3-4【約束を交わした日】

(たまにはブロンズィーノも役立つものだ)


 レイトンは外に集まる交換用のガラスを持ってきた職人達を眺めながら思う。


 レイトンの部屋は、リビングの真上に位置する屋根裏にある。

 入口とは反対に位置する、海沿いの通りが一望できる窓が一つ。

 その脇には本が数冊乗っている小さな机が置かれ、壁際にはベッドが置かれているという非常にシンプルな部屋だ。

 

先ほどまではガラスの破片が四散し、それらが床で光り輝いていた。

 しかしイリアスと共に掃除をしたおかげで、こうして元の状態を取り戻している。

 窓は枠しか残っていないが。


 外を眺めるレイトンの後ろには、ベッドの上で縮こまっているイリアスがいた。

 ブロンズィーノは未だ一階でフローラと話をしている。

 下手にイリアスを連れ出すことの出来ないレイトンは、イリアスを連れて準備室を抜け出し、自室へと逃げ込んだのだ。


「やっぱり私、歌の才能無いんですね」

「イリアスちゃん、あの人の言葉なんか真に受けなくていいから」


 先ほどのブロンズィーノの言葉に、膝を抱えるイリアスは深く心を痛めていた。

 本当に、あの男はろくな事をしないと、深いため息をつくレイトン。

 早く帰らないかと思いながら、イリアスの隣に腰を下ろす。


「大丈夫だよ。先生は本当にすごい人なんだから、きっと上手に歌えるようになるよ。それに、俺も協力するから」

「うぅ、レイトンさぁん」


 イリアスの今にも決壊しそうなそうな涙目を向けられ、わずかに緊張してしまう。

 フローラやパラスのように、レイトンは人付き合いが上手いというわけではない。

 むしろ、いざというときに良い言葉が浮かばなくなることの方がほとんどだろう。


 今がまさに、そんな状況だ。

 何と言えば良いのか分からなかったレイトンは、イリアスを不安がらせないよう笑顔を浮かべ、その頭を優しく撫でる。

 かつて妹達にそうしていたように。


 頭を撫でられ、くすぐったそうにイリアスがはにかむ。


「よしよし」


 下の階からは、ブロンズィーノの武勇伝が展開しているようだ。

 ヒュドラを倒したとか、逃げる海賊を一人で捕まえたとか、嘘かホントかも分からない話ばかりだ。

 だが、全てに共通して言えることはただ一つ。

 彼は首都の防衛を任されている身でありながら、海上において協定違反を犯した者を罰しているということ。

 本来ならば、おかしな話だろう。

 だがネプチューン派という組織は、そういうものなのだ。

 そもそも首都防衛隊と名乗っているが、その実はネプチューン派に私物化され、彼らの存在理由の為だけに動いているのが実情だと言われている。


「そ、そういえば、ネプチューン派の方なんですね。あの紳士様」

「ああ……うん、まぁ」


 その名は当然、聖域でも知られているだろう。

 二百年以上も前に結ばれた協定に執着するなんて、一般人であるレイトンからすれば、くだらない話だと思っている。

 だがそのくだらない集団が、人を不幸にする力を持っているのは事実だ。


「ごめんなさい。最初あそこに連れ込まれたとき、レイトンさんに怖いことされるのかなって……守ってくれたんですね」


 それは仕方ない。

 事情を説明せず連れ込んだ自分が悪いんだと、レイトンは苦笑を浮かべる。

 だが、見つからなかったのは本当に幸いだ。

 セイレーンをかくまってるなどと知れたら、その場の全員がどうなっていたか。


 五年前のように、またも家族を奪われることになったのかも知れないのだから。


「もしレイトンさんが助けてくれなかったら、きっと姉様達にも会えなく……レイトン、さん?」


 一体自分がどんな顔をしていたのか、それは分からない。

 だが、レイトンの顔を見上げるイリアスの表情は、少々伏し目がちになっている。


「ん?」

「あの、考え事、ですか? なんだか、難しい顔です」

「ん、まぁ、ちょっと。昔のこと思い出して、ね」

「昔……?」


 視線を移すと、イリアスは真剣な表情でこちらを見上げていた。

 きっと、それだけ自分は深刻そうな表情を見せていたのだろう。

 嫌な過去だと察しているのかも知れない。


 だとしたらその通りだ。

 頭の中にぎる、家族に粗末な墓を用意することしかできなかった忌々しい過去。

 だからこそ、イリアスには話したくない。

 あからさまな作り物でも構わないと、この場を和ませるため笑顔を浮かべる。


「そう、昔の話。もう終わったことだからね」


 再び、イリアスの頭をそっと撫でる。

 彼女の髪は、撫で心地が良い。

 ウェーブがかかっていても、指をすり抜け、引っかかりもなくまっすぐ手が進む。

 撫でられているときのイリアスの幸せそうな顔は、見ているだけで心が安らぐ。


「えへへ……あれ?」


 笑みを浮かべたところで、イリアスが向かい側の棚に目を向ける。

 楽譜や、たたんで置いてある服。

 それに混じって、黒いバイオリンのケースが置かれている。


「レイトンさん、あの黒いのは?」

「ん、あれがバイオリンだよ。中に入ってる」

「バイオリン……楽器ですねっ」


 その名前を聞いて、イリアスが期待の籠もった眼差しを浮かべる。

 あの中に、現在のセイレーンにとって未知の存在が入っている。

 好奇心旺盛な彼女が、気にならないはずもないだろう。

 だが、今は下の階にブロンズィーノがいる。鳴らすわけにはいかない。


「今は演奏できないけど、見るだけならね」


 立ち上がり、棚からバイオリンケースを手に取って再びイリアスの元へ。

 先ほどまで自分が座っていた位置にそれを置くと、留め具を外してふたを開けて見せた。


 中に収まっているのは、レイトンが昔から使っているバイオリン。

 濃い茶色の本体に、弦が四本。

 何の変哲もないそれだが、イリアスにとっては感動のご対面といったところか。


「これさ、先生とパラスが譲ってくれたんだよ」


 ケースから本体を取り出し、イリアスの前に差し出す。

 それが彼女にとっては、特別な宝物にでも見えているのだろう。

 「触っていいよ」と告げると、小さな手が遠慮がちにバイオリンの弦を撫でた。


「この弦が特別でね、使われているのがパラスの作った糸ですごく頑丈なんだ」

「わぁ……ど、どうやって使うんですか?」


 期待の眼差しに促され、ケース内の弓を手に取る。


「この弓を使って、本体の弦をこするんだよ」

「弓? 矢を飛ばすものと同じですか?」

「そっちの弓は知ってるんだね……まぁ、それとは違うんだ」


 バイオリンのネックを左手に構え、顎あてを左肩に乗せて挟む。


「こうやって構えて、こんな感じ」


 右手で持った弓を弦の上で動かし、イリアスに演奏するふりをして見せる。

 それだけでも、イリアスの目には子供のような喜びに満ちた感情が浮かぶ。


 今時の子供が、バイオリンを奏でる姿を見て珍しがることなど滅多にない。

 彼女に演奏を聴かせてあげたら、どれだけ喜んでくれるだろう。

 そんなことをふと思ってしまう。


「素敵ですね、レイトンさんのバイオリンを持つ姿」

「そういう褒められ方されるのは初めてだなぁ。でも、ありがとう」

「いえ。でもいつか、実際に演奏している姿を見てみたいです。そしたら私、すごすぎて泣いちゃうかも」


 恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうに笑うイリアス。

 出会って日も浅いのに、その笑顔がかけがえのない宝物のように見えてしまう。


(妹と、重ねちゃってるのかな)


 まるで、失った何かが戻ってきた。そんな、懐かしさにも似た思い。

 腕から伸びる翼も、人間にはない金色の瞳も……。

 あの時なくしてしまった大切なもののように。

 そして、もう二度とこのかけがえのないものを、失いたくないと願ってしまう。


「うん、今度聴かせてあげるよ。仕事合間に練習してきただけだから、人に聴かせられるようなものかは分からないけど」


 一度、集中して練習しておいた方がいいかも知れない。

 これだけ喜んでくれるのなら、少しの寝不足など何の苦にもならないだろう。


 いつかは聴かせてあげたい。好奇心に目を輝かす、翼を持った少女に。

 今はただ、彼女がこの町で過ごす日々が、かけがえのないものであってほしいと願うばかりだった。

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