第一幕:アルフォンス・リ・セディア

初譚:赤子、俺、異世界にて

人生を生きてきて30年と少し。


なんともあっけなく俺は、死んだ。


重力に身体の芯まで隷属して、コンクリに思い切り叩きつけられて死んだ。


耳には自分の骨が折れる音がまだ耳に残っている。


焼け付くような熱さがずっと身体を巡っている。


視界も真っ暗な空間に囚われて光なんて見えない。


真っ暗な世界に包まれて、俺は考える。


これが……死ぬってことなんだろうか。


冷静に考えてはいるが、内心はめちゃくちゃ悲しい。


こんな寂しい暗闇の世界の中で、一人死んでいく。


_誰も見届けてくれる人はいなくて


__看取られることもなくて


___ただ肉体の感覚と、意識の消失を待つだけ。


俺は別に天涯孤独ってわけじゃなかった。


家族もいたし、昔は友達だっていた。


両方に必要とされなくなった今だってネッ友ぐらいはいた。だからこそ悲しいのだ。


誰も自分の死を悲しんでくれる人がいないことが___こんなにも。


あぁ…だんだん考えるのも疲れてきた……


もう……いいか。

__________

(………まだですかね)


俺が死んでから恐らく数分が経った。


まだ意識ははっきりとしている。


まさか俺、あの高さから落ちたのに死んでないのか?いやいやそんなわけないだろ。


それとも肉体的に死んだとしても意識はしばらく残り続けるんだろうか。


そうだとしたらとても意地が悪い。


一度死を覚悟したのに死ぬのが怖くなったじゃないか。


(あ"ー……死にたくない…まだ生きたい……)


俺だって人生に未練がないわけじゃない。


俺だって人生をちゃんと楽しみたいのだ。


家族からの冷たい視線を受けながら暗い部屋に閉じこもるなんてまっぴらゴメンだ。


誰か……誰でもいい……神にでも仏にでも祈ってやるから……


(頼むよ……俺を助けてくれ……)


向こうに光が見えてきた。


人が思い浮かべたイメージ通り、天国は光に満ちているらしい。


(結局死ぬことは変わりないのかよ……)


そんなことを考えている間にも、俺の身体は見えない力によって光の方に吸い寄せら

れ、意識は急速に薄れていく。


___俺は今度こそ死んだ。

__________


どこかで赤ん坊が泣いている。


いつか聞いた妹の産声と同じ、か弱い命が絞り出す泣き声。


頬の下にはコンクリとは真逆のふわふわとした感覚があり、泣き声は俺のすぐ横から

聞こえてきているらしい。


下半身は日陰に隠れているらしく程よい涼しさをもたらしてくれ、上半身には光が当

たって少し暑い。


だがその暑さも、全身に痛みと出血を伴う熱さよりは遥かにマシだ。


…全身の感覚がある。


ていうかヌラヌラして気持ち悪い……なんだこれ?粘液?


「クレア!ディスケッド……ディスケッドクレア!」


いきなりそんな声がしたと思ったら上からイケメンが覗き込んできた。どうやら耳も

ちゃんと聞こえるらしい。


てか近い。ガチ恋距離やめろよ。男にやられたって嬉しくもなんともないぞ。


「アルフォンス、エリーゼ。アム・リート・デア。」


イケメンは近づけた顔を離そうとしない。それどころか更に顔を近づけてくる。


どうやらこのイケメンにはわからせ鉄拳制裁が必要らしい。


ブクブクに太ったニートだからって舐めるなよ。


お前のその綺麗なスウィートマスクに拳を叩き込む事ぐらいはできるんだぜ。


俺は拳を握りしめ、目の前の顔面に向かって叩き込んだ!!


……つもりでいた。


「リー・リー。ファスラ=イディ。アルフォンス?」


俺の握りしめた拳は間違いなく、寸分の違いもなくイケメンフェイスに直撃した。


したはずなんだが……


「テイド・ネス?」


俺から伸びているはずの育ちすぎた芋虫のような太さの腕はそこにはなかったし、

なんなら、目の前のイケメンフェイスに最低限めり込んでいるはずのでかいクリームパンみたいな形の拳もそこにはなかった。


未発達の骨と、薄い肉で構成された柔らかくて小さな拳と、細い腕。それが俺の身体から伸びていた。


その事について考える暇も無く、唐突な浮遊感に襲われる。


どうやら持ち上げられたらしい。気安く持ち上げてくれるものだ。俺は80キロを優に超えているはずなのに。


(…いや。もうわかってる。)


わかっていて理解しようとしていないだけだ。


身体が柔らかい布で拭かれる感触の後、また元の場所に戻される。


「ニーデ。アルフォンス。アム・セケル・デア〜。」


今度は美女が俺の前に顔を出す。


そして、顔を近づけたと思うと、俺の頬にやわらかい物が触れた。


めっちゃいい匂いした。


少し前。それこそ数十分前の俺ともなれば


『悪い子だ奥さん…旦那がいながらこんなこと……』


なんて冗談を言えたし、美女が頬にキスをしてくれるなんてシチュエーションだけで

ご飯が三杯食える。


…だが、今の俺には、そんなユニークな考えを巡らせている心の余裕はなかった。


生前……いや、前世では山程電子書籍で読んだシチュエーション。


ずっと『こんなことにならないか』と妄想を巡らせていたが……

人間いざ非現実に直面するとパニックに陥るのだと身をもって知った。


パニックのあまり俺は泣いた。みっともなく。体面なんてなにも考えずに。


まだ隣から聞こえている赤子の泣き声と同じように。


赤子おっさんが赤子のように泣いた。


なんとも受け入れがたい非現実だが


___俺は『転生』したらしい

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る