4-2【真実は嘘でも作ることができる】

 明り取りの窓すらない、石煉瓦で作られた衛兵詰め所の一室。

 照明は壁掛けの燭台が二つ。

 罪人の取り調べにでも使っているであろう狭い部屋に、ブロンズィーノとレイトンはいた。

 ドア前には、無表情の部下二人と、複雑な表情を浮かべる兵長が立つ。


 後ろ手に手錠を掛けられたレイトンと、ふんぞり返るブロンズィーノ。

 四角いテーブルを挟み向かい合う二人の間に、長い沈黙が流れる。


「さて。こいつは見たところ、ハルピュイアかコカトリスの羽根か……もしくは、セイレーンか?」


 セイレーンという言葉に反応しかけた自分を、必死で抑える。

 幸いにも気付かれることはなく、イリアスの羽根を指で回しながらブロンズィーノがつぶやく。


「まぁ、どちらでもよい。給仕、この羽根の持ち主をどこに匿っている?」

「……港で拾っただけです」


 嘘は言っていない。その羽根を拾ったのは、間違いなくただの偶然だ。

 果たして、その言葉をブロンズィーノは信じるのだろうか。


「拾った、か。なるほど、拾ったかぁー」


 だがレイトンの考えとは裏腹に、ブロンズィーノはそれ以上の追求を行わない。

 あくまで余裕ぶった笑みを浮かべたまま、港で拾ったという言葉にうなずくだけ。


 明らかに何かを企んでいる。しかしその中身まで察することが出来ない。


「おい、お前ら。しばらく部屋を出ていろ」


 背後に立っていた三人に向けて、手で払う仕草を見せる。

 それに従い、黙って部屋を出ていく部下二人。

 兵長だけはその場を動かず、レイトンの方を心配そうな表情で見つめていた。


「何をしている? ぼさっとしてないでさっさと出ていけ」

「し、しかし中佐殿。取り調べでしたら二人以上の」

「私の命令が聞けぬというのか? ここで貴様の権限をすべてはく奪してもよいのだぞ?」


 究極の縦社会である軍属において、上官に逆らうことなど言語道断だ。

 これ以上楯突いても、兵長にできることは何もないだろう。

 例えレイトンを救いたいと思っていたとしても。


「兵長さん。俺なら大丈夫ですから」


 精一杯の虚勢を張って、言葉を振り絞るレイトン。

 しかしそれは、怯えているのが分かるくらい震えたものだった。


「だ、そうだ。ほら、ぼさっとするな」

「……失礼します」


 最後までレイトンの様子を伺いながら、部屋を後にする兵長。

 残されたのは、目の前に座るブロンズィーノ。

 相変わらず下品な笑顔を浮かべている。


「さて、貴様には言いたいことが山ほどあってな。貧民」


 一瞬にして、その表情が冷たく感情のないものに変わった。

 そしておもむろに自らの腰に手を伸ばし……。


 ――木製の机が、大きな音を立てて揺れる。


 突然のことに驚き、まぶたを閉じるレイトン。

 ゆっくり目を開くと、自分の目の前に短剣が突き立てられた。

 ろうそくの光で輝く刃は、あたたかな色とは対照的に、冷たい雰囲気を醸し出している。


「本来ならばここで貴様の喉笛を掻っ切ってやりたいくらいだ。私のファンレイン女史に、いらんことを吹き込みおって」

「な、何の話だよ……」

「とぼけるな。貴様、せっかく私が用意した誘いを断るよう、彼女に懇願しただろう? あの時の貴様と女史の会話、聞いていたぞ」


 この男が言うフローラとの会話が何のことか。レイトンは必死に記憶を辿る。

 思い当たるのは、崖上でフローラと昼食を食べていた時のことだろうか。

 確かにあそこならば詰め所の前を通る。

 レイトンのところへ向かう彼女の姿を見かけたブロンズィーノが、後を付けていたとしてもおかしくはない。


 むしろそれで合点がいくこともある。

 その日の夜、ブロンズィーノの怒りの形相を目の当たりにした理由だ。

 どうやらこの男は、フローラがレイトンの言葉で首都へ行く誘いを断ったのだと勘違いしているのだ。

 だとすれば、その勘違いを訂正すべきか?

 いや、それではフローラが自主的に断ることを決めたと知られる。

 それが原因で、彼女にどのような危害が加えられるか想像もつかない。


 そもそも、そんな事実をこの男が信じるとは、到底思えないのだが。


「貴様のことをただの給仕だとしか考えていなかったが、どうやら私の障害になる存在だったようだな」


 つまり、今こうして拘束されているのは、半分私怨なのだろう。

 だがそれが分かったところで、現状をどうやって打破しろというのか。


「っと、話が逸れたな。その件については後で有益な交渉をしようじゃないか」


 テーブルに突き立てた短剣を引き抜き、腰に下げた鞘に戻す。

 代わってレイトンの鼻先に突き立てられたのは、羽根の付け根だった。

 鋭く尖ったそれは、力任せに刺せば皮膚を突き破ることも可能だろう。


「まず先に言わせてもらおう。貴様が人外を匿っていようがいまいが、私にはどうでもいいことだ」

「……は?」


 突然この男は何を言い出すのか。

 音楽教室にセイレーンがいることを、最初から知らなかったというのか。


「あくまで貴様は現状容疑者だ。だが私からすればそれで充分。捜査名目であのボロ屋を好きなだけ調べ上げることだってできる」


 羽根の付け根が眉間に当てられる。

 肌に針を突きつけたような痛みが、レイトンの顔面に伝わる。


「そこで証拠が出れば万々歳。だが別に、私は最初から証拠など求めていない」


 眉間から羽根が離れる。


「貴様が人外を匿っていた事実など、いくらでもでっちあげることができるからなぁ?」


 ブロンズィーノがテーブルから身を乗り出す。

 レイトンの視界が、下品な笑顔で覆い尽くされる。


 この時点で、レイトンにもこの男が何を企んでいるのかが理解できた。

 自分達を陥れられるのならば、事実などどうでもいい。

 疑惑だけで都合の良い状況を作り上げ、レイトンを破滅させるつもりなのだ。

 ここまで悪辣な男だとは思わなかった……レイトンの表情が、より険しくなる。


「適当な鳥の人外を用意してやれば、それで貴様は罪人よ!」


 目の前で笑い出すブロンズィーノ。嫌悪感が極まる。

 だがすぐに眼前の顔が遠ざかる。


「が、貴様もそんなことで人生を棒に振る必要はあるまい。そこで取引だ!」


 椅子に座りなおしたブロンズィーノが、ふんぞり返りながらレイトンを睨む。


「今回の一件、私の勘違いということで見逃してやろう。代わりに貴様は私の駒だ。ファンレイン女史を首都に赴くよう協力しろ」

「なっ……」


 それは、どんな手段を用いてでもフローラをこの町から追い出せということだ。

 そしてこの男に手を貸せば、フローラやパラスの傍にいることなどできなくなる。

 それも織り込み済みの【交渉】なのだろう。


 そんな要求を飲めるものか。

 フローラは自分の意思でポリュヒュムニアを自分の帰る場所と決めているのだ。

 それを彼女の口から聞かされたレイトンが、彼女の思いを裏切れというのか。


「ああ、ちなみに私としてはどちらでも構わんよ。どうせ路頭に迷う貧民と、無実の罪で始末される人外が一匹増えるだけだ」


 どこまで手を汚せば気が済むのか。

 ブロンズィーノがどうやって聖域に住む者を連れ出すのかは分からない。

 だが確実に、捕まったその者は殺されるのだ。


 自分のせいで一つの命が失われる。

 戦禍を逃れて流れ着いたレイトンにとって、それは想像以上に苦痛であった。

 何より、イリアスと出会ったことで、聖域の者達を怪物やその類と括ることができなくなってきている。

 故に、彼らが自分のせいで命を落とすことに、罪悪感を抱かぬわけがなかった。


「ま、どちらにせよ私はいつでも行動に起こすことができる。貴様は檻の中でゆっくり考えるといい」


 再び眼前に広がるブロンズィーノの笑顔。

 ……突如、左肩に激痛が走る。


「がぁっ……くぅ……」

「こいつは貴様に返しておこう。私には必要ないものだ」


 肩を見ると、イリアスの羽根が突き刺さっている。

 レイトンの白いシャツが血で染まっていく。


 苦痛に顔を歪めるレイトン。

 その姿に溜飲りゅういんが下がったのか、満足そうに鼻を鳴らしたブロンズィーノが部屋を後にする。


「こいつを独房に放り込んでおけ」


 部屋の前で待っていた部下が入って来るや、レイトンを無理やり立ち上がらせる。

 そこから遅れて入ってきた兵長。

 傷を負っているレイトンの姿を見て、ブロンズィーノに抗議する姿が見える。


 しかし、何を言っているかよく聞こえない。

 あまりの痛みに、意識がもうろうとする。


「……ごめん」


 口から洩れた謝罪の言葉は、誰に向けてのものなのか。

 思いを踏みにじってしまうフローラに対してか、それとも自分のせいで命を落とすことになる聖域の者に対してか。

 自分の油断が招いた事態に、レイトンは悔し涙を流すことしかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る