4-9【その時には、隣に誰がいるだろうか】
「やめてくださいッ!!!」
その轟音は、レイトンには確かにそう聞こえた。
地上にいる全てを押し潰さんとする音の圧。
この場にいる全員を、ひれ伏せんと言わんばかりの力。
その轟音は、とても聞き覚えのある【声】だった。
「ここで人間さんを傷つけてしまったら、本当に討伐されてしまいます!!」
声の主が、レイトンとハルピュイアの間に降り立つ。
ウェーブのかかった長い金髪が、月明かりに照らされながら風に揺れる。
両の腕には、ハルピュイアのものよりも洗練された美しい翼。
セイレーン……イリアスの姿が、そこにはあった。
なぜここに? そう問いかけようとするも、周囲のハルピュイア達の怒りを滲ませた叫び声に、レイトンの声はかき消される。
「……そうですか。軍人さん達は聖域に乗り込んで、あなた達を捕らえたのですね」
同じ聖域に住む者だからか、イリアスはハルピュイアの言葉を理解している。
そして口にはしないだけで、ハルピュイアは人間の言葉が理解できるという事か。
「でしたらなおさら、ここで命を奪うことをしてしまってはいけません! 協定に沿って裁かれなければ、あなた達も命を奪われてしまうんですよ?」
控えめで、共に暮らしていても勇敢な子だとは思わなかったイリアス。
そんな彼女が、これほど雄弁に語り掛ける姿を見ることになるとは。
「この方達は、心優しい人間さんです。人外だと分かった上で、私を受け入れてくれました」
両手を胸に当て、再びハルピュイア達に向かい合う。
いつしかハルピュイア達も、彼女の言葉に耳を傾けるように静まり返っていた。
「それが、とても嬉しかった。協定で隔たれるほど、人間さんは怖い存在だと思っていたから。だからこんなに優しい方々だったんだって知れて、私は嬉しかったんです」
こちらに顔を向けるイリアス。その表情は、明らかに強がっている。
恐怖を堪え、自分やフローラを守るために、勇気を振り絞っている。
だが、白いワンピース姿の彼女は、どんな英雄よりも頼もしく見えた。
フローラに肩を貸しながら立ち上がり、イリアスの元に歩み寄る。
今になって、左肩が訴える激痛に気付かされた。
「イリアスちゃん。ありがとう、助けてくれて」
「あっ、い、いえそんな……レイトンさんっ!? 血が!」
左腕から滴り落ちる血を見て、イリアスの顔が蒼白になる。
今日は随分と血を流した。自分の顔もきっと、多少なりとも血の気が失せていることだろう。
(後のことは、みんなに任せても……いいかな……)
体力も精神力も、既に限界を超えていた。
ハルピュイアは多少なりとも冷静さを取り戻してくれただろう。
ブロンズィーノの悪行を世に知らしめることも出来る。
本音を言えば、色々な話をしたい。だが自分の役目はここまでだろう。
安堵で胸を撫で下ろしたその時、一気に意識が遠のいていく。
「レイ君っ!」
耳元から聞こえるはずの声が、やたらと遠く感じる。
まぶたは鉛のように重く、耐えられない。
ここが凡人の限界か……。
駆け寄ってくる人々の気配を感じつつ、意識が遠のいていく。
誰かに抱えられる感触を最後に、レイトンの意識は途切れた。
●
……夢を見た。
かつて存在した生まれ故郷。
家々より畑の方が多く、人々より家畜の方が多い、そんな村だ。
もう二度と思い出すまいと、頭の隅に封じ込めていた、失われた風景の記憶。
目の前に広がるそれはレイトンの心を傷付け、戦禍に飲まれ消えていく。
思い出すたびに、それは悪夢となって心を蝕む。
だから、こんなにも美しい故郷の姿を思い出したのは、この五年一度もなかったことだった。
(いつかここに、帰ってこれるのかな)
不思議なものだ。
ポリュヒュムニアを新しい故郷と決めてから、帰ることを考えてしまっている。
ここにはやり残したことがたくさんある。
だがもう五年も前だ。自分にできることはほとんど残されていないかも知れない。
それでも今は、懐かしき故郷の風景を恋しく思う。思ってしまっている。
『気持ちの整理がついたときに』
そんな日が来るなど、今まで考えられないことだった。
しかし今なら分かる。いつか必ずその日は訪れる。
だからその時には帰ろう。
その時には、隣に誰がいるだろうか……。
●
目を覚ましてみると、窓から見える太陽は既に高く昇っていた。
清潔さを保ったシーツの感触。消毒液の匂い。
見慣れてはいないが、懐かしい天井。
「おお、良かった。目を覚ましたようだな」
傍らに立っていたのは、あの時と変わらぬ口とあごのひげが特徴的な男性。
「先生……ここは、診療所?」
「ああ。夜中に叩き起こされて何事かと思えば、君が担ぎ込まれてきたんだ」
診療所の先生の言葉で、少しずつ状況が見えてきた。
ハルピュイアとの一触即発だった状況をイリアスが仲裁し、気を失った自分は仲間達の手でここに運ばれてきたという事だろう。
左肩の傷は丁寧に包帯が巻かれ、傷口が開かぬよう固定されていることに気付く。
「幸い弾丸は貫通していた。骨も無事だ。しばらくすれば普段通りに動かせるさ」
「そっか……ありがとうございます、先生」
体を起こそうと、無事な右腕に力を込める。
その時、腹部に何かが乗っている重量感を覚える。
「こらこら、無理に体を動かすんじゃない。それに……」
先生が、その何かが乗っているであろう場所を見つめる。
レイトンも布団を押さえ、顔を動かしてそちらへ視線を移す。
レイトンの身体にしがみつくようにして眠るイリアスの姿が、そこにあった。
腕の翼は隠されていない。
「一晩中こうして付きっきりだったんだ。起こすのも不憫だろう」
そんな彼女を、先生は微笑みながら見守っていた。
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