破 殻をやぶるような


 集中治療室に幼い私はいた。

 いつもそこには白い薔薇ばらが飾られていた。

 父からの贈り物だという。

 生まれてこの方、顔も見た事の無い父。

 そして母。

 私、マリアローズ・双葉ふたばはいつも硝子の中に在った。

 そこが私の居場所だった。

 学校に通うようになってからも。

 私は硝子の中に在った。

 父が用意した箱庭。

 私立比翼学園。

 その中の温室で、そう文字通りの温室で育てられた私。

 一生、このままなんだと思ってた。

 あの日までは。

 顔にそばかすを付けた同い年くらいの女の子。

 茶髪のセミロング、こだわりというより切るのがめんどくさいから伸ばしているという感じ、私と同じ比翼の制服。

 彼女は私にこう切り出した。

「あの、わたし、今日子、雛罌粟今日子ひなげしきょうこ、あなたは?」

 私は戸惑った。

 それが自己紹介で、私も同じ事を求められているのは分かったけれど。

 それでも戸惑った。

 困惑した。当惑した。迷惑だった。

 だけど返事をしてしまった。

 それからあれよあれよという間に距離を詰められた。

 友達になる約束までしてしまった。

 生まれて初めての友達だった。

 ただ生きているだけの私に友達なんて出来ていいのだろうか。

 次の日も今日子はやってくる。

 その日は顔を硝子越しに突き合わせまでした。

 互いに赤面し、今日子はまた明日もやるから慣れておくようにとまで言った。

 正直、意味が分からなかったし、今日子だって意味が分かっているとは思えなかった。

 だけど、そう、この気持ちは友情というより、憧憬どうけいに似ていた。

 もう少し踏み込むならば恋慕に近かった。

 おかしなことだろうか。

 同性同士でそんなこと。

 もう異性愛同性愛を区別、差別する時代は終わったのだと習った。

 習ってはいたけれど、男の子とも恋愛した事もない、それどころかまともな人間関係すら築いた事のない私がそんな夢物語、描いていいのだろうか。

 ひどく悩んでいると、夜も眠れなかった。

 私は月明かりに照らされた夜の温室に出る。

 薄明かりに映える花々はどれも綺麗で、私は自然と今日子の顔を思い浮かべていた。

 彼女にも見せてあげたいな。

 だけど学園の規則上それは無理だ。

「……やっぱりおかしいよ」

 一人ごちる。

 答えなんて期待してない言葉。

 だけど――

「なにがだい?」

 思わぬ返事が返ってきた。

 そこに居たのは比翼の制服を着た少年だった。

 黒髪黒目の薄闇の溶けそうな細身の男の子。

「あ、あなたは……? どうしてこの中に……」

「僕は影法師、君の影法師」

「何を言って」

「君は夢を見てるのさ、フロイトの解説が必要かい?」

 私は苦しくて眠れなかったはず。

 だから此処に来たはず。

 それが夢?

 現実と夢幻ゆめまぼろしの区別がつかない。

 自称、影法師は言う。

「今日子ちゃんが男の子だったらよかった?」

「そんなこと……」

「今日子ちゃんが来なきゃよかった?」

「そんなことない!」

 影法師は拍手する。

 私は一際、混乱する。

 こいつはなんなんだろう。

 私の心をひどく搔き乱す。

 今すぐ消えて欲しい。

 これが夢だというのなら。

 まさしく悪夢そのものだった。

「君は今日子ちゃんに恋したんだ」

「……」

「君は今日子ちゃんに会いたいんだ」

「……だから、なに」

 影法師はニヒルに笑う。

 私はその表情がひどく恐ろしいものに思えた。

 すると温室に陽光が射す。

「もうすぐ目覚め夜明けの時だ、君は決めなくちゃならない、此処から出るのか出ないのかを」

 だんだんと影法師が消えて行く。

 私の意識も遠のいていく。

 そこで気づいた。

 こいつは影法師なんかじゃない。

「死神……迎えに来たの……?」

「ご想像にお任せするよ」

 私はそこで意識を手放し。

 その勢いで飛び起きた。

 私は温室におらず、自室のベッドに居た。

 ひどい寝汗を掻いていた。

 シャワーを浴びたいと思った。

 自室を出て、着替えを持ってシャワールームに向かう。

 蛇口をひねって冷水を浴びる。

 火照った身体に気持ちよく。

 私はただ水の流れに身を任せた。

 ただあの影法師の事を忘れるように、と。

 すると外からコンコンと硝子を叩く音がした。

「温室の方……?」

 私は急いで制服に袖を通すと。

 温室へと向かう。

 そこには寝癖を髪の毛にたくさんつけた寝ぼけ眼の今日子の姿が在った。

『はやくきちゃった』

「……お転婆なんですね」

 えへへと笑う今日子の破顔した表情が、どうしようもなく愛おしい。

 影法師に諭されるまでもない。

 今日は私から硝子に顔を当てた。

『あれ、ローズ? どうしたの』

「あなたが言ったんですよ、慣れておくように、と」

 そういえばそうだったと言った風なジェスチャーを取ると額を合わせるように硝子に顔を近づける。

 硝子さえなければ互いの吐息が聴こえてくる距離だ。

『やっぱり恥ずかしい?』

「今日子こそ、顔、赤いですよ」

『バレた?』

 今日子は苦笑する。

 私もつられて笑う。

 これはきっと今日子なりの友達の儀式――もしかしたら恋人の儀式――なのかもしれない。

 ならばきっと私達は両想いだ。

 そう疑わずにはいられなかった。

 例え、明日死んだとしてもいい。

 直接、君に会いたい。

 そう思って止まなかった。

 白い薔薇が視界の端に映る。

 父の想いを裏切る行為に心を苦しめながら。

 私は私の恋心を優先させた。

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