アルバトロスの日常4-2

「あんまりあっさり墜落して、何がなんだかわからなかったわ」




 下で見ていた妙子は、難しい顔で訝しんだ。


 離陸直後にくるくるっと回り、船の甲板にそのままズザーッ、である。




「武蔵くん。この超軽量動力機、違法改造とかしなかった? 私の先輩が乗ってた時は普通に飛べてたわよ?」




「むしろアンタがまったく整備しないで保管してたのがトラブルの原因じゃないんすかね」




 当然ながら、武蔵は飛行前に点検を一通り行っている。故にか、武蔵の反論には小さくトゲがあった。


 おちゃらけていても、安全面ではしっかりした男である。




「ちょっと俺が乗ってみます」




「気をつけてね」




 アリアに変わり、コックピットに乗り込む武蔵。




「ああ、現役女子高生の尻の温度が残ってる」




「はよいけ」




「吐瀉物のかほりも残ってる」




「はよいけ!」




 急かされ離陸すれば、超軽量動力機は問題なく軽やかに空を飛んだ。


 一通り操縦を試し、着艦する武蔵。




「壊れてません。間違いなくアリアの操縦の問題です」




「ふ、普通に操縦しましたよ!」




「普通に操縦したらスピンしねーよ」




「貴方とレースした時の練習機はちゃんと操縦出来ていたじゃないですか! 国でライセンスを取った時だって問題ありませんでした!」




「そういえば、あの時の赤とんぼ九三式中間練習機もちゃんと飛べてたな」




 しかしこうなってはお手上げであった。練習の第一段階にすら達せないのだ。




「武蔵くん、どうしたらいいと思う?」




「諦めましょう」




「うぐっ」




 身も蓋もない降参宣言に、しかしそう判断するに値するヘッポコっぷりな自覚のあるアリアは落ち込むしかない。


 しかしそれは早合点である。別に武蔵は、アリアを見切っているわけではない。




「たまたまこの機体と相性が悪かったのかもしれません。他の飛行機には乗れているわけですから」




 操縦方法は共通でも、癖は千差万別なのである。


 どうしても相性や得手不得手は存在するのだ。




「回転翼、固定翼、直線翼、エンテ翼、同じ揚力で飛ぶ航空機でも飛行特性は全然違います。とりあえず様子を見てアリアの適正を確認しましょう」




「赤とんぼ練習機を引っ張り出す? あれって垂直離着陸出来ないから、グラウンドを使える時じゃないと練習出来ないのよね」




「魔改造しましょう。ハリヤーのペガサスエンジンで垂直上昇する赤とんぼとかカッコよくね?」




「武蔵が何を言っているのか、まったく解りません」




 エンジン史に名を残すゲテモノエンジンはさておき、武蔵は見解を述べた。




「アリアはそもそも体で覚えるタイプ、体感しなければ納得しないタイプなんじゃないかと。とにかく経験値積んでからじゃないと、どうにもにっちもさっちもいかないぶきっちょです」




 そう指摘する武蔵だが、むしろ彼と妙子のどちらがそのたぐいと類友かといえば、妙子の方がよほど感覚派である。


 武蔵はエキセントリックな言動が多く、一見すると妙子の方が落ち着いているように見えるかもしれない。しかし彼女の操縦は感性に頼った部分があり、むしろ武蔵のほうがよほど数値や理論を重視するのだ。


 論理派の武蔵だからこそ、アリアが妙子と同類だと感じ取ったといえるかもしれない。




「こんな校舎裏じゃなくて、もっと広い場所でかっ飛ばしましょう。いっちょ気合を入れれば、たぶんハマりますよ」




 論理派の彼も、結局のところ根性論な解決法なのだが。


 その辺は結局、操るのは人間なので仕方がないのである。




「広い場所? でもさっき言った通り、グラウンドは真っ当な部活動で使用中よ?」




「この学校の空部が真っ当ではないと、部長自ら認めましたね」




「例え邪道部でも、空部としての権限や発言力が死んだわけじゃない。たまには空部らしく、申請書を書いてみましょう」




 提案しつつ、武蔵は考える。


 邪道部って、剣道部の親戚みたいだな、と。














 これ以上の練習は危険なだけであると判断し、その日はお開きとなった。


 美術授業の宿題関連で武蔵を警戒するようになったアリアだが、自宅が隣なので仕方がなく同じ空中バスに乗って帰宅する。




「貴方が窓側に座って下さい。変なことをしたら私は通路に逃げられるように」




「いえいえ窓側席はレディーファーストですとも、げへへ」




「非常時に迅速に脱出可能な通路側がレディーファーストではないでしょうか」




「ここは前時代的な男尊女卑の国なんでな、俺が安全な通路側だ」




「あーもう面倒くさい男ですね。いいから外側座って下さい」




 武蔵の背を押し、窓側席に押し込むアリア。


 続いてアリアは真ん中側の席に座る。




「なあ、もうラッシュ時間過ぎてて機内ガラガラなんだし、どこ座ったっていいんじゃないか?」




 座席は3割程度しか埋まっておらず、武蔵とアリアが別々に座るのは容易であった。




「それはそれで面倒でしょう。同じヘリポートで降りるのですから、近い席に座っていた方が効率です」




「まあ、そうだな。……そうか?」




 変な理屈をこねるアリアに、武蔵は首を傾げる。


 しかし窓側に座る武蔵には、機体中心線側へ顔を向けるアリアの表情は伺えなかった。




「そっち見て楽しいか?」




「貴方のオモロ顔を見ているよりは有意義です」




「んだとこら。それを言ったらお前は……」




 むう、と言葉に詰まる。


 アリアは文句の付けようのない、可憐な美貌の持ち主である。




「私はなんです?」




「ろ、露出狂だろ」




 咄嗟に適当な誤魔化しを口にして、武蔵も窓側へと顔をそむけた。




「今度覗いたら、本当に怒りますから」




 これまでの怒りは、本当の怒りではなかったらしい。




「ならカーテン締めて着替えろよ」




「当然です。でも私は、武蔵の着替えを覗きます。カーテン締めちゃダメです」




「見て楽しいかそれ?」




「まあ、割と?」




 横でくすくすと笑うアリアの気配を感じつつ、武蔵は憮然と窓の外を見続けるのであった。














 帰宅後。自室でのんびりしていると、階下から信濃の声が聞こえてきた。




「お兄ちゃーん! お風呂が空いたよー! 妹の出汁がたっぷりだよー!」




「よっしゃお湯の入れ替えだー! 本日2度目の1番風呂じゃー!」




 出汁が取れているかはともかくとして、妹に続き入浴を終えた武蔵は再度自室へと戻る。




「あ、どうも」




 武蔵の部屋に何故かアリアがいた。


 武蔵は無言でカーテンを捲り、若葉宅を確認する。


 若葉宅と大和宅の間にはハシゴがかけられていた。アリアはこれを橋にして、武蔵の部屋へと不法侵入したのだ。




「……夜這いか?」




「ヤバイ? いえ、別にやばくはないですよ?」




 日本語を習得しているとはいえ、あまり一般的とはいえない単語までは理解が及ばないアリア。


 武蔵は懇切丁寧に夜這いについて説明した。




「日本ではな、夜間に女性が男性の部屋に忍び込むのは、婚約成立という意味を持つんだ」




「マジですか!?」




「ちなみに婚約破棄したら切腹だ」




「……短い人生でした」




「婚約より死を選ぶのか……」




 何故か双方がダメージを受けたが、とにかく武蔵はベッドに腰掛けアリアに問う。




「それで、何しに来たんだ? 約束通りパンツ見せてくれるのか?」




「もしかして下着を見せてあげると約束した貴方の記憶の中のアリア・K・若葉は、粒子論的平行世界上の同一個体ではないでしょうか?」




 アリアは男児の部屋にやってきたというのに、気負う様子も見せず本棚を漁る。




「……意外でした。学術書ばかりではないですか」




「昔揃えたものだ。いい加減な知識では空は飛べない」




 本棚ばかりではない。部屋には機械や工具など、航空機に関する物が溢れていた。




「そこまで慎重に技術習得しなくてもいい、そういう時代になったと言ったのは貴方ですよ?」




「小型機程度なら、な。だが本格的に将来の仕事として考えるなら、依然としてパイロットは困難な道であることに変わりない」




 多くの場面においてメンテナンスなどの義務が軽減されたとはいえ、極限までの安全性を求められる航空機は存在する。


 惑星間航行を行う旅客機は事故が発生しようと長時間救援を望めない為、徹底した安全管理を要求される。


 性能を重視し先進的な設計を取り入れた軍用機は、かつてと変わりない点検事項をあらゆる手段にて通過してから飛行している。


 確かに民間レベルでの航空機は安全な乗り物となった。だが、誰かの命を預かるパイロット達は時代に変わりなくプロフェッショナルであることを求められ続けているのだ。




「将来は職業パイロットになりたい、と言っていましたっけ」




「ああ―――そうだ。俺は宇宙の航空分野、その最前線にて仕事をしたい。いや、する」




 明確な意志の篭った武蔵の瞳。


 アリアは初めて、彼に尊敬の念を抱いた。彼の抱く目標は生半可な努力では達せない、挑むだけで足が竦んでしまいそうな過酷な天望だと理解したのだ。




「そして俺は―――沢山の美少女を囲って、ハーレムな人生を送る」




 尊敬の念は大気圏外に離脱していった。




「あの、どうしてそんなにハーレムなんて幻想に取り憑かれているのですか? 脳味噌腐敗してます?」




「黙れシュールストレミング」




「あの缶詰の名を出すなああぁぁっ!」




 思わず叫んでしまったアリア。地球の裏側のネタアイテム程度にしか思っていない武蔵と違い、アリアにとってニシンの缶詰は切実に危険物だった。


 当然ながら、彼女の声は家中に響き渡る。




「お兄ちゃーん! 何か女の子の声が聞こえたんだけどー! 拉致監禁陵辱中ー?」




 隣の部屋の信濃に、武蔵はなんとか誤魔化さんと叫び返す。




「お兄ちゃんが裏声で一人芝居しているだけだから大丈夫だぞー!」




「そっかー! なら大丈夫だね、お兄ちゃんの脳味噌がシュールストレミングみたいに腐敗していること以外はー!」




「お前この部屋に監視カメラとか仕掛けてないだろうな」




 きょろきょろと周囲を見渡す武蔵。


 壁に穴が空いていた。




「…………。」




「…………テヘペロ」




 穴の中で、信濃の大きな瞳がパチコーンとウインクする。


 武蔵は壁の穴にグリスガンという工具を接続し、シャコシャコと取っ手を動かした。


 信濃の部屋に粘度の高いグリスが流し込まれていく。




「止めてお兄ちゃん! なんか壁から出てきた! ドロドロしたものがにょろにょろ出てきた!」




「それは俺の白濁液だ」




「白くないよお兄ちゃん……」




「とんでもない兄妹ですね」




 アリアは学術書の中でようやく見つけた、読みやすそうな漫画を開く。


 しかし数ページ読み進めたものの、すぐに眉間に皺を寄せた。




「画風が美形だったので少女漫画かと思ったら、外人部隊の戦闘機漫画でした」




「お前何しに来たんだよ本当」




「いえ、少しお訊ねしたいことがあって」




 漫画から目を離さぬまま、アリアは訊ねる。




「何故、私に飛行機の乗り方を教えてくれるのです?」




「お前が教えろって言ったんだろ」




「私は嫌がったていたではありませんか。意見を覆すのが唐突すぎます」




 教えを請おうと考えが至った時点では、空部がほぼ活動停止状態にあることを知らなかったというのもあるが。


 そうでなくとも、図々しく訪ねていった手前、アドバイスを貰えれば御の字だと考えていたのだ。


 しかし武蔵の教え方は予想外に丁寧であった。気まぐれという解釈も出来るが、だとしても腑に落ちないほどに。




「放課後だけならばともかく、まさか休日までお付き合い頂けるとは」




 広い場所での本格的な訓練が必要。そう判断した武蔵は、週末に練習を行うことを提案した。


 校外の設備を使用しての練習。空部でなくては、こんな書類処理は出来ない。


 妙子はマネージャーなので、当日は実質武蔵とアリアのワンツーマンである。アリアは武蔵という男がそこまでお人好しな男であることが意外であった。


 赤面し、上目遣いで恐る恐るアリアは確認する。




「それって、し、下心……ですか?」




「自惚れるなちんちくりん。これは嘘だと断言していいが、お前に欲情なんて欠片も抱いてはいない」




「はあ。……え? 今なんと? あれ、どっち?」




 武蔵はバリバリと頭を掻く。




「今時スカイスポーツは絶対安全、なんて世間では思われているが……専門家の末席として言わせて貰えれば、そんなことはない。正しい運用を行えば墜落する可能性は宝くじ一等より低いが、世の中に正しくない道具の使い方をする奴なんてゴマンといる。堕ちられたら……その、困るんだよ」




 ベルトの装着を面倒がり、接続部の安全確認装置を常に通電状態に改造してしまう奴がいる。


 法定によって定められた点検項目を行わず、機械の安全係数を過信する者がいる。


 飛行機より自動車の方がよほど死亡事故は多い、という話があるが―――旅客機や軍用機のトラブルより、スカイスポーツの機体トラブルの方がよほど多いのも事実なのだ。


 そして、それらは『不適切な使用』という一言で片付けられる。事実その通りなのだから救いがない。




「下手くそでもなんでもいいから、正しい使い方だけは厳守しろ。お前に望むのはそれだけだ」




「……意外と気真面目なのですね」




 あんまりな言いようであったが、アリアは反感を覚えることはなかった。


 知識のないアリアに多くは理解し得ない。だが、武蔵が真剣に航空機に向き合っている、それはよく判った。




「改めて。当日はよろしくお願いします」




「いいから帰れ。俺はもう寝る」




 窓から蹴り出され、自宅への梯子橋をひょいと渡るアリア。


 新築の屋根にたどり着き、隣人の部屋を振り返る。


 既に締まったカーテン。あれだけセクハラしてきた癖に、随分とあっさりしたものであった。




「よく解らない男です」




 呟きつつ、足元の梯子がぐらぐらと揺れてアリアは慌てて渡り切る。


 今度しっかりと釘で打って、梯子を屋根に固定してしまおう。彼女はそんな予定を脳裏のスケジュール表に入れた。


 4月が終わり、5月が始まる。










なんとなく書いてみる登場人物紹介



アリア・K・若葉(15)


ヒロイン。一応メインヒロイン。


今でこそ物語の中心だが、サブヒロインが台頭するほどに影が薄くなっていく。


金髪碧眼のチビっ子。親がおらず一軒家に一人暮らししているあたりに闇を感じる。


作中屈指の美少女だが、「登場人物で一番の美少女は由良」という設定がある以上、どこまでも2番手。それでいいのかメインヒロイン。


この作品の主要登場人物は苗字と名前が同型艦の船の名前、あるいはそれをもじったもの、という法則がある。


この子も例外ではない。むしろ妙子と比べたらひねってない方。


どうしても気になる人は若葉型駆逐艦の同型艦を調べてほしい。




ある人物を探しにセルフ・アークに来たと明言しているが、じつはその人物は既に登場している。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る