硝子の君、鏡の私。

亜未田久志

序 薄い膜のような


 私立比翼学園。

 わたしの通っている学校、そこには一つだけ不可思議な場所があった。

 それはなんの変哲もない温室。

 しかし、そこは出入り禁止になっている。

 そこに閉じ込められている一人の少女。「硝子の君」と呼ばれたアルビノ種の少女はただひたすら温室の窓越しに私達を眺めていた。

 そばかすを抱えた顔をしたわたしは彼女に会う資格など無いと思っていた。

「ねぇ知ってる、硝子の君ってあの温室を出ると死んじゃうんだって」

 ただの噂話。

 だけど、どこか真実味を帯びていて、壊れそうなあの子の華奢な身体を思い返しては身震いした。

 ――きっと気の迷いだったんだと思う。

 わたしは硝子の君に会いに行った。

 温室の前、窓の傍にいる少女に声をかける。

 そういえば名前も知らなかった。

「あの、わたし、今日子、雛罌粟今日子ひなげしきょうこ、あなたは?」

 硝子の君はしばし逡巡した後、声を発した。

『ローズ……、マリアローズ・双葉ふたば

 さてどっちが名前でどっちが名字だろうと思って、最初にローズと名乗ったところからローズと呼ぶことにした。

「わたし、あなたのファンで」

『ファン?』

「知らない? あなた学園じゃ硝子の君って呼ばれてるの」

 ローズは首を横に振る。

「あなたは学園のスター! わたしたちの憧れ! ずっとお話したかった!」

『そう……でも期待に応えられそうにはないわ』

「期待? ううん、違うよローズ、わたしは、あなたが知りたくて此処に来たの」

 そう、気の迷いで。

 ローズは困った顔で笑う。

『嬉しい、けど、私は此処を出られない』

「もしかして……し、死んじゃう、の?」

 すると驚いたような顔をしてローズは首を横に振る。

『ううん、違うよ、苦しくなりはするけど死にはしない……多分、外の空気は身体に悪いからってお父様が』

「そう、なんだ」

 戸惑いと安心の半分半分、わたしは窓に手を当てて、ローズを覗き込む。

 真白の肌に純白の髪、赤い瞳、兎のようだ、と思った。

 ローズというよりラビッド。

 まあ娘にラビッドなんてつける親いないだろうけど。

 わたしはありのままを伝えた。

『兎ですか、初めて言われました』

 そもそも他人に形容された事がこの子にあるんだろうか。

 ふと疑問が浮かぶ。

「ねぇローズ、あなたこの学園の生徒なの?」

『はい、一応……全てのカリキュラムは此処で受けています』

 全てのカリキュラムと聞いてわたしは少し胃が痛くなった。

 遅刻魔、欠席魔で単位が足りない不良なわたしにとは正反対に優等生だ。

 憧れ、敬い、脆く崩れそうな彼女への心配。

 ごちゃまぜになった心中は彼女への想いを加速させる。

「ねぇ、ローズ、お友達にならない?」

『いい、んですか?』

 受け入れてもらえそうだった。

 そこに少しの罪悪感を覚える。

 純粋無垢であろう彼女に刷り込みのようにわたしを友達として植え付ける。

 それはどこか罪深い味がして。

「うん、ローズ、今日からわたしたちは友達」

『嬉しい、です』

 虚構、疑念、執着。

 全てを取り払って。

 わたしたちは友達になった。

 灯る恋心に気付かずに。


 次の日。 

 わたしはまた温室に向かう。

 硝子の君はそこにいる。

「ローズ、おはよう」

『今日子さん、おはようございます、元気でしたか?』

 他人行儀な受け答え、わたしは苦笑しながら頷く。

「ねぇローズ、『さん』はいらないよ」

『はい?』

「今日子って呼んで」

『……えっと、わかりました』

 今日も他愛のない話が続く。

「そこの花の名前は?」

『ガーベラですね、こっちはマーガレット、こっちは――』

 その視線の先にあったのは白い白い薔薇ばら

「ローズ?」

『ああいえ、なんでもありません、こっちにはパンジーが咲いてますよ』

 白い薔薇から目を逸らしたローズ、なにかあるんだろうか。

 それとも、あれが彼女の「地雷」なのだろうか。

 温室には入れない、温室からは出してあげれない。

 じれったくてしょうがない。

 だけど、彼女にとってこの世界の空気は苦しいのだという。

 苦しい世界に無理をして連れていけるはずもない。

 わたしはもどかしさのあまり、硝子に顔を当てた。

『今日子?』

「ローズも」

『……は、はい』

 互いの顔が硝子越しに迫る。

 真っ直ぐ見つめ合う二人の視線は繋がって、やがて互いに赤面した。

『あの、恥ずかしい……です』

 その言葉を聴いてわたしの嗜虐心が刺激された。

「もうちょっとこのまま」

『ええっと……どうして?』

「わたしがこうしたいから」

『……分かりました』

 ローズの艶のある唇が目に入る。

 硝子越しのキスはありな人?

 なんて殺し文句を昔、聞いた事がある。

 魔性の美女が言えばそれはまさしく殺しの一言だろうが。

 そばかす混じりの芋娘が言っても、ましてや同性同士で言っても効果はないだろう。

 そんな諦め気味な思考とあまりに突飛すぎる自分の思考に驚き思わず硝子から顔を離す。

『今日子……?』

「今回は、ここまで、また明日、続きやるから慣れておくように」

『……はい、わかりました』

 ローズはどこか微笑んで、わたしの言葉を受け入れた。

 それにわたしは安堵した。

 拒まれていない事が嬉しかった。

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