失があまりにも大きい」

「そりゃそうだけど……待ってよ、それじゃあつまり」


 先に言い放った言葉を、今になって後悔した。

 パラスはイリアスを見捨ててなどいない。

 パラスなりの考えで、イリアスに手を差し伸べてくれていたのだ。


「ああ、言ってやったとも。イリアスは我が国で丁重に保護すべきだと」


 自分達だけでは見いだせなかった、新たな可能性。

 その言葉はまるで、目の前が明るく開けたような感覚すら与えてくれた。


「聖域の何者かと交渉が行えれば、聖域を経由した新たな航路という悲願を達成できるかも知れん。これを領主殿に理解してもらったのさ」


 更に言えば、これが上手く行ったとき、イリアスを保護することを決めた領主には相応の手柄が巡るとも考えただろう。

 打算的とは響きの悪い言葉だが、パラスの語る絵図は、イリアスにとって最良の選択にも思えた。


「という訳で、先ほど父宛に説得の手紙を送った。私に代わり、国王陛下に今回の提案を進言して欲しいとね」

「それは……じゃあ、そうなると結果が出るのはしばらく後ってことに」

「まあな。とはいえ、どうせその間の彼女の処遇は」


 レイトン、パラス、フローラの視線が、イリアスに向けられる。

 処遇など、最初から決まっていた。


「許可はもらっています。これからも一緒に暮らせますよ、イリアスちゃん」


 ここまで話を黙って聞いていたフローラが、満面の笑顔を向ける。

 きっと、パラスと今回のことについて話し合ってくれたに違いない。


 やはりこの二人は、心優しい人達なのだ。


「我々は今、歴史の岐路に立った。我が祖国は君のことを逃がすつもりはないぞ」


 仰々しく、脅すようなことを言い出すパラス。


「覚悟したまえよ、イリアス・アンテモッサ・アズーロ……今後ともよろしく頼む」


 しかしその語気は、どこか思いやりを感じさせるものだった。


「皆さん……あぁ……」


 二人に示してもらった、新たな選択肢。

 故郷に帰ることは難しくとも、皆との生活が続くという朗報。


 感極まったと言わんばかりに、イリアスの目から涙があふれだす。

 幸福の涙だ。

 そんな彼女を、フローラが優しく抱きしめ、頭を撫でる。


「レイ」


 ふいにパラスが声をかけてくる。


「これからは、逃避行などという寂しいことを言ってくれるなよ?」


 パラスの怒りの所以ゆえんは、ただレイトンの判断が短絡的だったからというわけではなかったのだろう。

 自分の判断に固執し、パラスやフローラを頼るという判断をしなかった自分は、まだまだ未熟だったという事だ。


「うん……ごめん。ありがとう」

「分かってくれたならいい」


 この先、一体何が起こるかなど、想像できるはずもない。

 何せこれまで前例のなかった、全く新しいことが始まろうとしているのだから。


 しかし今は、終わりかけていた新しい生活が続く朗報を喜ぶことにしよう。

 この町で。この家で。かけがえのない家族達と。

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