第二幕【昨日と変わらぬ閉ざされた世界で】
2-1【それは嵐の前触れか】
エリシオン聖王国にて発生した内乱は、五年を過ぎても収まる気配はなかった。
隣国の動乱に、アテナイ王国は国境の防備を固めるなど、対応に追われる日々だ。
比較的国境に近く、それなりの大型船が入ることのできるポリュヒュムニア。
残念ながら、田舎町とはいえこの情勢が無関係とはいえないだろう。
●
――波の音。
一定のリズムを刻んで、静かな波の音が、生活音と共に町を包み込む。
数日続いた嵐も過ぎ、空は海の色に負けないほどの青色を見せている。
海風は嵐の湿気を忘れさせてくれるほど心地よく、嗅ぎ慣れた潮の香りを運ぶ。
日差しは強くても、石畳の敷かれた町並みは過ごしやすいものだ。
右手に建ち並ぶ白い壁の建物。
食糧店や雑貨店が軒を連ね、その前には露店が並んでいる。
そこは道行く人々の雑踏と、声を張り上げる商人達の声で賑わっていた。
新鮮な魚の匂いや、パンを焼く甘い匂い。
様々な匂いで満ちるこの街路は、ポリュヒュムニア最下段のメインストリートだ。
そして反対側を見れば、見慣れたイカリアの海。
いくつかの埠頭が伸びる港が街路に沿って続き、海上には対岸の岬をバックに漁船がいくつも浮かんでいる。
愛用している書類が入る程度の肩掛けカバンを下げ、レイトンは賑わう町並みを港に向けて歩いていた。
この町に来て五年。
十九になったレイトンにとって、この緩やかに時の進む町が新しい故郷だ。
「お兄ちゃんお兄ちゃんっ! アイスだよ、アイスっ。食べようよぉー」
最近この町にもやってきたアイスクリーム露店。
その前からレイトンを呼ぶのはアリシア。
五年経とうともドクロマークのバンダナがトレードマークだ。
大きく両手を振るのに合わせて、ノースリーブシャツの裾が揺れる。
衣服に浮かぶ体の線は、童顔に似合わず大人びている。
「食べるって、まずはお使いを終わらせてからだよ」
そう言って、アリシアの近くまで歩み寄るレイトン。
だが、彼の歩みよりも先に、彼女の方が先にレイトンの腕にしがみついてきた。
「そんな堅いこと言わないでぇー。あ、もちろんお兄ちゃんの奢りでー」
「アリシア? お金持ってるんだからせめて自分でね」
呆れた口調のレイトンに、大きな両目を細めて笑う妹分。
そんな彼女の肩に乗せられる手。
女性らしい細い手で、その肌はアリシアと同じく白い。
「だめ。仕事、終わってから」
アリシアの顔を覗き込んでくる顔は、アリシアの顔だった。
髪色は同じ金髪だが、ドクロ型の髪留めでポニーテールにした髪型。
アリシアよりも声は小さく、服装は胸元が開いたワンピースだ。
「やだなぁ、そんな怒らないでよアリスぅ。冗談よ、ジョーダンっ」
「怒ってない」
アリス……アリシアと瓜二つの双子。
容姿はほとんど同じでも、性格は正反対だ。
怒っていないと言われても、元々感情をあまりに表に出さない性格のせいか、
その仏頂面は少し怒っているように見えてしまう。
そんな二人の妹分の間に、レイトンは苦笑を浮かべながら、割って入る。
「まあまあ、ここで言い合ってもしょうがないから、とりあえず船のところ行こうよ。アイスはその後ということで」
レイトンに言われ、渋々と言った様子で引き下がるアリシア。
五年の月日を経て、双子とのやり取りはレイトンにとって日常のそれだった。
「えーっ。まぁ、お兄ちゃんがそう言うなら仕方ないね。という訳でぇ~」
「アリシア、だめ。お兄ちゃん困ってる」
「だから冗談だってば。怒っちゃやーよ、アリス」
「……怒ってない」
このまま第二ラウンドを始められるのはたまったものではない。
二人の手を取り、レイトンは船着き場への道を急いだ。
騒がしい二人を連れてやってきたのは、帆柱と煙突が立つ外輪蒸気船が停泊するひときわ大きな埠頭だ。
沖に向かって張り出す石の埠頭が二本。その脇に停泊する三隻の大型輸送船。
船の前は、荷物と人でごった返しの状態だった。
外国語や、見慣れないマークの描かれた木箱や、頑丈な鉄輪で作られた樽。
さらには片手で軽々と持てる程度の麻袋や、手紙の束。
屈強な
それとは別に、もう一つの埠頭が、港の端に用意されている。
「あっ……」
視線の先には、大型の帆船。
オリーブで編まれた枝冠と、その中央で優雅に翼を広げる大フクロウが描かれたアテナイ王国の国旗が、帆柱の一番高い位置ではためいている。
あの埠頭には、王国直属の船が優先的に停泊する。
現在停泊している船には女神の槍をあしらった軍旗も見える為、軍艦だろう。
船から下りた兵士達がこちらに向けて歩いてきている。
戦争に巻き込まれた経験のあるレイトンにとっては、気持ちのいいものではない。
しかし、最近は国境警備の為に入港する軍の船も多く、今や珍しい光景でもない。
目線を少しだけ下へと移す。
「おっ、レイトンじゃないか。お使いか?」
その時、酒焼けで枯れ気味の声が、レイトンの名を呼ぶ。
顔を上げると、腰にサーベルを下げた一人の中年兵士……なのだが、腹の出っ張った制服姿に兵士特有の威圧感は感じられない。
「ああ、兵長さん。おはようございます」
「おう。嬢ちゃん達も元気そうだな。はははっ」
すきっ歯を見せて笑う、兵長と呼ばれた男。
レイトンも彼に対しては嫌悪感を抱いていない。
それもそうだ。彼は五年前、一番最初にレイトンを見つけた男。命の恩人である。
それに、向こうの兵隊とは違い、彼は長年この町に常駐している衛兵の隊長だ。
気のいい部下達共々、町の人々からはよく知られた人物である。
「当然っ。朝からお兄ちゃんとお使いなのに、へぼへぼじゃダメだし」
できる女をアピールしたいのか、鼻高々に笑みを見せるアリシア。
先ほどのやり取りを思い出すと、どこか微笑ましい。
「そうかいそうかい。しかしあれだな、朝から騒がしいモンだ」
そう言って、兵長の視線は先ほどの兵列に向く。
「首都のお偉いさんが引き連れてきたんだよ。兵員の補充とかでな」
「この町に常駐するんですか?」
「いや、隣町だ。とはいえ近いからな、こっちにも睨みを利かせるつもりなんだろ」
やれやれと肩をすくめる兵長。
「大体俺達がいるってのによぉ……」
「……兵長さん達、あまり仕事しないから」
アリスの鋭い一言に、兵長はバツが悪そうに眉をひそめる。
それもそのはず。
基本的に平和なポリュヒュムニアにおいて、衛兵の仕事はそれほど多くない。
外洋からやって来る船も、乗っている船員は大体が顔馴染み。
気が置けない仲というわけだ。
レイトンやアリシア、アリスのような若い住民は、彼らが日がな一日のんびりと町を見回っているか、酒盛りをしている姿くらいしか見ていない。
「そ、それよりだ。先生にも注意するように言っておいてくれ」
「注意?」
レイトンが聞き返すと、兵長が嫌悪感むき出しのしかめっ面を浮かべる。
「あの『バカ中佐殿』が来てる」
バカ中佐殿。その一言で、三人は「ああ……」と言葉を漏らす。
あの軍艦は、レイトン達にとって面倒なものを運んできてしまったようだ。
――これからしばらく、騒がしくなりそうだ。
ポリュヒュムニアの強い日差しのせいか、レイトンは軽いめまいを覚えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます