第四幕【象牙の船に、銀の櫂】
4-1【あまりにも唐突に】
午前の授業を終え、昼休みを迎える音楽教室。
フロントでは、カウンター前の席に並んで座るイリアスと双子姉妹がいた。
「よーしよしよしー」
「あ、アリシアちゃん?」
先ほどからイリアスの髪をアリシアがいたずらしている。
そんな姿をレイトンは事務机に座りながら眺めていた。
「ホント、何とかなりそうだったよねぇ。やっぱ先生もお兄ちゃんもすごいや」
昨日からのレイトンが側にいる作戦が成功したのか、イリアスの声量に関する問題は克服されつつあった。
「そんなことないよ。イリアスちゃんが頑張ったから、今日は練習できたんだよ」
「あ、ありがとうございます」
レイトンに褒められ、照れくさそうな様子のイリアス。
上目遣いで、遠慮がちに彼の顔を見つめている。
「そういえばさ、イリアスってお兄ちゃんにはかなり懐いてるよね。何で?」
「えっ? そ、そんなことはぁー……うぅ」
「やっぱり、お兄ちゃんの魅力に心奪われたってとこ? そうだよねぇそうだよねぇ。でも渡さない。イリアスライバル確定」
「ひゃあっ。髪ぐちゃぐちゃはやめてぇーっ」
両手でイリアスの髪をかき混ぜる姉を、注意もせず横目で見つめるアリス。
助けるつもりはないらしい。
そんな微笑ましいキャットファイトを眺めながら、レイトンが席を立つ。
「アリシア、あんまり乱暴にしちゃだめだよ」
レイトンに止められ、仕方ないなといった表情で手を離すアリシア。
イリアスは手櫛で髪を整え始めている。
「ああ、俺ちょっと買い物に行ってくるから。留守番頼める?」
フローラとパラスは、仕事の要件で外出中。午後の授業は休業となる。
なのでその間に、今晩の食事当番であるレイトンは食材を仕入れるつもりだった。
「は、はいっ。任せてくださいっ」
「えー? それならあたしも行きたいなぁ」
「私は、留守番してるよ」
三者三様の反応が返ってくる。
「あはは……それじゃあアリシア、一緒に行くかい?」
「やった! お兄ちゃんとデート!」
アリシアのませた反応は相変わらずだ。
元々人見知りをしない子ではあるが、ここ二年ほどの態度にはさすがに戸惑うことも多かった。
とはいえ、こうして懐いてくれること自体に悪い気はしないものだ。
「もしも先生達が帰ってきたら、買い物に行ってるって伝えておいてね。それじゃ、行ってくるよ」
「うん。分かった。いってら」
「いってらっしゃい。レイトンさんっ」
早速腕にしがみついて来るアリシアを連れ、玄関の戸を開ける。
今日のポリュヒュムニアは、少し曇りがちの天気だった。
「お兄ちゃん、今日は何作るの? あたしも食べていい?」
「ちゃんとメディアさんに話してからね」
腰ほどの高さの堤防が続く、海沿いの通りを並んで歩くレイトンとアリシア。
天気は良くないが、アリシアにとっては最高のひと時なのだろう。
太陽にも負けぬ明るい笑顔を浮かべている。
元々妹がいたレイトンにとって、年下の妹分というのはどうしても思うところが出てしまう存在だった。
故に、アリシアやアリスを苦手に思うような時期もあった。
しかし、そんな自分に二人は常に変わらず明るく接してくれていた。
そんな双子の姿も今では日常となり、かけがえのない存在だ。
――せめて、妹達を守れなかった分、この子達の前では立派な兄貴分でありたい。
彼女達は、まさに過去を乗り越えるための一助となってくれたのだ。
「じゃあ、買い物終わったうちに寄ってこ。それからね――」
「止まれ」
その声で、二人はまるでメデューサの呪いにでもかかったかのように硬直する。
いや、メデューサならまだ良かった。
石畳をかかとで叩きながら向かってきたのは、いつもよりも下劣な笑みを浮かべるブロンズィーノだった。
いつもの部下二人を連れて、まるで勝ち誇ったような様子でレイトンとアリシアを見下ろしている。
一体何事だ?
ブロンズィーノが自分達に関わってくるのは、フローラを訪ねてきたついでであることがほとんどだ。
このように直接的に声をかけてくることなど、これまで経験のないことだった。
「やれやれ。どうやらこのような田舎では、人外でも入学させなければ経営が成り立たんようだな?」
その一言で、心臓が凍り付くような感覚に襲われる。
なぜ急に、この男が人外などという言葉をこちらに向けてきたのか。
セイレーンであるイリアスが音楽教室にいることを、ブロンズィーノは知っているということなのか。
だとしたら、なぜこの男に彼女の存在がばれたのか……。
「はぁ? 急に現れて何よ、人外って」
「抜かせ。例え田舎者の行いだとしても、協定違反を犯していたなどと知られたら処罰は免れんぞ?」
あごに手を当てながら二人の元へと近寄るブロンズィーノ。
近寄る彼に合わせ、二人の部下がレイトン達の背後に立つ。
負けじと睨み返すアリシアだったが、いつもとは違う凄味を前にして、普段の生意気さは鳴りを潜めてしまっている。
「な、なにさ……あんたなんかっ」
「アリシアっ」
レイトンの額から汗が一筋流れた。
今にも飛びかかりそうなアリシアを、強い口調で制する。
イリアスのことがばれているのならば、これ以上の不利を背負うのは危険だ。
現状をどうにか出来るほどの力を、レイトン達は持ち合わせていない。
成り行きに、任せるしかなかった。
「チッ、邪魔をしてくれる。おい、給仕」
「……何ですか」
目と鼻の先まで顔を近づけ、にやりと笑うブロンズィーノ。
「貴様が物を知らぬ間抜けで助かったよ。おい、連れて行け」
その一声を聞き、背後の部下達がレイトンの両脇に腕を通して持ち上げる。
腕を締め上げられる痛みに、顔が歪む。だが下手に抵抗するのは危険だ。
レイトンは抵抗の意思を見せず、なすがままにされる。
「お、お兄ちゃんっ!? ちょっとアンタ達!!」
目を見開き、歯を剥き出しにして噛みつかんという勢いのアリシア。
「アリシア! 俺のことはいいから!」
「ッ……そんなのっ」
今日までアリシアに対して、声を荒げるようなことはしてこなかった。
だがここで彼女を巻き込むのだけは、絶対にあってはならない。
初めて目の当たりにする剣幕が功を奏したのか、アリシアは戸惑い、立ち止まる。
「せめて聞かせてくださいよ。どうして俺がこんな目に遭ってるのか」
あの薄ら笑いの男の顔を、どうにかして殴ってやれないものか。
本心を必死に抑えながら、笑顔を振りまくブロンズィーノの顔を睨みつける。
そんなことはどこ吹く風か。笑みを崩さぬブロンズィーノは、おもむろにレイトンの肩掛けカバンに手を伸ばす。
「どうして? それはだなぁ……」
カバンの中を探り、何かをつかむ。
そして取り出したのは……。
「この私が、人外の痕跡を見逃すはずがないのだよ。給仕君?」
ブロンズィーノの手に握られていた、大きな羽根。
それを見て、全てを理解することが出来た。
昨日彼とぶつかりカバンの中身をばら撒いてしまった、あの時だ。
カバンの中に入っていたイリアスの羽根を、この男は見逃していなかったのだ。
「こいつのことで、貴様には色々と話を聞かねばならんのだよ」
勝ち誇ったブロンズィーノの笑顔。
顎で部下に指示を出すと、レイトンは彼らに連行されていく。
「小娘、ファンレイン女史に伝えておけ。話がある場合は、いつでもいらしてくださいとな。ククッ」
――本当はそれが目的か。
悪意ある本心に気付いたレイトンが、心の中で毒づく。
しかし、現状を打破する術はないに等しい。何より自分が油断した結果なのだ。
怒りと悔しさで、表情を歪めるレイトン。
せめてその顔をアリシアに見られないよう、深く俯くのだった。
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