3-7【古い絆の物語】
ひと悶着の後、しばらく進む先に『宿場・ウェスタ』と描かれた看板が現れる。
周囲のものよりも大きな佇まいの建物。
一階の窓からは併設された酒場の様子がうかがえる。
店内は複数のオイルランプで明るく照らされ、酒盛りに賑わう人々の声が響く。
レイトンは酒場に繋がる表側の入り口には向かわず、脇の細い路地の先にある宿場の裏口に立つ。
ドアに付けられた錨型のドアノッカーで、数回ドアを叩く。
「やあレイトンっ。やっぱり来たかい!」
ドアを開けて現れたのは、アリシアやアリスと雰囲気の似た容姿を持つ婦人。
半袖のシャツに、太ももまで見える短いズボン。
セミロングの降ろした金髪を、花の髪飾りで彩っている。
「こんばんは、メディアさん。イリアスちゃんを迎えに来ました」
彼女はメディア・オルペウス。
宿場ウェスタを切り盛りする女将であり、アリシア、アリスの母親だ。
「ははっ、心配性だねぇ……と言いたいとこだけど、今回は悪かったね。うちのバカ旦那のせいで」
家族の誰かから、事情は聞いていたのだろう。
彼女もまた、イリアスがセイレーンであることを知っている人物の一人である。
人外の存在を預かるということは、それだけでもリスクのある行為だ。
しかしそれを承知の上で、メディアはイリアスの店の手伝いをしたいとう申し出を快く受け入れてくれた。
夫であるジェイソンが持ち込んだことということもあるかもしれないが、メディアの豪胆さと優しさは、レイトンもよく知っている。
「それにしても、イリアスはいい子だね。私が教えたことしっかり覚えようって必死になってさ……くくっ」
思い出し笑いをしてしまうメディア。きっとイリアスが失敗をしたのだろう。
「まっ、あの子ならきっと歌も上手くなるだろうさ。フローラや頼れる兄貴分もいるわけだしね」
「め、メディアさん……」
そう言うと、メディアは白い歯を見せながら笑う。
兄貴分と言われて悪い気はしないものの、照れくささもある。
「レイトンさんっ」
室内からの聞き慣れた声。
外套で体を隠したイリアスが、彼女の背後に立っていた。
「おっ、来たね。うちの子達は?」
「お客さんとお話ししてましたよ。えっと、注文を取ってたみたいです」
「おっと、そうかいそうかい。それじゃあ私も店に戻らないとね。イリアス、これは今日の分ね」
メディアがポケットから十数枚の銅貨を取り出し、近くの棚に置かれていた小さな皮袋に入れる。
その皮袋を、イリアスの小さな手に握らせる。
「わぁ……ありがとうございますっ」
「こっちこそ、ありがとね。昼の宿場ってのも結構忙しいから、これからも空いてる時間に来てくれると助かるよ」
「はいっ。今度はお洗濯のやり方、教えてくださいね」
任せなさいと言い、イリアスの頭を優しく撫でるメディア。
「ほら、遅くなる前に帰りなよ。フローラやパラスが心配するよ」
メディアに背中を押され、裏口から外へと出てくるイリアス。
まだ幼さの残る彼女のはにかんだ顔が、レイトンを見上げる。
「……えへへ」
何が嬉しかったのかは分からないが、イリアスが屈託のない笑顔を見せる。
そして、彼女の右手が遠慮がちに、空いたレイトンの左手を握った。
メインストリートの喧騒も既に遠く。
音楽教室の近くまでくると、人通りもほとんどない暗い道だ。
月明かりは明るく、差し込む光が海沿いの通りに二人の影を映し出す。
「レイトンさん」
波の音に耳を澄ませていたレイトンを、遠慮がちな小声で呼びかける。
その声で、教室に向けて進んでいたレイトンの足取りが止まる。
「この町は、来た人を幸せにしてくれる町なんですね」
その言葉に、異議を唱えるつもりは一切なかった。
今は互いの為に、どうしても正体を明かすことが出来ない。
しかしイリアスの人柄を知ったら、きっと町の人々は気に入ってくれるだろう。
「お客さんと話をしたの?」
「はい。正体は明かせなかったけれど、皆さん不器用な私に優しくしてくれて」
たくさん頭を撫でられたのだろう。自分の頭に手をやり、照れくさそうに笑う。
「まるで、昔話のご先祖様みたいです。人間とセイレーンが一緒にいて、幸せに暮らせるなんて……」
「その昔話って確か、セイレーンと人間の夫婦のお話?」
「はい。もしかして、こちらでも有名なお話ですか?」
イリアスの言葉に、そうだよと応えるレイトン。
それは、実話を元にしたと伝えられる昔話だ。
詩と歌の達者な人間の男と、作曲と演奏に比類なき実力を持つセイレーンの女。
やがて結婚した二人が、諸国を旅して皆を幸せにしていく物語。
「人間と
「うーん。なかなか想像付かないね」
そう言って、苦笑を浮かべるレイトン。
「そうですね。あの物語だって、最後は」
レイトン達が、その光景を想像できないのは当然のことだった。
物語の結末……。
それは神との約束により、二人は永遠に引き離されてしまう。
制海協定が生まれる間にあったであろう、悲恋の物語だからだ。
まるで、今までの生活は嘘だったといわんばかりに。
「……嘘じゃないと、いいな」
小さく呟いた、イリアスの願い。
それは今、こうして彼女と過ごす日々に対する願いなのか。
「そのお話で、別れる前に男性に手渡した楽器がバイオリンだったんです。私もそれで名前は聞いたことがあって」
「へぇ、それは初耳かも。人間の間とは違う内容で伝わってるところもあるんだね」
「はい。それできっと、人を幸せにしてあげられる音色なんだろうなぁって、ずっと思ってたんです」
人を幸せにする音色。
それをバイオリンで表現することが出来るのなら、自分で奏でてみたい。
そして、その音色を楽しみにしている人に、聴かせてあげたいと願ってしまう。
「聞いてみたいです……幸せになれる、優しい音色」
俯き加減に、夢心地な表情を見せるイリアス。
この町での暮らしが嘘にならないように。
こうして一緒にいられる時間が、終わらないように。
その音色を、イリアスに聴かせてあげたいという願いが、より一層強くなる。
右手に持ったバイオリンケースの持ち手に、自然と力が入った。
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