・・・プロローグ:衝突禁止

「あの…大丈夫ですか…?」


無言でいるボクを心配してくれたのか向こうから声をかけてきた。

それでもボクはまだ呆気にとられている。

というよりボクの脳が叫んでいるんだ。


『なんでこいつは生きているのか』


この世界において、五感を失っているということは限りなく死に近づくのと同義。

人身売買、テロ、銃撃戦、誘拐なんかがはびこっているこの世界。ましてや目の見えない人間なんて絶好のカモなんだから周囲が放っておく訳がないはずだ。


体よく行方不明にされて、どこかに売られるか。


紛争地帯で敵兵と間違えられて殺されるか。


地雷原を歩いて吹き飛ぶか。


こんなものだ。

これが拒否権など存在しない理不尽となって重くのしかかる。

障害を持つか持たないかという事はそれほどに重大なのだ。


"しかしこいつは生きている"


裕福には見えないが明日の食に困っているようにも見えない。

貧民街に居を構える孤児が好んで着るような格好をしているが毎日風呂に入っているらしく身体は清潔。


怪しいところなどない。

メモに書き加えるとしたら『貧民街の服装をした奇特な一般人』の枠に入るだろう。

だが、ボクはこのよくわからない存在に恐怖を覚えたのだ。純粋な恐怖を。

ボクよりも明らかに年若く、まだこの世の恐怖も知らないような年齢の子供に。

戦場でしか抱くことのなかった感情を久々に想起し、まだこんな感情が残っていたのかと自分でも驚く。

雑多で細かな感情は全てあの血と脳漿の海に沈めてきたはずなのに。

耳のすぐ側を外道電車が通り抜け、ハッとしたボクは蘇った血の記憶を慌てて振り払い、目の前の子供の質問に応えた。


「これでも体は丈夫な方なんだ。心配いらないよ。」


警戒は怠ってはならない。抱いた恐怖の正体はまだわからないが、ボクだってそうやすやすと死ぬわけにはいかないのだ。


「そうなのですか。よかったです。」


そう言って屈託なく笑いかけてくる。

ふと、笑った顔に既視感を覚える。

そして、合点した。

恐怖を覚えるわけだ。


『信用してはいけないよ。』


過去を掘り起こし、投影する。


『この世の中、全てを信じて生きていられる程優しくはない。』


この言葉は、長い時間の中を経て薄れ、ボクの頭の中で血流のように巡る呪いになってしまった。


『その点においては君の御母堂は完璧だった。』


まだボクに戸惑いが残っていた頃、耳を通してこの教えを聞いた日を思い出した。


『自分の子供をぶっ殺すというのはなかなかできることじゃあない。』


それがなぜ普通ではないのか理解したのは血の感触を覚えた日だった。


『感謝するといいさ。御母堂の事がなかったら私はあんたのことを犬に喰わせてた』


それが死ぬということなのは小さな身でもよくわかっていた。


『いらっしゃい。夢の世界へ。』


「とっとと死ね。」


「え?」


「ん?」


とんでもない失敗をしてしまった。


「ごめんなさいでした。」


「えぇ!?」


これほど口を突いて出た言葉は消せないということに憤ったことはない。

言葉の一つ二つぐらい融通を効かせてほしいものだ。


「え、えぇと…私もうそろそろ…」


「ボクは君に話があって来た。」


「ごめんなさい!」


そう言うが早いか彼女は駆け出す。

視力が無いにも関わらず素早い反応だ。

でも逃げられると話ができない。


「ちょっと待って。」


追いかけようと一歩前へ踏み出す。

足元からモーターの稼働する音がして……これはまずい。

その考えにたどり着いた瞬間


ドンッ


小さな爆発音が辺りに響き渡り、それと同時にボクの体は城壁にめり込んだ。

隣にはすぐ横から聞こえてきた破砕音に身の危険を感じ、縮こまる彼女。

どうやらこの前の仕事で動力装置をoffにしておくのを忘れたらしい。

衝突地点がもう少しずれていたらこの少女は肉塊になっていただろう。

危ない危ない。


「あっ、あなた何者なんですか!」


パニックになった彼女が聞いてくる。

その言葉を待っていたんだ。結局の所こう言うのが一番手っ取り早いのだから。


「ボク?ボクはね」


衝撃で飛び散った脚部の部品を探しながら答える。


夢狩ゆめがりだよ」

__________

:語録集


・トーキョーケン中央連邦


主人公が滞在する国。

治安は悪いが外に広がる死の荒野オダイバに死にに行く程であればこの国はいい休憩所になるだろう。

遠い昔は違う呼び方をされていたようだが語り部も潰えてついえて久しい今誰もこの国の真名を知る者はいない。



・ヒノモト


縦長の形をした大陸。

海を超えた北方にはエトロフ、南方にはキョード、西方には華国フラウという大国に囲まれた流刑地。


世界が染まったのはここが始まりであり、ここが終端である。


この言葉が刻まれる井戸が多数存在し、かつて起こった大戦の爪痕であると共に、死者の望郷の念と妄執を封じる天蓋でもある。

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