1-3【それを魔法とするのなら】
両脇に双子の少女。膝には巨大なクモ。
包囲されたレイトンは、背筋を正して椅子に座ることしかできなかった。
「あたしね、アリシアっていうの。こっちはアリスね」
突然、バンダナの子……アリシアが話しかけてくる。
どうやらポニーテールの子はアリスというらしい。
「あ、ああ……よろしく」
先ほどまで警戒されていたのがウソのように、笑顔で名乗る右隣のアリシア。
左隣のアリスも、表立った表情は出さないが律義に頭を下げる。
「私はパラス・クリームト。パラスと呼びたまえ、少年」
こちらを見上げるような素振りを見せる、パラスと名乗る巨大クモ。
ずっと気になっていたが、やけに紳士めいた喋り方をするようだ。
そもそも喋るクモとはいったい何者なのか、色々と疑問の尽きない存在だが。
「先生ってね、すごいんだよ。故郷じゃあ……ひゃくの、ほうせき? とか言われてたんだってっ」
アリシアの言葉に、ピアノの前に座るフローラが困り気味の笑顔を見せる。
百の宝石……音楽家か声楽家なのであろう彼女の実力を現す異名という事か。
だが、レイトンは異名を持つ芸術家に出会ったことがない。
そこから実力を想像することなど、出来るわけがなかった。
「昔のことですから、気にしないでくださいねー」
輝かしい経歴を自慢する風でもなく、レイトンの方に見合うフローラ。
「それでは……そういえば、お名前を伺っていませんでしたね」
「あ、はい。レイトンです」
「はい。それではレイトン君、曲のリクエストはありますか?」
「え、リクエスト? そうは言っても」
辺境生まれのレイトンに、リクエストするほどの歌の知識などない。
「……じゃあ、エリシオンに所縁のあるのを」
戸惑い気味に口にしたのは、今思い出すにはつらい故郷の歌だった。
だが、不思議とそれしか浮かばなかったのだ。
もう戻ることもかなわないであろう故郷の歌。
それを、一つくらいは知っておきたかったのかも知れない。
ここを逃せば、今後知る機会はもう二度と訪れないだろうから。
「はい、お任せください。それでは……」
四角いスツールから腰を上げ、皆の前に姿勢を正して立つフローラ。
「レイトン君。今から歌う曲について、私はあえてあなたに事前の説明をしません」
「えっ?」
その言葉がどういう意味なのか。レイトンには分からなかった。
「純粋に、今の素直な気持ちだけで聴いてくださいね」
だが、何も知らないまま聴くということがどれだけ大事なことなのか。
微笑みを浮かべるフローラの表情を前にして、それだけは察することが出来た。
レイトンは返事を口にせず、一度うなずく。
それを見届けたフローラは、腹部の前で両手を重ねる姿勢で、静かに深呼吸をした。
――彼女の口から紡がれた最初の言葉は、覚えのある名前だった。
エリシオン一の名峰と言われる、万年氷河が残る山脈。
決して豊かな土地でない故郷。
その過酷な環境の象徴であり、国の誇りともいえる雄大な山々。
氷河の氷はゆっくりと山を下り、溶けた雫の一滴が山麓の水源となり一筋の小川となる。
生まれた小川達はやがて渓流を生み出し、山々を削り谷を作る。
それは、途方もない年月をかけて作り上げられた、生まれ故郷の風景。
何かを始めるということは、いつの時代も過酷なものだ。
森を切り開く。集落を完成させる。人の営みを生む。
心の傷を埋めるのもそうだ。最初に触れるその傷は、必ず痛みを伴う。
それでも、触れなければならない。
溢れるそれを止めるためには、強く押さえ続けなければならない。
だからこそだ。それは誇るべきこと、正しき勇気。
優しく語りかけていた口調からは考えられないほどの、透明で、清らかで、それでいて強く響く歌声。
彼女の口から紡がれるのは、強い心の歌だった。
例え始まりが小さな一滴であろうとも、それは大きな変化の一歩である、と。
「……ぁ」
レイトンには、その歌詞の全てを理解することは出来なかった。
ただその詩に、その歌声に、この先悲劇を過去にしなければならない自分に寄り添う優しさを感じてしまう。
勇気を糧に、過去と向き合う。それは最初の正解なのだと。
それだけ、彼女の歌声はレイトンの心を揺り動かす力を持っていた。
「この歌はですね、エリシオンのとある山村で歌われる民謡なんです」
いつの間にか歌は終わっていた。
俯くレイトンに向けて、フローラが語り掛ける。
「大自然やご先祖様が創り出した故郷の風景に対する、尊敬の歌なのかも知れませんね」
胸を締め付けるような感覚を覚え、思わず手で胸を押さえるレイトン。
見方を変えれば、今のレイトンにとっては最も痛めつける歌だろう。
先人が作り上げた故郷を焼かれ、逃げることしかできなかった自分にとっては。
「だからこそ、私はこの歌を選びました。この先の未来に恐れ、苦悩する、そんな過酷な道を選んだレイトン君の勇気を感じましたから」
――そんな逃げ出しただけの自分に、この人は勇気を見出してくれると言うのか。
「俺……そんなんじゃ……だって、頑張って生きようとか、そんな……」
声が震える。
膝の上にいたはずのパラスは、アリスの腕の中に抱かれていた。
気付けば、涙の跡がズボンに浮かんでいた。
「本当にそうですか? この家に来るまでのこと、よく思い出してみてください」
レイトンの目の前で膝をつくフローラ。
胸を強く押さえているレイトンの右手に、彼女の白い左手が重ねられる。
冷たくも暖かい、そんな感触だった。
「諦めてしまっているようには見えません。今のあなたの顔は」
俯くレイトンの顔に、フローラの右手が触れる。
「全てを諦めてしまったなんて、私には思えませんよ?」
どうして自分で気付けなかったのか。
こんなにも、歯を食いしばっていただなんて。
抑えきれない震えで、ガチガチと奥歯が鳴るほどに。
何かを必死にこらえるように。
『せめて、先生にできる限りのお礼をしよう。そしてすぐにこの町を出よう。』
あの時のちっぽけな覚悟が、自分にとっての始まりだったのだろうか。
まだ、諦めたくないという心の表れだったのだろうか。
「でもっ、どうすりゃいいのかなんてもう、俺……わかんなくて……ッ」
「それに答えを出せる人はいません。他ならぬレイトン君以外には」
「それじゃあ……俺にはもう、無理で……無理…………」
「無理ですか? 諦めてしまいますか?」
――嫌だ。
その言葉は、震えて声にならなかった。
「そうですか……そうですよね、嫌ですよね」
それでもフローラは、微笑みを絶やさない。
言葉にならない言葉を、理解してくれた。
「今は分からなくても大丈夫です。時間をかけて考えていきましょう?」
フローラは立ち上がり、彼女の手がゆっくりとレイトンから離れる。
そして……。
「パラスちゃん。今から屋根裏のお部屋、片付けましょうか」
いつもこうだと言わんばかりに、パラスは深いため息をつくのだった。
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