オーニソプターの飛翔3
『2045年5月8日』
大苫宇宙港。
セルフ・アークに幾つか設けられた外部宇宙空間との出入り口、多くの船が行き来する真空の港湾施設である。
宇宙港と名付けられ、入港するのは確かに宇宙『船』であるものの、基本的な業務は空港に近い。
宇宙船といえど宇宙を飛べるだけの旅客機でしかなく、出入港の要領やノウハウも大気圏内の航空機の延長でしかない。
ならば何が違うかといえば、整備用の施設や管制能力の強化などなどだ。宇宙機用の設備は大気圏内航空機より更に大掛かりであり、管制塔も宇宙規模とあって求められる能力が高い。
「いろんな宇宙機がブンブンと、こんな雑多である必要ないだろうに」
そんな大苫宇宙港の宇宙展望デッキにて、武蔵はぼんやりと地球や月へ飛び立つ旅客機を見ていた。
大きな空間はガラス張りとなっており、外で行き交う宇宙船がパノラマで見られる。船を待つ人や休憩する人以外にも、単純にこの設備が好きな人間も多く訪れていた。
「やれやれ、せっかくの見学会だっていうのに誰も来ていないなんて……50分前行動は基本だろうに」
「早すぎです」
今日はここが集合場所なのだが、武蔵は2番目に早く到着し宇宙船を眺めていた。
なんだかんだで、彼とて飛行機は好きなのである。
「そういう貴女だって。俺より早く来てたじゃないですか、というかなんでここにいるんですか」
宇宙護衛艦見学会。参加者は雷間高校と鋼輪工業の空部部員だけだったはずだが、何故かそこには部外者がいた。
「生徒会長が戦闘艦に興味があるんですか?」
雷間高校生徒会長、朝雲 花純である。
白いブラウスの清楚な私服姿。華やかさはないが、いかにもいいとこのお嬢様然としていて似合っていた。
そんな彼女は、あえてかズレた返答をする。
「大丈夫です。先方には許可は取ってあります」
「自衛隊だって仮にも軍事組織、見学にはそれなりの手順が必要だったはずですが」
民間人を色々と助けてくれる自衛隊だが、護衛艦の見学には厳重な申込みが必要となる。
艦の中は軍事機密の塊だ。簡単に見せていいものではないのである。
「実はこういうの好きなんですか?」
「そうですね。かっこいいとは思います」
それは所謂、話に興味がない人が受け流す時の常套句であった。
どうにも話を逸らそうとしているな、と武蔵は訝しむ。
「宇宙船の船長ってかっこいいですよね。破滅砲発射! なんて」
「大陸規模の小惑星が吹き飛ぶ兵器はさすがにありませんよ」
「打ち方、初め! って言ってみたいです」
「それ実は艦長のいう合図じゃありません。砲術長です」
花純はくすくすと、指を唇に当てて上品に笑ってみせた。
「妙子に聞いていましたけど、やっぱり面白い人ですね」
「やはり惚れてしまいましたか」
「いえ。実をいいますと、今日見学する宇宙船って私の実家が作ったものなんです」
その関係で見てみたくなって、と花純はようやく本当の理由を明かした。
「実家? ええっと、親父さんは船大工か何か?」
「いえ、経営者です」
「造船所の?」
「というより、重工の」
護衛艦を建造出来るメーカーは複数存在するが、今回見学予定の船がどこ製かまでは武蔵も覚えていない。
とはいえ、造船に手を出している重工業メーカーともなれば例外なく大企業である。
「もしかして、朝雲さん家ってお金持ち?」
「……まあ、世間一般的にいえば」
困ったように笑う花純。
自分が裕福な家の人間だと明かすのが気まずく、先程まではぐらかしていたのだ。
武蔵がどうにも適当な性格だと感じ取り明かしたものの、ここまでストレートに金持ちかと問われるとそれはそれで困ってしまう花純である。
「父は朝雲重工の取締役をしております」
「……また凄い名前が出てきたな」
朝雲重工。国防事業にも大きく関わり合いを持つ、日本国屈指の重産業企業である。
自動車から宇宙コロニーまで。幅広く日本の重工業を支え、メイドインジャパンの名を轟かせ続ける巨大資本。
その令嬢ともなれば、まさに日本屈指のお嬢様といって過言ではない。
「でもどうしてあんな普通の学校に通ってるんです? 『ごきげんよう』とか挨拶するお嬢様学校じゃないの?」
「えっ? 『ごきげんよう』って皆さんは仰らないのですか?」
「そうですね、ラップしてる時くらいしか言わないです」
チェケラ! と口にしつつ手を『ぐわし』にする武蔵。
色々間違っていた。
「中学校までは、女学校に通っていたのです。ですがこのままではいけないと思って」
「いけないのですか?」
「はい。ああいった学校は良くも悪しくも閉鎖的ですから。もっと外に出て変わらなければ、と感じたんです」
「そりゃまた、耳に痛い話なことで」
人生逃げてばっかの武蔵にとっては、こういうタイプは眩しくて直視し難い。
「おかげで、お友達もいっぱい出来ました」
「妙子先輩とはどういった経緯で?」
「あの方は……人違いで後ろからハグされました」
あの人ならやりそうだ、と武蔵は思った。
「人違いと気付いた後も、構わずハグされ続けました」
あの人ならやりそうだ、と武蔵は思った。
「しまいには何故かふざけて服を脱がされかけて」
あの人ならやりそうだ、と武蔵は思った。
「ブラのホックを外された段階でさすがに怒って、それから話すようになったんです」
「そこまでやられてやっと怒るとか寛容」
また一機、宇宙へと宇宙船が『降りて』いった。
回転によって重力を生み出す古典的な砂時計型宇宙コロニーなので、宇宙船は地下方向に向かって飛んで行くのだ。
カタパルトの嘶きがコロニーを揺さぶり、宇宙船は音もなく暗黒の空へと落ちて行く。進路を地球方面へと定めた宇宙船は、大気圏という気圧の大海に飛び込むべく天を突き抜ける。
「あれも朝雲重工の製品ですよね」
「そうなんですか?」
「そうなんですよ。アメリカ企業からライセンス生産だけど」
光の帯を残して宇宙船が加速する。
セルフ・アークからの地球は、やたらと小さく見える。まるで月のようにぽっかりと、何の脈略もなく暗闇に浮かんでいるのだ。
あのちっぽけな星は本当はセルフ・アークより遥かに巨大で、何億年ものあいだ人類の揺り籠として機能し、見えもしない国境線を奪い合い殺し合ってきた戦場なのだ。
「地球行きでしょうか?」
「さて。こういう遠景から船の行き先を特定するのは難しいんですよ、なにせ
目の前で飛び立った便がどこに降り立つのかなど、彼らが得られる情報だけでは判断しようがない。
おおよその進路から地球行きは確実に思えるが、もしかしたら地球の重力によるスイングバイを試みるのかもしれない。
化学式ロケットエンジンならば機種によって機能が限定されるので、その用途も容易く類推できる。だが目の前の機体はありあまる汎用性故に、その用途を判別にしくかった。
「スペースシップナイト、史上初の民間開発宇宙旅客機……マゼランは地球一周に3年かかったっていうのに、今じゃ成田から欧州まで2時間。とんでもないな、技術の進歩は」
マゼラン艦隊の移動速度を1,5年で半周とすれば、6570倍のスピードである。比較すること自体が馬鹿げているが、それでも尚感嘆を覚えずにはいられない差であった。
「マゼランさんは地球一周していませんよ」
「マジですか」
「はい。途中でお亡くなりになっています。あ、そういえば空部には欧州出身の方がいらっしゃいましたよね」
「アリアのことですか?」
「欧州から地球を半周。大航海時代では命がけだった旅先の方とお友達になれるなんて、そう考えるととても不思議ですね」
「地球も狭くなったもんです」
100億の人類がひしめく惑星、確かに密度としては高く狭苦しい。
だからこそ人は宇宙をフロンティアとしているのだし、新たな大航海時代を舞台とした次世代のコロンブスやマゼランが現れつつあるのだろう。
しかし忘れてはならない。
地球の大きさは結局のところ、何億年も前からずっと不変。世界が狭くなる一方で、多くの大切なものを見落としている気がする武蔵であった。
「学校から
「身近……? ああ、ビジネスジェットとか自家用ヘリとかありましたね昔にも」
『身近』という言い回しに首を傾げ、彼女の立場を思い出し得心する。
費用の差はあれど、似たような交通手段は昔からあったのだった。
「地図で見れば近所なんですけど、ね」
「地上経由ならこの距離は片道30分以上かかりますよ。マジ航空機ぱねぇ」
携帯端末で雷間高校と大苫宇宙港を内包した地図を確認する武蔵。
航空法緩和以前の手段でこの距離を移動しようと思えば、道に沿って迂回を何度もしながら進まねばならなかった。それが片道5分で済む空中バスの存在はやはり無茶苦茶である。
「こんなに混み合っているのに、よく接触事故がおきませんよね」
武蔵の携帯端末を覗き込む花純。
武蔵の使うアプリには、セルフ・アーク内の航空機が全て光点として表示されている。ホタルのようにそれぞれ動く点は、なぜ衝突しないのか不思議なくらいの密度だった。
「そりゃ、そのあたりが完全に安全だって保障されてなければ航空法も緩和されませんよ」
データリンクで何重にも位置を監視されているのである。ぶつかろうとしてもぶつけられないのだ。
「それに高度によって向かう方向も違うし、交差する空域も厳格なルールがあるし」
「まるで自動車の道路ですね」
「基本は同じです。ちゃんとルールを守ってれば、コンピューターの補佐なしでも事故が起きえない体制は出来てるんです」
自動車も、自動運転が実用化される以前であってもルールさえ守れば重大事故が起きないように整備されていた。
教習所で習ったことを全て実施する運転手などどれだけいるだろうか。車の運転というのは誰もが何かしらルール違反をするのが常態化しており、それが多くの事故のきっかけとなっていたのだ。
肉眼で見えないだけで、空にも昔から沢山の道がある。それも高速道路なんて目じゃないほどの、超積層立体道路が。
「なるほど、よく考えられているのですね」
「飛行機が空を飛んで、もう130年ですから」
「―――そんな基本的なことも教えていないの? 空部としてのレベルが知れるわ」
不意に、そう背後から声をかけられた。
「んぼぼっ」
奇妙なうめき声を漏らす武蔵。
女性の声に聞き覚えのあった武蔵は、恐る恐る振り返る。
長い黒髪の少女。美人とあらば誰でも喜ぶ武蔵が、しかし盛大に顔を引きつらせた。
「……よお、時雨」
「久しぶり、武蔵。禄に部員の指導も出来てないようね」
武蔵を憎々しげに睨む少女。鋭い視線に晒され、武蔵は頭をガリガリと掻き、花純はすうっと目を細めた。
「まあ、あんたみたいな半端者が在籍を許される空部なんてその程度よね。元より誰も期待していないわ」
「その物言い、少々礼を欠いてはいませんか?」
花純が一歩、静かに前に出る。
小柄な彼女が時雨と相対すれば、自然と見上げる形になる。
「私は事実を言ったまでよ。貴女も、こんな男と親しくするのは控えるべきだわ」
「ご忠告感謝します。ですが、大和さんは決して軽薄なだけの人ではありません」
軽薄であること自体は否定していなかった。
武蔵は2人の少女の間に割って入り、時雨をたしなめる。
「まあ待てツンデレ」
「誰がツンデレよ」
「この人、飛び入り参加したうちの生徒会長だぞ」
「えっ?」
「素人だ。それと3年生だ」
知識のなさと小柄さから、時雨は花純を雷間高校空部の一年生だと誤認していた。
時雨は態度を一変させて平伏で謝った。
「すいません。本当すいません」
「私は構いません。ですが、時雨さん? たとえ気の置けない顔見知りでも開口一番にあんな言い方をしてはいけません。親しき仲にも礼儀ありといいます、先程のような物言いは事態を悪化させるだけで、とても建設的ではありません」
「すいません。コイツと親しいとかありえませんが、本当にすいません」
「ぷー! くすくす! ぷぎゃー! ねえ今どんな気持ち? 意地悪するつもりが的外れなこと言ってたけどどんな気持ち?」
「武蔵くんは黙ってて下さい」
「さーせん」
流石にというべきか、生徒会長は説教慣れしていた。
やがて周囲にそれぞれの空部部員が集まってくるが、異様な雰囲気の一画に近寄ろうとする者はいない。
これでは収拾がつかない。そう判断した武蔵は花純を止めることにした。
「会長、もう人が集まってます」
「え、あ、はい」
「それにコイツも悪いヤツじゃないんです。ただの面倒くさいタイプのヤンデレなんです」
「あんですってぇ?」
身も蓋もない見解であった。
「誰がデレよ。バカじゃないの?」
「ああっ!」
こっそり到着していたものの会話に入れなかったアリアが突然叫ぶ。
「シグレ、時雨……昔武蔵が弄んで捨てた女性ですね!」
鋼輪工業空部に激震が走った。
「おいおい、白露の元カレだってよ……」
「あの身持ちの硬い白露さんを弄んだって……いや、弄ばれたから男嫌いになったのか?」
「ウチの有望株に手ぇ出してんじゃねぇぞコラァ!?」
時雨は恥辱のあまり真っ赤に顔を染めた。まさかの辱めである。
鋼輪工業の面々、主に男子生徒が武蔵にメンチを切る。
「ふん。群れることでしか主張も出来ないのか
武蔵は敵意を孕んだ視線を一身に浴び、しかしふてぶてしく鼻を鳴らした。
そして、迷いのない動作で花純の背後に隠れる。
「俺に手を出すつもりならまず、この雷間高校生徒会長を倒してからにするんだな!」
「こ、こいつ最低だ……!」
「迷いなく女の子の影に隠れやがった!」
「万年補欠で悪かったなクソが!」
生徒達は戦慄した。
時雨を庇う鋼輪工業の男子達。その目的が純粋で傍迷惑な正義感か、古典的な意味でのフェミニズム故か、あるいは思春期真っ盛りな下心かは判らない。
だがその全てにおいて、花純を攻撃対象とすることはタブーであった。彼女の存在は間違いなく権力であり、正義であり、美少女なのだから。
「ほら、やれよ! 男なら拳で語れよ臆病者!」
「その場合私が攻撃されるのでやめてもらえませんか……?」
花純は矢面に立たされてげんなりとした。
彼女も短い付き合いながら、武蔵の人となりを見知っている。
この少年は決して無知でも無学でもない。全て計算済みで花純を盾にしているのだ。
だからこそ、外見からは判らない要素である生徒会長という肩書を口上に含めた。しかし花純にとってはいい迷惑である。
よって花純も、自分の後ろに回り込んだ武蔵の、その背に更に回り込む。
「ここは殿方の甲斐性を見せる絶好の機会かと思います」
「甲斐性見せたら惚れる?」
「そうですね、最初から披露していれば惚れていたかもしれません」
一度花純を盾にしたことで、彼女の武蔵に対する男性としての評価は極めて低くなっていた。
武蔵はそれが甲斐性ならば仕方がないと、鋼輪工業の生徒の前に進み出る。
その足取りに躊躇いはなく、その瞳に揺らぎはない。
―――こいつ、只者じゃない。
そう思わせるだけのものを、今の武蔵は醸し出していた。
「少しばかり、教えてやろう」
「な、なんだよ……?」
武蔵の周囲にいる生徒は、皆2年生や3年生。空部として鍛えられた肉体は武蔵以上の肩幅を持つ者もいる。
それだけの屈強な男達に囲まれて、だが武蔵は一歩も引かなかった。
「男の甲斐性―――その答えの1つが、これだ」
武蔵は懐から、静かに財布を取り出した。
「これで勘弁して下さい」
しわくちゃの5000円札だった。
周囲にいた知人達は泣きたくなった。
あとがき
宇宙護衛艦見学ツアーは長いので4回ほどに分けました。
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