2-2【一枚の羽根】

 兵長と別れたレイトン達は、港の荷揚げ場まで来ていた。


 集められた荷物の前では、接客をする船員と受け取りに来た客の声で賑わう。

 取引が成立した荷物は料金と引き換えに客の手に渡り、客の用意した手段を用いて運ばれていく。

 手で持てるならばそのまま客が手にして埠頭を後にするし、巨大な荷物は船員と協力し、荷馬車に積み込む。


 様々な人が集う埠頭。船の来る日はポリュヒュムニアがもっとも賑わう時間だ。

 流通手段に乏しいこの町にとっては生命線ともいえる。


「パパっ、久しぶりーっ!」


 アリシアの声が、数名の客と談笑する一際屈強な男に向けられた。

 金髪をオールバックにした厳つい顔。角ばった頬には、大きな切り傷の跡。

 男と客はアリシアの声を聞き、振り返る。

 客は男と挨拶を交わし、革袋を持ってその場を立ち去る。


「よぉ、アリシア。元気してたかー? そろそろレイトンはモノに出来たんじゃねぇか?」

「パパこそ元気そう。ヒュドラに食べられてるかと思っちゃった」


 親子で交わされる、どこかトゲのある会話。

 一部他人事ではないレイトンは、アリシアの背後で苦笑を浮かべている。

 そんなアリシアがパパと呼ぶ男。

 彼はこの町の流通を担う船団の一つ、オルペウス船団の船長、ジェイソン・オルペウスだ。


 ちなみに、親子の再会は一週間ぶりとなる。

 長くても二日ほどしか町にいないジェイソンにとっては、これも貴重な親子の会話なのだろう。


「パパ。荷物、取りに来た」

「うおっと。アリスー、もう少し景気よくしような。っと、よおレイトン! 元気だったかこのーっ」


 音もなく忍び寄ったアリスに驚きつつ、笑顔でレイトンの隣に立ち、彼の背中を加減を知らぬ力で二、三度叩く。


「って! お久しぶりです、ジェイソンさん。いてて」

「おいおいー、相変わらずなっさけねぇ顔だな。で、荷物だったな」

「は、はい。先生の名義で封筒を」


 荷物の詳細を聞き、腰にぶら下げた革表紙の伝票束を開く。

 そして二十枚ほどめくったところで、目的の伝票を見つける。

 それを束から切り離し、近くにいた船員を呼び止めた。


「これ持ってこい。いいか、折り曲げたりするなよー」


「へいっ、店長!」


「船長と呼べ!」


 船員の左ふくらはぎに蹴りを入れ、早く行けと怒鳴りつける。

 時折痛そうに左足をさする姿を、どこか呆れた様子で見つめるアリシア。


「ったくよぉ。俺を何だと……あっ」

「んー、どしたのパパ?」

「ああ、いやちょっとな……んにゃ、やっぱ何でもねぇや」


 珍しく口ごもるジェイソン。


「あの子なら、まぁどうにかするだろうしな」


 周囲の雑踏に消えそうな呟きの意味が、レイトンには全く見当がつかなかった。

 父親の見慣れない様子に怪訝そうな表情を見せるアリシアだったが、すぐに先ほどの船員が戻ってきたため、会話は断たれる。


「へいっ、店長! 持ってきましあだっ!」


 相変わらず船長と呼ばないその船員に、ジェイソンが拳骨をお見舞いする。

 その威力は、筋骨隆々の船員の足下を一撃でおぼつかなくさせるほどだった。


「船長だっつってんだろうが! ったく」


 船員の手にある、大きめの冊子が入りそうな茶色の革封筒。

 それを取り上げ、レイトンに向けて差し出してくる。

 自分が一番荷物を手荒に扱っていることには気付いていない。


「ほれ、頼まれたモンだ。料金は前払いだから、持って行きな」

「は、はい。ありがとうございます」


 ふらつく船員を心配しつつ、差し出された封筒を受け取る。


「お兄ちゃん、その中身って?」

「ん、仕事で使うものだとは思うけど、先生には聞いてないよ」

「ふーん、そっか。じゃあさっさと帰ろっ」


 中身が分からないと知るや、すぐさまレイトンの腕にしがみつくアリシア。

 その様子を見て、ジェイソンは腰に手をやり、深いため息をつく。


「相っ変わらずそっけねぇ娘だぜ……レイトン、下手に手ェ出したらただじゃおかねぇぞ?」

「なっ、何言ってるんですか急に! 出しませんよそんな!!」


 ジェイソンの聞き捨てならぬ言葉に、顔を赤くして反論するレイトン。


「はぁ!? ちょっとお兄ちゃん、それはないでしょー!!」


 が、レイトンの言葉にいち早く反応したのはアリシアの方だった。


「せっかくお兄ちゃんの好きそうな服とか選んでるのにっ。ほらお兄ちゃんむっつりだからチラチラ見えるの好きひゃい!?」

「アリシア、いい加減にして」


 アリシアの脇腹をつねる白い手。

 どうしようもない言葉の嵐に呆れ果てたアリスが、実力で黙らせに来たようだ。


「パパ。またお家でね。お兄ちゃん、いこ?」

「あああアリスぅ! ごめんってば離してってばぁー!!」


 ジェイソンに手を振りながら、アリシアを連行していくアリス。


「ははっ、しっかりしてるぜ。そんじゃレイトン、あいつらのことよろしく頼むぜ」

「は、はい。それじゃあ、また」


 豪快に笑いながら、レイトンは再びその大きな掌で背中を叩かれた。

 その勢いに、半ば吹っ飛ばされるのではといった勢いでその場を後にする。


 ……頭上から、軽いものが降ってきた感触。


「んっ?」


 レモンのように黄色いそれを手に取ってみると、正体はかなり大きな海鳥の羽根。

 立派な筆ペンにでもなりそうなくらいだ。

 根元から先端に向けて、白色のグラデーションになっている羽根は、まるで飴細工のように艶やかだ。

 しかし空を見上げるも、その羽根の落とし主らしきものは見当たらない。


「なんだ、これ……?」


 急に空から降ってきたそれに、ただ首をかしげるだけのレイトン。


「お兄ちゃーんっ!!」


 遠くの方で、解放されたのであろう自分を呼ぶアリシアの声が聞こえる。

 そうだ。荷物もあるのだし、早く帰らねば。

 肩に下げた鞄に、封筒と一緒にその羽根を入れる。


「今行くー!」


 その後は特に空を気にすることもなく、レイトンはアリシア達の方へ駆け足で向かうのだった。



                  ●



 両側に白い土壁で出来た三階建ての建物が並ぶ区画。

 緩やかなカーブで海側へと続く石畳の街路は、主に港やメインストリートの店舗で働く人々の住宅が並んでいる。


 物干しのためのロープが、対面する建物同士を繋ぎ、洗濯物達が風に揺れる。

 視界の先には崖があり、傾斜の緩やかな部分に道が通され、建物が連なっている。

 そして崖の頂上には、町の正門とその隣に立つ衛兵詰所。

 門から崖沿いに通された道は、ここ最下層の海岸まで繋がっている。

 その光景は、まるで崖に建物が張り付いているようにも見えた。


 メインストリートの喧噪に比べれば、ここはずいぶんと静かな場所だ。

 だが生活感あふれる風景が続くこの道も、レイトンには思い出深く愛着がある。

 この道に気付かなければ、今の生活が訪れることもなかったのだから。


 帰路の途中、先ほどまで楽しそうに雑談していたアリシアが、急に頭を抱える。


「あっ、しまったー!」

「わっ、ちょっ、どうしたの。忘れ物?」

「ちっがーうっ! アイス、アイス買い忘れた!」


 その一言に、レイトンはため息をつくしかなかった。

 アリスの顔も、どこか呆れているようにも見える。


「あぁー、あたしとしたことが何という」

「帰りに買っていけば?」

「いやいや何言ってるのお兄ちゃん。お兄ちゃんと一緒に食べることに意味があるのっ」


 カップアイスを持つポーズをしながら、レイトンへ上目遣いのアリシア。


「こう、お兄ちゃんの口に付いたアイスをね、あたしがペロッと……きゃーっ!」


 どんな想像をしているのか、にやけ顔の頬に手をやりうずくまる。

 この様子に、レイトンもませてるなと思いつつノーコメント。

 困った表情で、アリスと顔を見合わせる。

 そしてしゃがむアリシアへと目線を移したアリスが一言。


「やらしい。下心、丸出し」

「やらしくない! 純情!」


 妄想状態から復活したアリシアが、噛みつかんばかりにアリスに迫る。

 だが、アリスは表情一つ変えず、半開きの目で見つめ返すだけ。

 喧嘩するほど仲が良いを地で行く姉妹だ。こんな光景もいつものことである。


「大体今年で十五歳だよあたし達! それなのにお兄ちゃんはさぁー!」

「そういう考え方がやらしい」

「二人ともー、とりあえず帰ろうよ。まだ昼ご飯も食べてな」


 レイトン達の横を、彫刻が施された木製枠の古びた大鏡を運ぶ男二人が通る。

 その鏡に映る、背後の風景。


 青空と、坂の頂上に建つ家々の屋根。

 それと一緒に、屋根に立つ少女らしき人影が映った。


 レイトン達の後ろ姿を、じっと見つめる顔。

 暑いというのに外套を頭から被り、ウェーブのかかった前髪は長く、その人相は確認できない。

 男達が通り過ぎ、再び建物の白い壁が視界に入る。


 改めて後ろを振り返る。が、屋根の上に少女の姿はない。


「お兄ちゃん? アイス屋台のおじさんでもいたの?」


 声と同時に、視界にアリシアの顔が現れる。


「いや、アイスじゃないけど。屋根に見たことない女の子がいたなぁと思って」

「ふーん。よその町の子じゃない? この時期こっちに帰ってくる人も結構いるし」


 確かに、帰郷した町民の連れ子と考えれば、おかしな話でもない。

 双子姉妹の喧嘩が気になって、こちらを見ていただけかもしれない。

 屋根にいたことも、屋上からこちらを覗いていた姿がそう見えただけだろう。


 だが、なぜかその少女が気になってしまう。

 前髪間から、ほんの少しだけ覗いていた彼女の目。

 それが、不安な気持ちを訴えているように見えたからだろうか。


「それよりもう行こうよー。アイスは今度必ずっ」

「あぁ、諦めるつもりないんだ……」


 アリシアの諦めの悪さは、ある意味見習うべきところもある。

 そんなことを思いながら、レイトンは再び歩き出す。


 ――さっきの女の子が、姿を現さないだろうか。


 その思いとは裏腹に、建物の屋根から人の姿が覗くことはなかった。

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