4-7【月夜を舞う】

 甲板は既に、戦場のような有様だった。

 一本の帆柱が折られ、甲板の一部には内側から破壊されたと思われる大穴が開いている。

 そして上空からは、巨大な鳥の羽ばたきを思わせる轟音が轟いていた。


「なんだこりゃあ!?」


 予想だにしない状況に、兵長が叫ぶ。

 レイトンが見上げた夜空……いつしか雲は晴れ、満月がこの惨状を照らしている。


 月光を遮りながら、複数の黒い影が船の周りを飛び回っていた。


「……ハルピュイア」


 フローラが、その影を見ながらつぶやく。

 それは人頭鳥身。上半身の一部は人間の女性のようだが、その大半が鳥に近い体躯を持つ怪物であり、翼の腕を持つ人間とも呼べるセイレーンとは異なる存在だ。

 怪物と呼ばれている通り、セイレーンのような理性はほとんどないとされ、本能によって獲物に襲い掛かる危険な存在である。


 レイトンの目に見える範囲だけでも、七から八羽ほどのハルピュイアが空を舞い、三羽が無事な帆柱の上に止まっているのが確認できる。

 まさかこれだけのハルピュイアが、この船には捕らえられていたというのか。

 想像以上の状況に、困惑が隠せない。


「おいおいまずいぞっ。こいつらが町の方に向かっちまったら!」


 兵長の言う通りだ。

 人間と大差ない大きさの怪物から奇襲を受けてしまえば、何も知らない人間はひとたまりもない。

 だが、どのハルピュイアも船の上空から離れる様子はない。

 何かを待っているかのように旋回したり、帆柱に止まったりを繰り返している。


 その時、甲板に空いた穴から黒い影が飛び出す。新しいハルピュイアか。


「お前達っ! 早く船室に逃げ込め!!」

「えっ、パラス!?」


 レイトン達の前に降り立ったそれは、別行動をしていたパラスと糸で拘束されたブロンズィーノの部下二人だった。

 部下達を括る糸は、パラスの腹部の先端と繋がっている。

 まさか彼らを捕まえたまま、ここまで跳躍してきたのか。


「奴らは気が立っている。いつこちらがとばっちりを受けるか分からんぞ!」


 部下達を引きずりながら、来た道を戻るように促すパラス。

 それに従い、天井のある船室の入り口まで後退する。


「パラスちゃん……」

「おお、無事だったかフローラ。船倉にやってきたブロンズィーノがあれこれ愚痴っていたからな、心配したぞ」

「っ……ごめんなさい」


 パラスから視線を逸らすように、フローラが頭を下げる。

 そんな彼女に向けて、パラスは一言「気にするな」と告げ、再び空を見上げる。


「パラス、これって一体どういうことなんだ?」

「ああ。まず結論から言えば、ブロンズィーノは私の想像を遥かに超える愚か者だったということだ」


 やはり、この状況を生み出したのはブロンズィーノのようだ。


「私は先に船倉を調べに忍び込んだのだが、これが見事に的中してな。中は彼らが閉じ込められた檻が並んでいたよ」


 彼ら。

 つまり、今上空を我が物で飛んでいるハルピュイアだろう。


「とはいえ、彼らを解放するわけにも行かないからな。まずはブロンズィーノを糾弾する証拠を得ようとしたところで、なんと当人が部下を連れてやって来たわけだ」

「ぶつくさ言ってたってことは、先生が中佐に逆らった直後ってことか」

「みたいだな、相当ご立腹だったぞ。それであの男は、ハルピュイアの一羽を死体にした後、音楽教室のどこかに隠すつもりだったらしい」


 つまりレイトンが協定違反をしていたという証拠をでっち上げるために、船倉に閉じ込めていたハルピュイアの一羽を利用しようとしていたようだ。

 死体にするということは、おそらく音楽教室の立ち入り捜査中に襲われたので、身を守るために殺害したというシナリオだろう。


「そっか。でもだからって、こんな状況になるとは……」

「そう、レイの言う通り。普通はこうはならんだろうな」


 パラスがため息をつきながら、言葉を続ける。


「しくじったんだよ、ブロンズィーノは。ハルピュイアくらい、自力で仕留められると過信していたのさ」


 軽いめまいを覚え、空を仰ぐレイトン。

 人知の及ばぬ力を持つ聖域の住人に対し、あまりにも危機感がなさすぎる。


「だが檻から一羽を出した瞬間、そいつは拘束具を自力で破壊してしまった」


 ハルピュイアは風を操ることができるという。

 そのような能力を使ったということだろうか。

 どちらにせよ、ブロンズィーノは最悪の形で失態を犯したわけだ。


「後はもうあっという間さ。解放されたハルピュイアは周囲の檻を破壊し仲間を開放。焦ったブロンズィーノは部下二人を身代わりにして逃亡だ」

「マジか……ひっでぇな、あのバカ中佐」


 パラスが部下二人を連れて甲板まで飛んできたのは、あわれみから彼らを助けたからだったようだ。

 おかげで失神はしているものの、まだ息はある様子だ。


「そして私は、君らと合流したわけだが。さて、どうしたものか」

「ああやって船の周りから離れないのって、やっぱりブロンズィーノを?」

「ああ、おそらくその通りだ。奴が船の外に出てくるのを待ち構えて――」


 ……短銃の放つ、火薬の炸裂音が背後から響き渡る。

 その瞬間、レイトンの傷ついた左肩に、新たな激痛が襲う。

 目の前には自らの血液が飛び散り、甲板に鮮血の跡を作った。

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